ピランデッロ 『母との対話』

ピランデッロ 『母との対話』_b0074416_22551465.jpg

タヴィアーニ兄弟のオムニバス映画『カオス・シチリア物語』のエピローグ「母との対話」は何度観たことだろう。この映画全体も素晴らしいが、エピローグはこの映画の最後にふさわしいシナリオと映像が用意されている。今年は父の33回忌ということもあったが、死んでいった父や母のことを想うことが度々訪れた。そのせいか、タヴィアーニのこの映画のエピローグを何度も観ることになった。

ピランデッロの原作『カオス・シチリア物語』で、「母との対話」は映画とは異なった内容となっているが、映画の核心の部分は原作を引き継いでいる。わたしは映画の中で付加された前半のシーン、つまりピランデッロが久しぶりに故郷の街に着き、駅で幼なじみが待ち受けているが、ピランデッロはその幼なじみの名前を思い出せない。幼なじみはピランデッロを家まで馬車で送っていくが、それでもピランデッロは彼の名前を忘れたままだったが、彼が馬車で立ち去った瞬間に彼の名前「サロ」を思い出すシーンは秀逸で、大好きなシーンである。

このエピローグの中で、亡霊のように登場するピランデッロの母とピランデッロの対話が描かれるが、その対話の中でもっとも重要な言葉は、生きている人間は、死んでいった人間を想うことはできるが、死んでいったもの(この場合、ピランデッロの母)は、生きている人間を想うことはできない、という言葉であろう。母という存在に想われていたと感じることで、ピランデッロは頑張ることができたが、今は母のように想ってくれる人はいない、ピランデッロはそのことが悲しいと母に話すのである。ピランデッロにとって死とは死者が生者を想うことができないこと、そのことが彼にとっての死という事実であると言っているのである。死者とは想いをもてなくなってしまった人間だということである。(つまり、死者でなくとも、彼に対し想いをもたなくなってしまったのなら、その人は、彼にとって死者と同等であるという解釈も成り立つかもしれない)

そして、原作の最後の母の言葉、「ものごとを、それをもう見なくなった人たちの目でも、見るようにしてごらん・・・」という言葉、これはつまり、「死んでいったものたち(想いをもたなくなってしまったものたち)の目で見てごらん・・・」ということだと初めて気がついた。

by kurarc | 2019-11-21 22:54 | books(書物・本・メディア)