『南方熊楠』(鶴見和子著) 再読


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現在、日本における二人の巨人、宮沢賢治および南方熊楠を追いかけている。どちらかといえば、わたしは熊楠の方により興味をもっている。熊楠については、20代の頃に一度興味をもち、本書を通読したが、熊楠の文語的な言い回しについていけず、挫折してしまった。再度、熊楠の宇宙を覗いてみたい気持ちになり、鶴見和子さんの本でまず全体像をつかむことにした。

久しぶりに本書を読み直したが、熊楠の入門書、概説書として申し分ない内容であることを改めて感じた。全体は3章から構成され、熊楠の世界、生涯、仕事を簡潔にまとめ、最後に、付録として熊楠の「神社合併反対意見」の原文を取り上げている。熊楠が興味深いのは、彼が興味をもった学問領域の幅の広さである。宗教(特に大乗仏教)、民俗学(人類学)、科学、生物学(植物、動物、特に粘菌)、生態学などを研究の中心としながら、それらを徹底的に比較すること、それも多言語を操りながら、徹底的に探求していく態度は、日本人の可能性を極限まで追求していった感がある。森羅万象の因果の連鎖、その中に熊楠の言葉で「萃点」(すべての事象が集中するところ)を見出すこと。南方が粘菌を自然と人間との関係の萃点としてながめるような独創的な発想を行なったことは、現在のエコロジーの発想に連続していくような「地球志向の比較学」(鶴見)の先駆者であったと言えるのである。

今回、鶴見和子さんの視点で興味深かったのは、H.D.ソローと南方の親近性にふれている箇所であった。このことは、以前通読した時には、まったく気にとめることがなかった。南方は、鴨長明の『方丈記』を英訳しているが、その鴨長明を「12世紀の日本のソロー」と呼んだというから、南方もソローの著作を読んでいたと思われる。鶴見和子さんは、彼らの親近性を「自己の考えを、生活の中で実践した」こと、お互い投獄された経験をもつこと、非政治的人間であることなどに言及しているが、承知のようにソローの『市民の不服従』という著作は、あのガンジーやキング牧師らの非暴力不服従運動に影響をあたえたものであり、現在、ウクライナでの戦争が行われる状況において、日本では南方(およびソロー)の思想が再検討されるべきときと言えるのではないか。

わたしはもちろん、そうした下心があって南方を再度学び直そうと思った訳ではなかったが、鶴見さんから南方だけでなくソローも学ぶべき時ですよ、と教えられた気がするのである。鶴見さんの『南方熊楠』は、まさに今読まれるべき著作であったということである。

by kurarc | 2022-03-22 22:47 | books(本(文庫・新書)・メディア)