アントニオ・タブッキ作 『イザベルに ある曼荼羅』読了

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以前、読みかけて途中でやめてしまっていた、タブッキ没後、初めて世に出た小説を一気に読む。タブッキの小説はいままでいくつか読んできたが、わたしには最も優れた作品の一つに思えた。『レクイエム』を読んだものにとって、この小説は必読書なのだが、やっと、ある結論を知り得ることができた。それは、幻のような結論ではあったが・・・

この小説は、第1章、第2章という名称をとらず、第1円、第2円・・・という名称で、第9円で終焉をむかえる。それは、表題のとおり、タデゥシュという亡霊が、一つ一つ曼荼羅を描くように、イザベルの行方を捜していく物語であるからなのだ。彼は、その曼荼羅を描きながら、中心へと進んでいくように旅を続けていく。そして、その中心で出会ったものとは?

タデゥシュの旅は、サラザール体制下のポルトガルを踏まえながら、リスボンから始まり、マカオ、スイス、ナポリ、そしてまたポルトガルのセトゥーバルに戻り、イザベル(亡霊)とアッラービダ(これはセジンブラか?)の桟橋までの船旅へと続いて、ラストを迎える。

タブッキの小説に常に漂う浮遊感は、この小説では特に成功しており、初めてこの小説を読むものには、登場人物の存在感の希薄さに驚かされるかもしれない。そして、それはただ、希薄であるだけではない。一方で強い個性を持ちながらの希薄さなのである。その対立した存在感をタブッキは、見事に描き分けて登場させている。

何気なく散りばめられた、ソニー・ロリンズの音楽、いつもの通り、ポルトガル料理や珍しい酒の名前、最後に、ベートーベンのピアノソナタ26番のほか、訳者の和田忠彦氏によれば、様々な小説の引用に満ちているが、決して、それをひけらかすような描き方ではない。

『レクイエム』を読んだものにとって、イザベルの行方は気になって仕方がなかったが、それは、最後、風のように現れ、そしてまた消えていく、という美しい最期として描かれていた。タブッキが死ぬ間際に残した傑作といえる小説であった。

*小説の中で、翻訳されたポルトガル語で一部気になる記述があった。一つは、ポルトガルのミネラルウォータ「ルーソ」という訳である。これは、日本でこの名称で流通していることが間違いなのだが、正しくは「ルーゾ」である。また、ポルトガルのポルトガル語音で翻訳されるべき箇所を、ブラジル・ポルトガル語音で翻訳している箇所が本書にもみられた。コンテキストがポルトガルなのであるから、これはおかしい。以前にも指摘したが、須賀敦子さんのような著名な翻訳者の本にもこうしたミスが見られた。編集者は特に注意すべきである。

by kurarc | 2020-10-31 14:00 | books(本(文庫・新書)・メディア)