阪神・淡路大震災25年

阪神・淡路大震災から25年が経過した。今から思えば、オウム事件からこの大震災が21世紀の始まりだったのだと思う。

わたしは25年前、この大震災の日、ある著名な建築家の事務所で仕事を手伝っていた。ちょうど、某大学の助手に就任することが決まっていて、それまでの空き時間、アルバイトをしていた。ラジオでまずこのニュースを知った。

アルバイト先から帰宅し、テレビで映される映像を眺めながら、以前、旅行で行った神戸で、たまたま入った床屋のビルが倒壊していることを知った。昨年になるが、ある建築家が被災した経験を話すのを聞いたが、その建築家の方は、ありふれた商店街が倒壊し、その後まったく無味乾燥な商店街へと変貌していったことの寂しさを語っていた。立派な建築でないもの、何気ない風景が重要であることを身にしみて感じたと言う。

阪神・淡路大震災以後、災害は連続して発生し、3.11を迎え、その後も水害など終わりの見えない状況が続いている。今後、地震だけでなく、巨大噴火も懸念されている。わたしはこの巨大噴火(破局噴火)が最も重大な災害と思っているが、それもいつ起こるのかわからない。それは日本だけでない。このブログでも以前に書いたが、リスボンは200年から250年の周期で巨大地震に見舞われている。1755年に大震災を経験したので、いつ巨大地震に見舞われても不思議ではない都市なのである。

大江健三郎は、避けることのできない災いや苦しみを「人生の親戚」と呼んだ。大災害も人にとって「人生の親戚」のようなものだろう。できるのはその大災害をなるべく小さなものにする工夫と知恵をはたらかせることしかない。



by kurarc | 2020-01-17 17:44