ブルーノ・タウト以後の国立工芸指導所

わたしは修士論文でブルーノ・タウトをテーマとし、日本におけるタウトの受容と評価を中心に論じた。タウトは日本に来日したのはよかったが、良質な仕事には恵まれず、苛立った日々を過ごすことになるが、その中で、わずか4ヶ月という間ではあったが、仙台にあった国立工芸指導所の嘱託として迎えられ、事業計画を作成し、日本のデザイナーたちに大きな影響を与えた。


しかし、わたしはタウトが日本を去って以後、その国立工芸指導所がどのような活動をしていったのかトレースしていなかった。4月末に沖縄に行き、改めて米軍の与えた影響が気になり、帰って色々調べている中で、終戦後、GHQのデザインブランチの活動、また、『デペンデント・ハウス』(ディペンデンツ・ハウスと表記されるべきだろう。アメリカの占領軍住宅を示す)という書物があることを知り、そのなかで、工芸指導所が占領軍住宅内の家具等の設計を担ったことを知った。


偶然にも沖縄に行ったことで、タウトを思い出すことができ、タウト以後の日本のモダン・デザインについて考え直すきっかけを与えてくれたのである。占領軍住宅内の家具、什器などのデザインは、戦後のモダン・デザインを牽引するデザイナーたち(たとえば、剣持勇他)が参加しており、デザイナーたちへの影響は大きかったと思われる。また、わたしはモダン・デザインをヨーロッパからのアプローチに偏って俯瞰していたが、アメリカ経由の影響についても考え直すべきことに気づかされた。ケーススタディ・ハウスといった建築やイームズの建築、家具、ミースの建築といったアメリカのモダン・デザインだけでなく、日本に固有な影響を与えた占領軍経由の建築、デザインについても考えるべきであったのである。


以前、2008年から2009年にかけて横須賀のミリタリー・アーキテクチュア(海軍技術工廠時代の倉庫、工場など)の遺産についてフィールドワークを行い、JIA神奈川に所属していたとき、実行委員長として横須賀において2日間にわたるエクスカーション、シンポジウムを行なったが、その活動と連続するようなテーマと言えるようなものを見つけることができたと思っている。


今頃の歳になって、今までやってきたことがすべて繫がっているように思われてきた。大学卒業後、沖縄に行ったことは、その後、ポルトガルという大航海時代(大交易時代)でつながる国へ行くことを誘発され、沖縄からグランドツアーで行った国々をトレースするなかで、タウトを研究し、アメリカの占領軍と繋がっていき、また沖縄にもどってきた・・・


人間のやることに偶然などない、ということなのかもしれない。


by kurarc | 2021-05-07 23:07