隠れキリシタンとマラーノ(マラーノス)

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先日、青山真治監督の映画『こおろぎ』についてふれた。この中で、キリシタンの弾圧について冒頭で語られるくだりがあり、思い出したように調べたくなった。河合隼雄先生が『物語と人間の科学』という本(講演集)で、「隠れキリシタン神話の変容過程」について書かれていることを知り、早速読んでみた。

河合先生は、わたしの大学時代にお世話になった多木浩二先生と「都市の会」というものをつくっていて、一緒に活躍されていたということもあり、ずっと気になっていた。ユング派の心理学者であるが、わたしは今年、『子どもの宇宙』という名著に出会って、河合先生の著作に特に興味を持つようになった。

「隠れキリシタン神話の変容過程」では、日本にキリスト教が普及するにつれて、どのようにそれが神話化され、聖書の物語が変容していったのかをみることで、日本特有のキリシタン文化というものをつかもうとした小論である。主に、『天地始之事』の話を分析しながら、その変容過程を時にはユーモアを交えて述べられている。

例えば、日本では当初「神」を「大日」という言い方に翻訳しようとした。「神」では日本古来の神と混同されることもあったからである。しかし、「大日」は女性性器の隠語であったこともあり、すぐに使えなくなり、「でうす」という原語に近い音をそのまま使うようになった、といったエピソードが述べられている。

「隠れキリシタン」で思い出されるのは、スペインから「追放されたユダヤ人」である。20世紀の初め、ポルトガル北部で隠れユダヤ教徒が発見されたのだが、それは、長崎の五島列島で密かに暮らしていた隠れキリシタンとの共通性を想像させる。(隠れ)ユダヤ教徒はスペイン語で「マラーノ(マラーノス)」(蔑称、豚野郎といった意味)と呼ばれ、差別の対象となっていた。こちらは、小岸昭さんの著作に詳しいし、以前にもこのブログでふれた。

ポルトガルへ行く前に小岸さんの著作を読み、その中に出てくるリスボンのユダヤ人街の街路を偶然、リスボンを歩いている時に見つけたのは何かの縁としか言いようのない出来事であったが、青山真治監督の映画で、わたしの設計した住宅の中で演じられる隠れキリシタンを匂わせる物語も何か偶然とは思えない。

本、映画や建築、芸術など様々な出会いには因果関係があるような気がする。それらがすべて、幸福な出会いであるとは限らないが、少なくとも、本や映画、芸術などとの出会いは、わたしを何か別の世界に旅立たせてくれる道具のように思えることが多い。きっと河合先生の著作からまた新たな発見があり、どこか遠い世界へ誘われる旅が待っている、そんな気がしている。わたしは今年、河合先生の著作からインスピレーションを得て、短編小説を書いたのだが、すでに、新しい旅が始まったのかもしれない。

by kurarc | 2019-12-16 21:51 | books