ブエノスアイレス逍遥

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本棚の奥に、海野弘著の『四都市物語 ヨーロッパ・1920年代』という書物が隠れていた。すっかり忘れていたが、引っ張り出して見てみると、沖縄に滞在していた頃(36年ほど前のことになる)、宜野湾市真栄原にあったロマン書房という古本屋で購入したものであった。パリ、ベルリン、モスクワ、ロンドンが取り上がられているのだが、なぜか最後にラテンアメリカについてふれられていて、海野氏はボルヘスについてのエッセイ風の小論を掲載していた。この本、わたしはパリの章のみ読み、ほったらかしにしていたが、まさか、ボルヘスについてのおまけがあることは今までまったく気づいていなかった。


海野氏はボルヘスが晩年、ブエノスアイレスの場末、無法者など都市のアンダーワールドを取り上げ、何気ない、ありのままの物語を著すようになったことを書いている。ボルヘスは晩年、視力をほぼ失ったことから、こうした物語への転換は、口述筆記が必要になったことも関連していると思われるとしている。実は、ボルヘスがブエノスアイレスの物語記述へと転換したのは、理由があったのである。それは、『ブロディーの報告書』(岩波文庫)の解説で訳者の鼓直氏がふれているように、晩年、ボルヘスは若手の作家、批評家からアルゼンチン的なものを排除するような文学を創造し続けてきたことに指弾の声を浴びせられていたのである。さすがのボルヘスも気になったのか、バロック的文体を平易で直截的文体に改めてたという。こうして、ボルヘスの中に、改めて幼少の頃のブエノスアイレスの経験(つまり、アルゼンチンへの回帰)が彼の主題として浮上してくることになった。


ブエノスアイレスといえば、ル・コルビュジェのクルチェット邸を思い出す。助手をしているとき、この住宅の模型を有志の学生たちと1/30のスケールで製作した。分棟形式の空間がひとつにまとめられた建築は見事で、その内部空間を把握するのに手こずったが、コルビュジェの住宅を理解するためのよいトレーニングになった。この住宅は、最近、映画『ル・コルビュジェの家』でアイロニカルに描かれ話題となった。この住宅と隣接する住宅とのトラブルを扱ったこの映画は、思いがけない結末をむかえる。


さらに、ブエノスアイレスといえば、タンゴだが、わたしがここ35年以上聴き続けているCD『エル・タンゴ ミルバ・アストル・ピアソラ』は、パリのブッフ・デュ・ノールでの録音であるが、南米のパリと言われるブエノスアイレスへの郷愁を主題としたような内容である。この公演の録音が行われたのは、1984年9月29日、初日は9月7日であり、最終日が29日だった(つまり録音は最終日であった)ようである。実は、1984年9月8日から9日、わたしはヨーローッパ旅行中で、ドイツのハーメルンからパリに一時戻り、宿泊していた。よって、この時、ミルバとアストル・ピアソラの第2日目の公演を聴くことも可能であったのかもしれない。このCDがわたしにとって忘れがたいのは、ミルバとピアソラが演奏していた同じ時間のパリを過ごしていたという思いからである。(その後、この日本公演を聴くことにつながる)


ブエノスアイレスは、南米の都市の中で特に今、気になっている都市の一つである。ボルヘスの故郷であり、コルタサルやマヌエル・プイグといったアルゼンチンの作家たちを知る上にも重要な都市である。日本において未だブエノスアイレスに関する書物(特に建築、都市に関する書物)が少ないように思われる。中南米文学を少しずつ開拓しながら、ブエノスアイレスという都市(及び、中南米の都市全域)についても調べていきたいと思っている。



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by kurarc | 2021-12-22 21:42 | books(本(文庫・新書)・メディア)