アンネ・フランクのバラ
行ってみると、ちょうど開花していた。このバラは、もともとアンネの父、オットーが平和祈願のため、アンネの隠れ家の庭にあったものを世界中に広めたバラだという。アンネはバラ好きで、このバラを隠れ家から眺めていたらしい。
1984年、アムステルダムに行ったときに、アンネ・フランクの隠れ家(現在のアンネ・ハウス)となった住居を訪ねた。アムステルダムは建築を学ぶ者にとって重要な都市である。主にアムステルダム派といわれる建築家たちの仕事を見学したが、その他、リートフェルトやヘルツ・ベルハーの仕事なども見学した。アンネの隠れ家へはその合間をみて訪ねた。
この隠れ家を見学したのは、沖縄から出発する前に、わたしが勤務した建築事務所の所長である建築家、末吉栄三さんが沖縄タイムズという沖縄の新聞に建築に関するコラム記事を25回掲載しており、その中に、このアンネ・フランクについて取り上げていたからである。たとえばウィーンについては、カール・エーンという建築家の仕事、カール・マルクス・ホーフについて取り上げられていた。ウィーンに行ったおりには、この集合住宅を見学したが、当時のわたしの知識では、ウィーンでこの建築を見学するような教養は持ち合わせていなかった。
アンネの隠れ家は建築家が関わったような住居ではないが、アムステルダムに行ったおりには必ず見学すべき住居であると思う。世界中の各都市にはそれぞれ必ず訪ねるべき建築がいくつかあるが、それは、その時持ち合わせている知識や教養、興味と密に関わるということになる。末吉さんの記事は、わたしが見学すべき建築(場所)へのアドヴァイスとなったのである。
アンネ・フランクのバラは手入れが行き届いているとは思えなかったが、それでも美しく咲いていた。わたしにとって、アンネの記憶は、沖縄での記憶とつながっている。
by kurarc | 2021-10-16 19:32 | nature(自然)