2冊の沖縄本

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この1週間で2冊の沖縄に関する本を読んだ。1冊は司馬遼太郎著『街道をゆく 沖縄・先島への道』で、もう一冊は、高山羽根子作『首里の馬』である。


まず、司馬氏の著作だが、このシリーズを読むのは、『南蛮のみち』以来である。およそ、50年前の旅行記であるが、その内容はまったく錆びついているようなものでなかった。司馬氏の知見、含蓄が数多く含まれる内容であるが、知識を見せびらかせるような文章でなく、非常に読みやすい。


沖縄本島に関する内容が3分の1、大半は先島に関する旅行記である。沖縄編では、島尾敏雄氏に那覇で会い、琉球弧という島尾が提唱するフレームについて話し合っていたり、当時、沖縄の看板にローマ字表記が使われていないなど、日本復帰後2年目の那覇の様子(つまり、アメリカ的なものの排除)が伺える記述もある。


先島に関する内容で特に興味をもったのは、先島での鉄器導入の時期に関することである。沖縄諸島では砂鉄が産出されなかったため、鉄器の導入はかなり遅れた。一方、その遅れにより、農耕は生産性がひくく、逆に土地の所有欲は希薄になった。つまり、大型の闘争は起きにくく、平和であったというのである。


また、沖縄における蒸留酒(泡盛)の製造の経緯などの記述も司馬氏らしい捉え方である。沖縄も、もともと酒は醸造酒であった。古代の日本でもそうであったが、沖縄でも未婚の少女が米を口の中で噛み、それを唾液とともに臼のような容器に貯め、発酵させた。いわゆる、「カモス」といわれる行為だが、こうした酒の製造法は石垣島では近代まで行われていたのだという。蒸留酒については、アラビア人が中国に蒸留酒をもたらし、広東酎(カントンチュウ)、漢江酎(ハンカオチュウ)などが生まれたが、それらが沖縄(琉球)に伝わったのではないかと予測している。司馬氏は民俗学に詳しくはないと謙遜しているが、本書は、司馬民俗学の一端を垣間見ることができる良書である。


もう一方の、『首里の馬』は、2020年の芥川賞受賞作である。わたしは偶然、古本屋で見かけ購入した。芥川賞や直木賞の作品を読む習慣はないが、今回は、沖縄という場所の設定もあり、興味深く拝読した。


小説のテーマはいくつかある。アーカイブ(記憶)を残すことの難しさ、団塊の世代の生き様、インターネットによるコミュニケーション、シュルレアリズムを思わせるような馬の登場、そして、沖縄の歴史との錯綜・・・etc。小説は非常に読みやすかったが、タイトルの「首里・・・」であるが、首里の話はほとんど出てこないので、なぜこのタイトルなのか疑問をもったことと、アーカイブの具体的な内容の記述が不足しているせいで、沖縄を舞台としている必然性に欠けるような気がした。わたしは小説をあまり読む方ではないので、小説の本当の良さはわからない。それでも芥川賞を受賞した作品であるので、もっと深い読み方があるのだろうが、わたしには何か物足りない感じの小説であった。


今月末から今年2度目の沖縄の旅となる。今回は、わたしが沖縄に行くきっかけとなった小学校の解体が決まったということもあり、その小学校の見学会を旅に含ませている。今回も、わたしなりの沖縄建築学、民俗学を深めるための旅としたいと思っている。


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by kurarc | 2021-10-04 19:14 | 沖縄-Okinawa