父の想い出

来月、父親の33回忌を迎える。父が亡くなってから随分と永い年月が経過した。そうした年月のこともあり、この頃、父との想い出がよく頭の中に甦る。先月、父親との想い出をテーマとした短編小説らしきものを2篇書き著してもみた。

わたしには様々な父との想い出があるが、最も幼少の頃、はっきり記憶に残っていることは、お菓子屋の白い紙袋の想い出である。わたしの実家の近くにはお菓子屋があった。わたしはよく利用したが、当時はお煎餅やお菓子は、ガラスのビンのようなものに入っていて、その中のお菓子を取り出し、薄く白い紙袋に包んでくれた。

その白い紙袋を、お菓子が食べ終わると空気を入れ膨らませ、風船のようにしてから、力一杯手で割ると、大きな音がでる。わたしはこの紙袋割りの音に妙に興味を持ち、父に紙袋だけを買ってほしいとねだったのである。

今から思うと馬鹿なおねだりだったと思うが、あまりにもしつこくせがむものだから、父親は確か500円か1000円か忘れたが、お菓子屋に行って、このお金で100枚紙袋を買ってこい、と言ってくれた。わたしは早速お菓子屋のおじさんにお菓子なしで紙袋だけをほしいとせがみ、おじさんも紙袋だけ100枚売ってくれたのである。

その袋を持ち帰り、わたしはすぐに100枚の紙袋を立て続けに膨らませては割りを繰り返し、100枚すべて割ってしまった。そしてようやく、その楽しみ(イタズラ)から卒業することができたのである。それ以後、そうしたことは一切やらなくなった。それで気持ちが落ち着いたのだろう。

父親は、わたしがやりたい、ということを躊躇なくやらせてくれた人だった。孫のように歳が離れていたこともあるだろうが、わたしはこれがしたい、というと協力は惜しまなかった。今から思うと、そうした父に感謝しなければならない。なぜなら、母親はその真逆で、すべてを禁止する人であったからである。

by kurarc | 2019-09-20 23:35 | saudade-memoria(記憶)