映画『ドライブ・マイ・カー』再考

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先日、3回目となる映画『ドライブ・マイ・カー』を鑑賞した。3回も鑑賞したのは、2回目までチェーホフの『ワーニャ伯父さん』を読んでいなかったこともあり、読んでからもう一度鑑賞したいと思ったからである。やはり『ワーニャ伯父さん』読了後にこの映画をみると、かなり印象が変化した。そのことについて、メモしておこうと思う。但し、わたしは映画評論家ではないので、まったくの個人的な感想を抜け出るものではない。


まず、この映画は原作が村上春樹作の『女のいない男たち』所収の『ドライブ・マイ・カー』ほか2作をコラージュしたシナリオをベースにした映画であるとしているが、改めて観ると、むしろ、シナリオの比重はチェーホフの『ワーニャ伯父さん』の方に重心があり、村上の小説はチェーホフの戯曲を現代に翻訳するために投入されたスパイスのようなものに思えてきたのである。この映画で、主人公の「家福」はワーニャであり、家福のドライバーとなる「みさき」はソーニャに対応していることは明らかであり、家福の苦悩と家福の妻「音」が朗読する『ワーニャ伯父さん』、それに続けて家福が語るワーニャの言葉が重ねられるという仕掛けによってこの映画は非常に知的で重層性をもたせた映画に仕上がっている。


この映画は、家福が妻の死によって俳優であることができなくなり、最後にワーニャを演じることで、俳優として再生していく物語であると受け取られるかもしれないが、3回目の鑑賞で、わたしはそのようには思わなくなった。冷静にみれば、家福はたまたまワーニャを演じるはずであった「高槻」の暴力事件によって自らワーニャ役をやらざるを得なくなったのであるし(ワーニャ役を引き受けず、演劇自体を中止するという決断もできたのにもかかわらず、ワーニャ役をやったことになるので、俳優として再生したと結論づけるという見方もできることはうなずけるが、映画の中では明確ではないと思われる)、その前にみさきとの北海道への旅によって、自らの弱さに気づき、認めるのだが、そのことと俳優への再生とはすんなりと結びつかないと思われる。


さらに、『ワーニャ伯父さん』について言えば、この戯曲のラストのソーニャのセリフでは、明るい、夢のような生活を目にするのは死んでからのことであり、そうしてやっと息がつける、と語っているのである。チェーホフの訳者でる浦雅春氏によれば、『ワーニャ伯父さん』は、『森の主』という戯曲を改作したもので、『森の主』では、デッドエンドの世界が描かれ、ワーニャは自殺するという設定であるという。チェーホフはそうした戯曲を変え、ワーニャを自殺できない状況に設定しなおした。デッドエンドは避けたが、決してワーニャが現世において救われるという戯曲ではない。浦氏はそのことを、「自分との折り合いをつけられない苛立ち-それが中年の正体だ」と語り、『ワーニャ伯父さん』はこの中年ワーニャの苦悩をさらけだすことが主題であった。


しかし、映画でみじめな中年を描くのでは「きらめく映画」にはなりそうもない。村上の原作でも、家福はすでに頭髪の薄くなりかけた中年の男性として描かれているのだが、この映画では、そうした描写を避け、西島秀俊という爽やかさの残る中年男性を設定することで、映画自体を若々しいものにつくりあげようとする意図がうかがえる。この映画はそうした映画のデザイン自体が成功した映画であり、濱口監督の力量なのだと思う。そして、原作に様々な仕掛けが施されたシナリオであるために、改めて原作を再読し、どのように原作をとらえなおしたのかが気になる映画であり、原作への再考を促す映画にもなっていると思う。


最後に、わたしは改めてこの映画を鑑賞し、ラストの韓国のシーンが気になった。あのシーンは、当初から考えられていたものなのか、あるいは、コロナ禍という状況から付加されたものなのか、ということをである。正直、わたしはあのラストシーンは必要なかったのではないかと思った。その前の西島とパク・ユリムさんの演じるシーンがあまりにも素晴らしかったからである。このシーンをラストにしてもよかったのではないか、わたしにはそう思えた。(このラストシーンは何を意味するのか?家福との関連は?など様々な想像をかりたてるため、このラストシーンは有効であるとは思われるが・・・)


あれこれと書いたが、この映画『ドライブ・マイ・カー』が、素晴らしい映画であることに変わりはない。


*もう一つ付け加えるとすれば、この映画では、母親になれなかった女性-音およびイ・ユナ(耳の聞こえない役の韓国女性)、母親に苦しめられた女性-みさきが登場すること、したがって、子供がまったく登場しないことが大きな特徴と思われる。このことは何を意味するのか、さらに再考が必要である。


by kurarc | 2022-01-29 22:15 | cinema(映画)