イラン1985年 戦地への旅

1985年、わたしはイラン・イラク戦争中のイランを旅したことがある。当時、イラン・イラク戦争はかなり沈静化してたので、旅することは問題ないのではと考えていた。万が一問題があれば、国境で止められるだろう、という程度の呑気な気持ちで1985年3月9日、イスタンブールからバスでイランのテヘランに向かった。バスの窓ガラスには氷がはるような寒さであり、寝袋をかぶりながらおよそ50時間、バスを乗りつづけた。

バスの運転手は二人。交代で運転をしながら、食事以外、運転をし続けた。一人が運転している間、もう一人は後部の座席で寝ていた。トルコとイランの国境では緊張した。イランに入るとき、税関ですべての所持金を申請しなければならない。そして、イランからパキスタンに出国するとき(わたしの出国先はパキスタンであった)、イランで使用した金額が入国時申請した所持金との差額と整合していなければならないのである。

トルコからの旅であったため、イランの詳しい情報は皆無であった。日本語のガイドブックなど、もちろん所有していなかった。しかし、助かったのはイスタンブールで宿泊した宿での情報であった。そこは日本人の溜まり場のような宿で、アフリカから、あるいはイランからイスタンブールに着いたという日本人らが2、3人宿泊していた。彼らの一人にイランを旅してイスタンブールに着いたという日本人がいて、彼からイランの情報を仕入れ、テヘランではここに宿泊するとよいなど様々な情報を得ることができた。

1985年3月12日テヘランに到着。3月14日までテヘランで過ごす。テヘランの宿は窓のない2畳間ほどの広さで、ベッドで部屋のほとんどは占拠され、石油ストーブが一つ置かれていた。わたしはここで、初めて夜中に爆撃音で起こされることになる。イラン・イラク戦争はこの時、再び激化していたのである。後で知ったことだが、3月19日を過ぎるとフセイン大統領は無差別にイラン上空の飛行機などを爆撃すると宣言していたのである。この当時、イランにいた日本人は、3月18日に当時のトルコ航空機でトルコに脱出していた。もちろん、わたしはそんなことも知らず、旅を続けていた。(この脱出劇は映画『海難1890年』に描かれている)

3月15日から3月18日にはイスファハンへ、3月19日にはシラーズというイラン南部の都市へ移動。つまり、偶然にもわたしは戦火の少ない都市へと移動していたのである。当時イランがいかに危険であったのかは、3月26日、パキスタンのカラチにあった当時の東京銀行内での日本の新聞で初めて知ったのである。



by kurarc | 2022-03-18 19:54 | archives1984-1985