レコンキスタ 理解の修正

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小説『ダイヤモンド広場』を読んだこともあり、スペインの歴史の復習をしたいと思うようになった。たとえば、レコンキスタ。日本では国土回復運動などと教科書に掲載されているが、こうした理解はフランコ体制期にみられた「伝統的」な理解であり、近年、大幅な修正を求められている。(以上以下、『スペインの歴史を知るための50章 第7章レコンキスタの始まりとキリスト教諸王国の成長』より)

結論から先にいえば、レコンキスタ初期の段階で、スペイン北部、アストィリアス王国の人口圧による南下政策が発端になっていたという。アストィリアス王国はもともとカンタブリア山麓に居住するバスク系先住民から構成されていたと考えられており、ローマの支配にも西ゴートの支配にも服していなかった地域であり、新たな土地を求めようとしながらも、貢納金を要求してくるウマイヤ朝の分遣隊と衝突することになった。これが、レコンキスタのはじまりと言われるコバトンガの戦い(722年)の実態であると考えらえている、という。

レコンキスタ初期においては、西ゴート王国ともイスラームに対する敵対的意識とも無関係であったということである。アストィリアス王国が9世紀末から10世紀前半にかけてレオン王国となり、その最前線領域に後のカステーリャ王国となるカステーリャ伯領が配置され、ピレネー麓にはナバラ王国、地中海沿岸にはカタルーニャ諸伯領が割拠。こうして、10世紀になってようやくキリスト教国と南部アンダルスとが接触をはじめるようになるということである。

教科書的な理解は歴史を精緻に理解することを妨げるということを肝に命じておかなくてはならない。

by kurarc | 2020-09-12 19:07 | Spain(スペイン)