東西南北考 序論

10月末から11月初旬にかけての沖縄での旅で、東京に日々暮らしている中ではなかなか気づくことができない情景にいくつか出くわした。その一つは、方位(大きくは太陽をはじめとする天体の運動)に対する感性である。

浦添ようどれ入口のアーチ門のように、冬至のとき、東から登る太陽の光がその門を照らすように計画されているなど、沖縄では太陽、月、星の運動や東西南北のような方位と建築物、都市が連関しながら計画されているという事例に数多く遭遇するのである。東京のような都市では、街を歩いていても建築(人工物)という山でできた谷筋を歩いているようであり、人の視線はその中に埋没してしまい、太陽や月、星をゆっくりと眺めるような感性が衰退してしまう。相当の天体マニアでないかぎり、夜空をゆっくりと鑑賞するような時間をもつことはまれであろう。わたしもそうしたものの一人であった。

しかし、沖縄のように四周に開かれた土地の上にたち、水平線を眺めるとき、改めて天体の運動や方位への感性が刺激されるのである。沖縄から帰り、古代における道の建造について調べていると、東西南北の測定方法には様々な方法があるのだが、太陽を利用する方法、北極星(あるいは周極星)を利用する方法など未だに諸説が展開されていることを知った。

たとえば、古代の道は今までインディーサークル法という太陽の影を用いて、東西を決定し、その後、それに直交する線を南北とする方法で測量したという定説が一般的であったが、古代の道の発掘調査から、古代の道(たとえば奈良の上ツ道や中ツ道、下ツ道など)は真北を指し示しているものは稀であり、固有な振れ(方位の癖)があり、ある学者は、北極星(当時の周極星と思われる)を測量して南北を直接決定したと結論づけているものもいる。

そもそも、建築物や都市において方位や天体の運動は如何なる意味をもっていたのか、あるいは、東西南北をどのような感覚で古代人は感じていたのかといった根源的な問題を知りたくなってきた。こうした問いを発することができるようになったのも、沖縄のような東京文化圏とは大きくことなる文化に触れたことが大きい。

まずは、文化の中の天文学や民俗学(あるいは建築学)の中での方位等々といった領域を当面渉猟してみようと思っている。

by kurarc | 2021-11-21 16:11 | 沖縄-Okinawa