松尾芭蕉と時計

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角山榮著『時計の社会史』をながめていると、興味深い章が目に入った。「「奥の細道」の時計」という章である。奥の細道と時計?いったいなにが関係するのか?


角山氏は、芭蕉に従って旅した曽良(本名 河合惣五郎)による『曽良旅日記』のなかに、芭蕉の毎日の旅の行動が時間を追って詳しく記されているというのである。それは、卯尅(うのこく)であるとか辰ノ上尅(たつのじょうこく)といった当時の不定時法による時刻である。曽良はどうやってこうした時刻を知ったのかという疑問が生じる、ということである。


芭蕉と同時代、エンゲルベルト・ケンペルは1693年、『江戸参府旅行日記』を残していて、こちらにも15分単位の細かな時刻が記されている。ケンペルはすでにオランダで製造されていた懐中時計をもっていたことがわかっている。それでは、芭蕉は懐中時計をもっていたのだろうか?どうもそれは考えられないらしい。


まず考えられるのは、日時計(下写真、 HP TIMEKEEPERより借用)ではないかと角山氏は推測する。驚いたことに、わたしも初めて知ったが、江戸時代、日本では旅行が活発に行われ、地図、旅行用品から馬や人夫の料金、通行手形の形式、名所、気象学、潮の干満表などが掲載された今でいうガイドブックが流通していて、その中に、紙縒(こより)を立てると出来上がる日時計までついていたという。こうした状況は同時代のヨーロッパより進んでいたらしく、たとえば、イギリスで庶民が旅行をするようになるのは19世紀半ば以降鉄道が発達してからだという。


芭蕉は日時計をもっていたのか?角山氏は、もし日時計をもっていたなら、芭蕉の俳句のなかに日時計が詠まれてもよさそうだが、それは登場しない。よって、日時計でもなさそうだと結論づける。それでは、何か?次は梵鐘、つまり鐘の音ではなかったかと推測する。


芭蕉の時代、実は梵鐘は全国に普及していた。日本は当時、世界一といわれる産銅国であった。オランダ経由で世界に日本の銅は流通したようで、日本からの銅量いかんにより、アムステルダムの銅相場が左右されたという事実があるという。梵鐘は、仏事用であり、寺院に設置されたが、その後、時の鐘としての時鐘への必要性が増し、製造されるようになる。それ以前にも時をつげる鐘の音は特に武士の組織的軍事行動を支えるものとして重要性を帯びるようになっていた。日常生活のなかに時間規律が普及していったのである。


それとは別に、当時、香時計というものも存在した。一種の火時計で、大香炉のなかに樒(しきみ)の粉末香を1本の線で描き、線の端から点火し、火の回り、つまり燃焼速度で時刻を定める方法である。しかし、こちらも場所が必要になるし、芭蕉が訪れた街にすべてこうした香時計が備わっていた確証はない。


角山氏は結局、芭蕉(曽良)がどのように時刻を知ったのか、その結論は述べていない。この章の目的は以上のような推測を楽しむこと、そして、芭蕉の時代の時計文化を明らかにすることだったようである。


*芭蕉については、2020年8月29日のブログに、『松尾芭蕉の道行き 歌枕という廃墟』という表題で、芭蕉が歌仙という型式を踏まえた「おくのほそ道」の旅の構造について、長谷川櫂氏の著書から学んだことを取り上げた。

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by kurarc | 2021-07-10 23:44 | books(本(文庫・新書)・メディア)