武家屋敷の中の果樹園 背戸という空間

島村昇著『金沢の家並 近代文学にみる原風景』の中に、当時の武家屋敷の庭の使い方が詳しく記述されている。武士の社会は階級社会であったことから、その屋敷の規模も身分により規定されていた。

八家と呼ばれる家老八家クラスから、足軽までそれぞれ規模は大小あるが、興味深いのはその屋敷に付属していた庭の使われ方である。武家住宅の庭は大きく4つのタイプに分類される

1:玄関前の前庭
2:台所前の勝手(小背戸)
3:座敷に面する観賞用の庭園
4:宅地背後に広がる背戸(果樹、野菜の栽培用)

このなかで、背戸(せど)といわれる裏庭に注目したい。もともと農民から分化した武士という階級は、身分の低いものほど農民時代の暮らしを引きずっており、住宅の中に、自給自足できるような果樹園や野菜畑として活用した庭をもっていたのである。現在のように庭をほとんどもたない住宅が普及するようになった都市生活者たちの住宅とはそのあたりがまったく異なる。

明治維新により武士という階級が廃止された以後も、そうした果樹園や畑は残り、収穫された果物や野菜を売っていたということである。島村氏によれば、果樹として、アンズ、スモモ(ハダンキョウ)、ビワ、スイミツトウ、ナシなどが植えられ、開花期には庭は一面、花で覆われた花屋敷になったと想像されるという。

それだけでなく、前庭に植えられた樹木もあるのだから、現在の住宅事情とは相当異なり、豊かな環境の中で生活していたことになる。

泉鏡花や室生犀星、徳田秋声らの金沢を舞台とした小説は、そうした江戸の名残のある金沢の建築や庭園、街や街路の様子が繊細に描写されている。つまり、こうした金沢の建築、都市の空間構成を思い描くことなしに、彼らの小説は理解できないということになる。



by kurarc | 2020-04-29 11:15 | 金沢-Kanazawa