ピランデルロと『ハインリッヒ四世』 

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以前このブログで映画『エンリコ四世』とその音楽がアストル・ピアソラによることについて書いた。新型コロナウィルスが流行る最中、家の中で時間をつぶすには映画に限る。久しぶりに映画『エンリコ四世』を再見した。

田之倉稔著『イタリアのアヴァンギャルド 未来派からピランデルロへ』の第6章に、この映画の原作である戯曲『ハインリッヒ四世』についての言及がある。田之倉氏によれば、この原作は『エンリコ四世』という題名ではなく、『ハインリッヒ四世』であるという。ピランデルロは、劇中の主人公は「カノッサの屈辱」で知られる神聖ローマ帝国の皇帝であるが、原題を『ハインリッヒ四世』とすることで、どこのどの時代で、誰の物語であるのかをはぐらかすことを意図した、ということである。

この映画の冒頭のシーンとピアソラの音楽はいつ観ても感動するが、実はこの原作にはピランデルロの苦悩がにじみ出ている。ピランデルロの妻アントニエッタは、精神分裂病を患っており、やむなく、ローマの精神病院に入院させる。そして、その後、彼女は二度と病院からでることはなく、20年以上にわたり死ぬまでその病院で過ごすことになるが、ピランデルロはその措置に対して悔恨の念にさいなまれ、5年後に妻を引き取るべく、田舎に家を借りて妻を迎えにゆくが、アントニエッタは退院を拒否。こうした彼の実人生が、人間の狂気とは何か、また、世界と存在に対する思索深めさせ、彼の創作力を刺激することになった。

また、田之倉氏によれば、世紀末、パリのモンマルトルの一角にあった小さな劇場「グラン・ギニョル」で上演されていた演劇の影響をピランデルロが受けているのではないか、と推測している。演劇の題材の多くは、日常世界から逸脱した人間であり、舞台は、病院やサナトリウム、刑務所、兵舎であったという。この演劇の脚本はアンドレ・ド・ロルドが書き、その戯曲の執筆にあたり、児童心理学や実験心理学の開拓者であるアルフレッド・ビネが協力したという。

ピランデルロは、個人的体験と時代の影響の中で狂気を取り上げ、一見「正常な社会」(あるいは、「正常な人間」)の表と裏にある狂気を戯曲や短編小説のなかに表現していった、ということになる。映画『エンリコ四世』は、ピランデルロが自らの苦悩をポジティブな創作力に変化させた証として観る映画なのかもしれない。

*たとえば、ピランデルロの短編『手押し車』(『月を見つけたチャウラ』所収)と比較してみると興味深い。

by kurarc | 2020-03-03 21:00 | books(書物・本)