多木浩二先生の講義ノート

正月休みに室内を整理しているとき、大学時代に聴講した多木浩二先生の講義ノートを発見した。「記号学(記号論)」と「写真史」の講義ノートで、講義は1982年であったと思う。


その講義ノートを改めて眺めると、その講義内容が非常に高度で、難解であったことがわかる。たとえば記号学の講義は、ロラン・バルトやジョルジュ・ムーナンらの著作の紹介からはじまり、ソシュール(及び日本での紹介者としての丸山圭三郎)、パース、ロシア・フォルマリズム・・・へと進んでいた。


文化とは非文化との分節化が重要であること、たとえば、建築では内部と外部の分節、カオスと秩序、表現されたものと非表現についてなどを比較しながら言語のように文化を考えることを論述していく。その後、イエルムスレウの理論の紹介(デノテーションとコノテーションの説明)、探偵小説の発生と都市の成立がパラレルであることといった興味深い事例が紹介される。続いて、バルトの神話について、モードの体系について語り、ロシア・フォルマリズムではシクロフスキー、ヤーコブソンらのの詩的言語の解説、プラハ構造主義ではムカジョフスキーが語られる。


ビルディング・タイプについてもふれられ、連続(現実)と不連続-表現部(学校、教会・・・)、不連続-内容部(食事をする、勉強する・・・)からそれぞれの結びつきが記号になっていくことを説明している。


その後、文化とコミュニケーション、芸術の境界-限界性、パノフスキーのイコノロジーについて、マレービッチの絵画の意味(伝習的習慣がないことから、内的意味、象徴そのものの問題としての絵画とみる)、金沢の都市論、現代建築とはエクリチュールであること(つくられる以前に描かれるものであること)、絵本について(絵本は詩的言語の原型、イメージやことばが分離しないで内包することができる)、そして、最後にアリストテレスの修辞学やル・コルビュジェの著作の言語の分析、タフーリによるユートピアの危機(現実の危機の表現としてのユートピア)の解読などを経て、講義が終了している。


以上のような高度な内容を20歳の頃、聴講していたのだが、これらの講義が理解できていたら、わたしは建築の設計などやっていなかっただろう。多木浩二先生の講義は、先生の著書以上に難解であったことを今になって思い知らされた。


by kurarc | 2022-01-05 20:01 | 建築活動記録