映画『夕霧花園』を観る

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ユーロスペースにて、映画『夕霧花園(ゆうぎりかえん)』を観る。正直、評価の分かれる映画であろう。第二次大戦中のマラヤ(現在のマレーシア)を中心に映画は描かれているが、1980年代とフラッシュバックを交互に行いながら、過去と現在をうまく描きわけていた。マラヤは、英国の植民地の後、日本軍が占領。占領中、日本軍は他のアジア諸国で行なったような愚行を行う。そのような時代での日本人庭師(中村有朋を阿部寛が演じる)と女性華人(ユンリンをリー・シンジェン、シルヴィア・チャンが演じる)との恋が描かれている。普通であれば、恋など成立しないはずである。成立しないはずの恋をどのように映画の中でリアリティをもたせられるのかがこの映画の第1の壁であったはずである。


第2の壁は、日本人庭師が語る日本文化としての作庭についてである。阿部寛演じる庭師は、論理的な言葉ではなく、寓意的な言語を使いながら、日本の文化を語る。ある意味で、確信をはぐらかすような物言いである。そうした言葉使いを日本人は理解しやすいが、日本人以外の国の人間がどのように理解するのか。それは冒険であり未知数であったはずである。


監督のトム・リンには、以上のような壁(その他、マラヤ共産党の描き方など)をどのように超えていくのかが試された映画だったと思う。わたしは映画を観終わって、超えられたのか、越えられなかったのかいまだにはっきり断言できない。この映画は、リン監督がその難題に挑戦したことは確かであり、わたしは映画として成功したのではないか、と評価したい。


日本人の愚行を一方で描きながら、その愚行を罪と意識し、華人を一人でも救おうとする庭師の姿は、マレーシア人(マレーシアの華人)には理解不可能かもしれない。そんなことで、罪を償うことはできない、と誰もが思うだろう。しかし、この映画は、そうした日本人のささやかな罪滅ぼしを美化するのでもなく、華人の悲劇を大きく取り上げるのでもない。強調されるのは、成立するはずのない、あるいは、どうしようもない男女の愛情が時間の経過の中で成熟し、お互いを理解し合える場所に導いたということである。(もう一つ、この映画にはミステリーが組み込まれているが、それは観ていただくしかない)


この庭師という難しい役を阿部寛さんはよく演じていたと思う。彼からは映画『テルマエ・ロマエ』の印象が強く、ユーモラスな役を演じる俳優というイメージが抜けなかったが、この映画での物静かな演技もなかなかよかった。今後の活躍に期待したい。


*今日は映画公開初日ということで、映画館でマレーシア紅茶「BOH Cameronian GOLD BLEND」(下写真)をいただいた。マレーシア紅茶は初めてだが、風味がまろやかで、今まで飲んだ紅茶のなかで一番おいしいかもしれない。お薦めである。


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by kurarc | 2021-07-24 16:57 | cinema(映画)