「小屋」という言葉の時代性

少し前に沖縄の戦前から戦後にかけて活躍した建築家、仲座久雄氏について書いた。その後、彼の戦前から戦中の活動などを調べていたが、仲座は、沖縄戦の中、爆撃から逃れるため、洞窟や避難小屋を転々としていることを知り、「小屋」という言葉が持つ時代性に気がついた。その避難小屋も、多くはセルフビルドで奥さんと共につくりあげたものが大半であり、こうした時代背景を考えると、興味本位で「小屋」という言葉を使うのはやめようと思うようになった。

著名な建築家の中には、「小屋」という言葉をキーワードに著書を出版したり、あるいはタイニーハウスなどの特集もあり、小屋のもつ魅力を伝える情報は現在あふれている。また、鴨長明の方丈記という著作、あるいはソローの影響もあり、「小屋」というものに対する憧れが流布していることも否定できない。しかし、仲座のような世代には「小屋」という言葉に戦中の「避難小屋」を想像させることは明らかであろう。あるいは、3.11で避難生活を送った方々にとっても、「小屋」という言葉にポジティブな意味を想像することはないのではないか。そう考えると、安易にこの言葉は使えないと思うようになったのである。

わたしの仕事にも「杉小舎」と名付けたものがある。「小屋」を使用しなかったのは、わたしの先生の設計した住宅の名称に「・・・舎」を使っていたからである。仮設性を暗示させることもあった。わたしは今後もあえて使うなら「・・・小屋」ではなく、「・・・小舎」あるいは「小さい家」のような表現として使い分けたいと思っている。そして、面白半分に「小屋」の薦め、などのような言説を自ら発することは慎みたいと思っている。

*「小屋」ではなく、「小さい家」という言い方のほうが優れていると思う。

by kurarc | 2021-03-03 19:25 | 建築活動記録