自然言語と人工言語

2020年から小学生たちはプログラムを学ぶことが必修になるという。人間がつくりだしたコンピューターと会話することを現代の小学生たちは強いられることになる。それは、悪いことではもちろんない。このわたしも現在、コンピューターと積極的に会話することを怠っていたことを反省し、今年から新たな気持ちでコンピューターに向かおうとしている。

50代は入院することが度々あり、その都度、どのように暇をつぶすのか考えた。病院に普段読めないような長編小説も持ち込むこと、語学の入門書をもちこむこと、それにprocessingのようなデザインのためのプログラミングの書物を持ち込んだ。processingについては1冊を通読したが、そのプログラム言語をマスターするまでにはいたっていなかった。今年(今年以降)は、このプログラム言語をマスターすることに力を入れようと思っている。

19世紀には、人間と機械は対立するものとして捉えられたが、20世紀を経て21世紀になった現代では、共存していかなければならないものとして捉え直さなければならなくなった。その大きな要因は、言うまでもなくコンピューターの進化である。建築のような世界でも、素材とコンピューターは直接結びつくものとなった。マテリアル・コンピューティングのように、プログラムをする対象が言語だけではなく物質にまで及ぶようになったのである。このような状況では、19世紀のラッダイストのようにコンピューターを破壊してもはじまらない。コンピューターを介したデザインの再定義が必要となった。

わたしは特にプログラミングを機械を媒介した新たな生命体としての言語と捉えたいと思っている。21世紀以降の人間は、前世紀の人間が膨大な文学作品を残したように、プログラム言語を残すことにエネルギーを注ぎはじめている。このような人工言語が誕生したために、われわれが日常的に使用する言語は自然言語と呼ばれるようになった。近い未来にはこの自然言語と人工言語の境界は希薄化し、なんと呼んだらよいかわかないが、仮にX言語と呼ばれるような言語が出現するに違いない。

人間は永遠に何らかの言語を学ぶことを強いられる生き物であるようだ。

*3.11以降、反原発運動が盛んになったが、宇宙への進出を前提とすると、残念ながら、人間は核技術(特に核融合技術)からは逃れられない。月のような衛星では、万が一核爆発があったとしても、地球のような大気がないため、放射性物質は拡散しないらしい。多分、人間はそうした失敗を繰り返しながら、まずは月(または火星)に暮らすことをはじめるのだと思う。しかし、わたしはもし10年後に月居住が可能となったとしても、地球で暮らすことを選択するだろう。

by kurarc | 2019-03-16 00:43 | art