郊外論の整理

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「郊外」という言葉を何気なく使ってしまう。わたしの住む三鷹市は、東京の郊外である、といっても誰もそれは違う、と言い返すものはいないはずである。しかし、1986年、当時『アクロス』の5月号に発表された「第四山の手ゾーンー100倍に拡大した東京西南にライフスタイル・文化のイニシアチブが移動する」によれば、現在、三鷹市は、第4の山の手である。とはいっても、三鷹を山の手と実感する人は、一部の高級住宅街に住む人々を除けば、いまだに多くはないと思われる。

つまり、「郊外」という言葉と「山の手」という言葉が、どうもうまく絡み合っていない気がするのである。やはり、三鷹は東京の郊外だ、といった方が腑に落ちる。あるいは、山の手化した郊外とでも言えばよいだろうか。

図書館で、『昭和の郊外 東京・戦前編』、『昭和の郊外 東京・戦後編』(ともに三浦展編)を借りてきた。郊外に関する論文や、団地研究、郊外住宅地研究、郊外に該当する市史をまとめたものである。膨大な書物(2冊でおよそ2000ページ)であるため、すべてを読むつもりはないが、幸田露伴が『一国の首都』(1899)で大都市のあり方を言及した頃、また、幸徳秋水が「郊外生活」(1908)という文章を書いた頃が、郊外論の出発点で、「郊外(論)」は20世紀が始まった頃と同時に問題視されるようになったということのようである。

一度、上記に挙げたような文学者の郊外論も踏まえた上で、わたしなりに郊外論を整理しておきたくなった。それは、たとえば、パリの郊外(バンリュー)論との比較などもおさえておきたいという目論見もある。

その最大の目的は、「郊外」をネガティブに捉えるのではなく、その可能性がどこにあるのかを見極めるためである。

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by kurarc | 2020-12-27 16:34 | 多摩(東京郊外)-Tama