『戦争論』(多木浩二著)を読む

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多木先生の『戦争論』(岩波新書)を読了。多木先生の著書としては異質な仕事かもしれない。批評というより、歴史書に近い気がする。1999年9月20に発行されているが、ちょうど20世紀が終わろとしているとき、特に20世紀の戦争についてまとめておきたいという強い意志があったのだろう。


この著書を理解するためには、少なくとも、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』と、ヴァルター・ベンヤミンの『暴力批判論』(現在、『暴力の批判的検討』と訳される)は理解していなくてはならない(もちろん、この2著作だけではないが)が、多木先生が本書の中で、簡潔に要点をまとめてくれているため、2著作のおおよその概要は把握できる。


本書の出発点は、まず安易に政治と戦争を結びつけることを避けることであり、戦争に対する新たな認識を持つことの必要性であるとしている。簡潔に言えば、政治の延長として戦争(クラウゼヴィッツ)があるのではなく、戦争が政治を条件付けている(カール・シュミット)ことであると多木先生は述べている。


次に、多木先生によるベンヤミンのまとめの中から重要と思われる点をあげると、(多木先生も『暴力批判論』は難解であるとしているが)、国家と法と暴力の関係についてであろう。ベンヤミンは、国家が法として、軍事力、戦争権その他を制定するように、暴力が法を「措定」する、暴力が「法を維持する」と言い表しているとする。つまり、このことは国家がある限り、暴力はなくならないことを意味する。よって、ベンヤミンは国家暴力を廃止することにより新しい歴史的時代が創出されると考えるため、暴力=戦争の廃絶は国家の廃絶と重なるとしている。(以上、多木先生によるベンヤミンのまとめ)


本書は、その他、日本における軍隊国家の誕生について、冷戦から内戦へと進んだ20世紀という100年戦争時代について進み、最後に1999年に起きた、ユーゴスラビアへのNATOの空爆がグローバル化した新たな戦争のタイプを示したとする。冷戦の終結より、国民国家へ性急な均質化を求める国においては、民族紛争という内戦を生み出し、他方、中国のような連邦制をとらない国家においては、今まさに一つの中国へという均質化(民族浄化?)により、多くの少数民族に対する暴力が実行されている。


今後、「戦争機械」と等しい国民国家はどのように変化しなければならないのか。EUのような国民国家を超える上位の政治的、経済的統合が必要なのか、あるいは、世界にいくつもの共同体が併置されなければならないのでは・・・多木先生の思考は進んでいく。


最後に、多木先生は1999年に起きたユーゴスラビアへのNATOの空爆(アメリカによる)は、アメリカによるヨーロッパ諸国に対するバルカン紛争解決のイニシアティブであり、地球規模でのインペリウム(帝国)の維持のための足がかりだが、それを全世界へと広げていくことは不可能であるとみなしている。


いまだに多くの内戦が続いているが、本書は、今後起きるかもしれない戦争について、リアリティをもつための重要な視点を与えてくれていると思う。


by kurarc | 2021-03-29 21:27 | books(書物・本・メディア)