中島敦 『山月記』を読む

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ちくま文庫に「教科書で読む名作」のシリーズがある。その中で、中島敦の『山月記』を何十年ぶりに読んだ。このシリーズの意図するところは、教科書の中にとり上げられる名作は、一般的には通俗的な解釈を教師に指導されてしまうが、それらの作品を改めて取り上げ、その作品の本質を問い直すためのシリーズと思われる。教科書のように振り仮名や地図、簡単な図などが配慮されていて、作品を鑑賞しやすいように編集されている。


『山月記』は多分、わたしの記憶では、高校の教科書にその一部が掲載されていたように思う。難しい漢字が多く、高校当時はとっつきにくい文学作品と感じた。いい歳になって改めて読んでみると、その作品内容は意外とシンプルであることに気づかされる。


李徴(りちょう)という才能に恵まれたと(勝手に)思っている主人公は、官吏職についていたのを退き、人との交わりを断ち、詩家として名を残そうと一人閉じこもり、詩作に励む。しかし、その望みは容易に達成することはできず、ついには発狂し、行方不明になってしまう。その李徴はその後なんと虎になってしまっていた・・・そこに、昔の友人である袁惨(えんさん)が李徴(虎に変身している)に出くわして・・・というのが前半の物語である。


こうした変身譚というとすぐにカフカの『変身』が思い浮かぶ。中島は早くからカフカに注目していたらしく、1936年頃にはすでにこの『変身』も読んでいるようだが、中島の変身譚としての『山月記』は自己の内省にとどまり、教訓めいた小説になってしまっていて、カフカのような異空間を感じさせる小説とは性格が異なる。


それでも中島敦の『山月記』に大きな魅力があるのは、なんといってもその難解な文体、書法にあるとわたしは思った。漢学を代々学ぶ家系に生まれたこともあり、漢学を基礎とした文体は一切の無駄がなく、簡潔であり、品格がある。中島のように言葉を配置できる人間はそうざらにはいない。


今回、中島敦の生涯を改めて俯瞰してみると、日本が帝国主義へと進んでいくまさにその真ん中を中島が生きていたことを知り、そうした経験、知見が他の作品にどのように表現されているのか知りたくなった。また、空いた時間に中島の他の作品を渉猟することにしたい。


*この虎への変身を人間のもう一つの顔のような展開にもっていければ、『山月記』はもう少し現代的な小説に変化していたのではないかと感じられた。そのように感じられる場面も含まれてはいたが。


by kurarc | 2021-04-05 20:32 | books(本(文庫・新書)・メディア)