沖縄の旅-02 2021年11月1日

沖縄の旅-02


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11月1日は、単独で歩く。まず朝一番で、浦添城跡、浦添ようどれへ。伊波普猷によれば、浦添城は首里が中心になる以前の支配者の拠点であったとされる場所であるため、再度この場所を確認しておきたかった。こちらも36年ぶりに訪れた。浦添ようどれは、英祖王(えいそおう 1260~1299)の墓と尚寧王(しょうねいおう 1589~1620)とその一族の墓である。「ようどれ」は「夕凪」を意味し、静寂なイメージから「墓」の意味に用いられるようになったという。


ようどれ入口のアーチ門であるが、久高島の方角からのぼる冬至の朝日がこのアーチ門のなかに現れ、光を放つような位置に計画されているという。太陽の子としての王は、太陽の力が衰える冬至に儀式を行い、太陽と国王の再生復活を願ったのでは、と推定されている。本来であれば、この場所は、冬至の日の出前に出かけ、朝日がでるのをここで待つのがよいのかもしれない。



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次は浦添城からタクシーに乗り、港川外人住宅街へ向かった。こちらを訪れるのは初めてである。当初、米軍人住宅として建設されたものであり、現在はレストラン、カフェなどとして活用されている街である。沖縄でスラブヤー(コンクリートスラブ+家)と呼ばれているリノベーション事例を見学することが目的であった。外人住宅は、およそ10cm厚程度のコンクリートスラブが60cm程度の軒の出として四周に巡り、エントランス部分のみ1m程度の軒の出となったシンプルな鉄筋コンクリートの住宅であった。外壁は白を基調とし、雨戸にそれぞれカラフルな彩色が施されていることもあるが、沖縄のなかでも乾いた住宅街という印象であった。




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その次に、モノレール駅の浦添前田駅にタクシーで戻り、モノレールで移動、石嶺駅近くの石嶺市営住宅を見学した。那覇市には復帰前後に建設された市営住宅がまだ一部残っているが、それらが解体され、建て替えられる前にどのような住宅団地であるか確かめておきたかったのである。石嶺市営住宅は、老朽化し、入居者もかなり少なかったが、この市営住宅が建設された当初は、本土の公団住宅のように、かなり斬新な住まいという印象が感じられたのではないだろうか。この市営住宅には、後で知ったのだが、沖縄出身の著名な女性歌手であるN.A.さんが住んでいたと聞く。この市営住宅の道路をはさんだ向かい側に石嶺中学校(末吉栄三設計)があり、そちらへ通っていたという。





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今日の最後は、首里城へ一度戻ってから、壺屋の街へと向かった。壺屋の新垣家住宅(重要文化財)を見学するためである。平日であったため、外部からのみの見学となったが、不定形な敷地になじませるように一部曲面状に壁が折り曲げられて建てられていた。戦災を奇跡的に逃れた住宅とのことで、登り窯も敷地内に残されていた。日曜、祭日のみ開館とのことなので、旅の最終日、11月3日に再度訪れることにした。




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by kurarc | 2021-11-08 22:52 | 沖縄-Okinawa