Passage du Grand-Cerf(パサージュ・デュ・グラン=セール)

Passage du Grand-Cerf(パサージュ・デュ・グラン=セール)_b0074416_00074091.jpg


NHKの世界ふれあい街歩き「パリ・オペラ座界わい」(2009年12月10日の再放送)をみる。オペラ座界わいは、パサージュが多いことで有名だが、この番組でも、大半がパサージュの紹介といったプログラムとなっていた。


パリのパサージュは、初めてパリを訪れた1984年7月10日から18日の間に16箇所のパサージュを巡った。テレビの中で紹介されたパサージュはすべて見学していたが、最後に紹介されたPassage du Grand-Cerf(パサージュ・デュ・グラン=セール、上写真Wikipediaより)の記憶は定かではなかった。


鹿島茂氏の著書、『パリのパサージュ』(平凡社)で早速調べてみると、わたしが見学した1984年、鹿島氏もこのパサージュを訪れていて、ほとんどの店が扉を閉ざしていたとあるから、印象が薄かったのだとわかった。このパサージュに限らず、訪れたほとんどのパサージュは1984年当時、活気がなく、荒廃していたのである。以前このブログに書いたが、ベンヤミンの『パサージュ論』出版の影響もあり、活気がもどってきたのは1990年代になってからのはずである。


Passage du Grand-Cerf(パサージュ・デュ・グラン=セール)は、その後、再開発に成功したらしく、テレビで見た限り、美しく、活気のあるパサージュに甦っていた。このパサージュは、他のパサージュに比べ、歩廊の天井高が高く、歩いていて心地好さそうである。4階が住居になっていることも初めて気づかされた。グラン=セール(大鹿)という名称は、パサージュ建設以前に「オテルリ・グラン=セール(大鹿館)」という巨大なホテルがあったことにちなんでいるという。


但し、鹿島氏によれば、このパサージュは、サン・ドニ通りに面していて、この通りはもともとポルノ・ショップが多く、街娼が立つ通りだっただけに、現在は再開発に成功はしているが、地霊は強力だから予断を許さないのではないか、と付け加えている。


by kurarc | 2021-08-09 00:05 | France(フランス)