沖縄の旅-04 2021年11月3日

沖縄の旅-04


沖縄の旅はいよいよ最終日である。まずは、11月3日、10月31日にオープンした那覇文化芸術劇場なはーと(下写真)が市民向けに公開されるということなので見学へ。こうした施設が那覇の中心に集中しすぎるのでは、という意見もあるようだが、わたしの住む東京の三鷹市にもこれほどの施設はもちろんなく、羨ましい限りであった。首里織(花倉織)をモチーフとしたと言われるレース状のスクリーンが印象的な沖縄らしい建築である。今回の旅でもずっと付き合ってもらった末吉研究室の後輩O君が、コルビュジェのチャンディガールでの協働者マックスウェル・フライのナイジェリア大学の仕事に同様なスクリーンがあると教えてくれた。設計者は多分、首里織から直接ヒントを得たというより、フライの仕事から大きなインスピレーション得たと思われる。こうした観点は建築を専門とする人間からでないと出てこない。専門家と素人との建築の見方の大きな違いである。なはーとで再び末吉研究室OBのO君、OGのGさんと合流、内部の大小のホールやエントランスホールほかをゆっくりと見学し、その後、昼食のため桜坂劇場へ。




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昼食後、さらに末吉研究室OBのA君も合流して、壺屋焼物博物館から1日に見逃した壺屋の新垣家(重要文化財)へ。新垣家は外観(下写真)を見た時、ポルトガルの建築家シザ・ヴィエイラ(ポルトガルでは、アルヴァロ・シザ、というよりシザ・ヴィエイラという)の仕事、Boa Novaというレストラン(+ティーハウス)を思い出した。屈曲した白壁と赤瓦のせいかもしれない。残念ながら新垣家は居住者がいることもあり、敷地内に入ることはできるが、建物内部の見学はごく一部と登窯である東ヌ窯(アガリヌカマ 下写真)の見学のみであった。戦前はこのクラスの住宅が数多く残っていたのだろうから、壺屋の街は街自体が重要文化財となってもおかしくはなかった、ということになる。




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その後、A君の案内で、ちょうどコンクリートブロックを使用した彫刻で著名な能勢幸二郎さんの彫刻作品展が開催されているということで、その会場へ向かう。能勢さんの仕事は沖縄に滞在していたときから知っていたし、那覇の街中でも能勢さんの彫刻は数多くみることができるが、この作品展では新たな展開が見学でき、興味をもった。それはコンクリートブロックによる巨大な押印のような作品であり、白い紙に押し付けて文字を浮かびあがらせるというコンセプトであった。能勢さんの仕事は、既成品としてのコンクリートブロックから様々なかたちを発見し、引き出す手法を貫いており、ミニマルであり、コンセプチュアルな仕事でもあると思う。




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旅の最終はO君の行きつけの節子鮮魚店という飲み屋さんで打ち上げである。正直店内は汚いが、店内にはボサノヴァが流れ、汚い店にもかかわらず多くの若者たちも利用する沖縄らしい飲み屋さんである。オーナーはわたしとボサノヴァ話をしたかったようだが、飛行機の出発時刻がせまり十分に話し込むことはできなかった。またの機会にできればと思う。



36年前、わたしが沖縄に住み始めてすぐ、早朝、那覇港から三重城あたりを散歩していた時のことである。海の彼方を見つめる白く長い顎髭をはやした老人に出会った。本土ではこうした老人は見かけることはない。なにか不思議な感覚であった。そのことをO君に話すと、それはユタになる人がみる白い老人(神様)に違いない、というのである。その老人が白い服を着ていたのかどうかは思い出せないのだが、その経験はいまでも現実なのか夢なのかわからないような現実の体験であった。沖縄にこうして頻繁に旅することができるようになったのもその老人の力なのかもしれない。さらに末吉先生のお墓参りにいったとき、「沖縄で働いていたことを忘れるなよ」という声が聞こえてきたような気がして、何十年かぶりに沖縄へ引き戻されたような感覚になった。沖縄に対する勉強不足をこれから少しでも補っていきたいと思っている。


by kurarc | 2021-11-12 21:16 | 沖縄-Okinawa