中尾作助著 『花と木の文化史』を読む

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昨日のブログで、箱根湿生花園に行ったことについて書いたが、たまたま中尾佐助著『花と木の文化史』を先週末読み終わったこともあってのことであった。こうした花卉(かき)園芸文化の書物を読んでいて、急に箱根湿性花園を思い出したのである。


この新書は名著といってよく、主に花と庭木という花卉園芸の文化史について、日本のみならず、世界の花卉文化を踏まえ俯瞰した内容となっている。はじめの方で、「庭と花文化」という章があるが、ここでは庭のタイプを4つに分類して、日本で特に花卉園芸が発達した要因を空間のレベルから論じている。


その4つとは、


1)遊牧民

アフリカ-フラニー族、モンゴル族など

2)裸地の共有地があるタイプ(日本の縄文時代がこれに含まれる)

アフリカ-ピグミー族、ニューギニアなど

3)家屋の外周部にテリトリーがあるタイプ(日本で典型的にみられる)

アフリカ-黒人二グロ、東南アジア、アルプス以北の西ヨーロッパなど

4)中庭型(中国の「四合院」と呼ばれるタイプなど)

中国華北地方、イスラム教圏、アラブ語圏など


かなり大雑把な分類ではあるが、家屋の外周に広大な庭をもつような住居があった日本では、必然的に果樹や菜園を作る余地があったとするもの。反対に、中庭型の住居では鉢植え程度の花木盆栽が中庭に置かれる程度で、住居のなかに花や庭木を取り入れるには不都合であったということ。しかし、日本にも町家のような住居形式が都市部ではあったのだから、3)のようなものだけで説明するのは少し無理があると思われる。


日本で特に花卉園芸が全盛期を迎えるのは江戸元禄期あたりのようで、徳川の三代将軍らの並外れた「花癖」と呼ばれた嗜好が庶民へと広まっていったのがちょうど元禄期の頃になるという。参勤交代で江戸に暮らした武士らは、自らの大名屋敷内に競って造園するようになり、そうした文化が地方へと波及することになった。その証拠に、この時代には多くの花卉園芸書の出版されている。(貝原益軒著『花譜』ほか)この時代、日本はすでにヨーロッパや中国を凌駕する花卉園芸大国といってよい状態となっていたが、明治に入り、衰退していくことになる。


元禄期、日本での特色と言われるものの一つに植物の人工交配を行わなかったことがあげられるそうである。それは、宮崎安貞著『農業全書』で展開された中国の陰陽五行説に基づく哲学のせいだという。植物のオスメスを陰陽と理解する珍説であったようで、その説に支配され、人工交配に踏み切るものが出てこなかったというのである。この説が翻るのは幕末になるまで待たなければならなかった。


現在、フラワーショップにある花卉は菊以外、ほぼ外来種の植物であるという。本書では日本だけでなく、そのような状態になるまでの全世界の花卉の文化史についてもふれている。中尾氏は、全世界を旅してこうした花卉文化の相対化を本書で行なっているのである。できれば、本書で取り上げている植物名、樹木名を最後、索引としてまとめてほしかったが、こうした小著では難しかったのだろうか。


by kurarc | 2021-09-20 20:02 | books(本(文庫・新書)・メディア)