室町時代の和船に関するメモ

木材を用いてつくられた和船時代の船の構造は、建築を学ぶものにとって興味深い。船はいわば、木造建築の屋根をひっくり返した形のようであり、船大工と城大工、あるいは神社仏閣を手がける棟梁との間には、技術の交換や伝承があったことが予想される。


和船の構造を見ていくと、大きく進歩した時代は、まず室町時代であったことがわかる。室町以前は準構造船と呼ばれ、船底の瓦といわれる箇所は刳船の形式を踏襲していた。刳船は、木材を刳り貫いてつくっていたときの名残であり、強度、耐久性は確保できたが、木材の大きさに左右されるために、大型の船を建造することが困難となる。


それが、構造船と呼ばれる船になると、船底から刳船部が消失し、航(かわら、キール(竜骨)にあたる部分)と呼ばれる厚い板から面木、中棚、上棚と木材を継ぎ合わせ、それらの間を下船梁、中船梁、上船梁でつなぐ構法、構造に変化した。ジャンクと言われる中国型帆船からこうした変化が存在したが、純日本式の構造船には、屋形や帆装など日本型の特徴が顕著に現れた。この時代は遣明船として運行していたが、こうした構造の船は、遣唐使船の頃から大きく進歩したのである。


この船体構造は、後の、伊勢船、二形船(ふたなりぶね)、弁才船(べざいせん)などの先駆となったものである。いわゆる北前船は正確には北前型弁才船というが、この船の構造は、船を横に貫く梁(かつての下船梁)を厚さを増した船底の航(かわら)、根棚や中棚に接触させ、支えるよう肋骨状に変化させ、さらに、船首尾の反りも大きくし、強度を向上させたものである。


*以上、『日本の船を復元する 古代から近世まで』(監修 石井謙治)による。


by kurarc | 2021-06-06 23:45 | design(デザイン)