ボス(ボッシュ)『悦楽の園』とリスボン

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上尾信也著『歴史としての音 ヨーロッパ中近世の音のコスモロジー』を読みはじめた。第2章のはじめに、ボスの絵画『悦楽の園』が登場する。リスボンの国立古美術館にもボスの絵画『聖アントニウスの誘惑』があるが、以前からこの画家については、非常に気になっていたが、詳しく調べたことはなかった。ダ・ヴィンチの同時代人であることに気づいたこともあるが、現在、最も興味のある画家である。

リスボンの国立古美術館はわたしが暮らしていたカンポ・デ・オリーク地区南(ペソア・ミュージアムの隣の隣)から真南に800メートルほどいった距離にある。この美術館へは何度か足を運んだが、ボスの絵画が展示されているという美術館にふさわしい、と思った。それは、マドリードのプラド美術館のような豪奢なところが一切なく、リスボンの外れ、うらぶれた地区に位置する。そう、リスボンは人によって様々な印象を持たれることだろう。イタリアやフランスの都市のような優雅さを求めても、そうした優雅さは一切期待できない。忘れ去られた場所が偏在した都市といったらよいだろうか。リスボンは、特にリスボン郊外は、現在でも映画『白い町で』の中のリスボンと変わらないはずである。

ボスの『悦楽の園』は左、中央、右と順に過去、現在、未来を表現しているという。考えてみれば、わたしたちの感じる時間は大まかにこの3つの動態として考えられる。ポルトガル語には「不完全過去」といった言い方の興味深い時制(日本語にもある)もあるが、それは、表現を混乱させるだけであるから、こうした絵画のなかで表現することは不適当であろう。ボスの『悦楽の園』では、以下のような隠喩を匂わせている。

過去=エデンの園=愛の序階=聖界=天体の音楽の世界
現在=悦楽の園=性的な愛=俗界=人間の肉体や精神の調和としての音楽世界
未来=音楽地獄=罪罰の世界=地獄界=テクノロジカルな音の世界(楽器を道具とした音世界)

ボスによれば、われわれの世界は音楽地獄、ボスは楽器=機械とみなし、ルネサンスという機械文明の幕開けの危機感、嫌悪感を表現したと上尾氏は語っている。ボスの絵画に同時代性を感じるのは、まさにそうしたテクノロジーの果てに生きるわれわれの不安と危機を感じさせてくれるからであろう。ボスはわれわれに、わたしの絵を読み解くのは今だ、と訴えかけているようだ。

*アントニオ・タブッキの『レクイエム』によれば、ボスのような胴体のない頭と腕しかない生き物は、古代エジプトのアンティフィロスがすでに描いていたという。

by kurarc | 2019-12-10 19:54 | art