世阿弥の初心

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世阿弥の著書『花鏡』には、3種類の初心について書かれているという。若い頃の初心、その時々の初心、そして老後の初心だそうだ。老後の初心とは、年代に応じて新しい工夫をして創造的であり続けることを意味するものらしい。(免疫学者、多田富雄氏の言葉より)

わたしも第3番目の初心の年代を迎えているのかもしれないが、最近は大学の頃に学んだこと、学び損ねたことなどが気になり、改めて復習をしている。今最も注視しているのは、バタイユからボードリヤールへの思想の流れをつかむこと。特に、後期のボードリヤールの思想である。

大学時代、ボードリヤールの『物の体系』や『消費社会の神話と構造』といった書物が、多木浩二先生の講義や著書の中でとり上げられたが、その後のボードリヤールの思想の推移を不注意にも追っていなかった。先だって、『ボードリヤール再入門』(塚原史著)を読んだが、彼の後期の著書が現在特に重要であることがわかった。ボードリヤールは、昨今のウィルス(ウィルス的なるもの)が蔓延するような社会の問題を1980年代後半にはすでに掴んでいたのである。それは、彼の書名『透きとおった悪』を見ただけでもわかるだろう。

さらに、新型コロナウィルスのこともあり、現在は免疫学を再度、学習し直している。先に引用した多田富雄氏の著書あたりから読み直している。多田氏の言う超システム(スーパーシステム)など、文化(言語、都市、音楽他)を考える上で示唆に富む。もちろん、これら以外にも興味あることは数多くあるが、確実にものにするために、ゆっくりと進むしかない。

by kurarc | 2021-02-15 21:48 | books(書物・本・メディア)