『俳人漱石』(坪内稔典著)を読む


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夏目漱石を様々なテクストとして読解するような著作は数多く出版されている。わたしの手元にもいくつかあり、建築的なアプローチとして、若山滋氏による『漱石まちをゆく 建築家になろうとした作家』や漱石と母との関係からアプローチした『漱石 母に愛されなかった子』(三浦雅士著)などあり、数えれば切りがないくらい漱石本は出版されているのだろう。

その中でも『俳人漱石』は、小説家になる前、漱石は俳人であった、という視点から漱石を掘り下げた著作である。2600句余りあるという漱石の俳句から100句を選び、著者と漱石、さらに正岡子規の鼎談という虚構の対談形式をとりながら、年代順に漱石の俳句の変遷をたどり、学ぶことができるという趣向の著作である。この著作を読むことにより、漱石をはじめ、漱石と交流のある文学者を知ることもできるし、俳句そのものについても学ぶことができるように仕上がっていて、一句を見開き2ページに収めるなど、新書としての構成も優れている。

まずわたしはこの著作によって、多くの漱石に対する基本的な知識を学ぶことができた。そもそも「漱石」とはどのような言われから名付けられたのか。漱石とは『蒙求』(もうきゅう)の「漱石枕流」の故事にちなむ言葉なのだという。孫楚という人が「枕石漱流」(石に枕し流れに漱ぐ(くちすすぐ))と言おうとしたのを、「漱石枕流」(石に漱ぎ流れに枕す)と言い間違えた。しかし、彼はその間違いを認めなかったことから、「漱石枕流」は、負け惜しみの強いことを意味するようになった。つまり、「漱石」という名(号)は、謙遜もあるし、ユーモアもある粋な名といってよいのではないだろうか。名の付け方まで漱石は漱石らしかったのである。(さらに、そもそも「漱石」とは子規の号でもあったという)

また、この著作から、漱石と子規はかなり特別な師弟関係にあったことがわかる。漱石は頻繁に子規に膨大な俳句を送っては添削してもらっていた。漱石の俳句には季語の感覚が欠如しているなど子規の批評も手厳しかった。しかし、そのようなやり取りからだと思うが、子規の句で最もよく知られている「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という句、実は漱石の「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」という句が先で、漱石の句が平凡であることから子規が添削をかねて、お手本になるような句をつくりあげたということらしい。

漱石が小説家になる前につくった俳句には、その後、小説の中に登場するシーンの原型となるような内容が凝縮されているものもあり、漱石にとって俳句をつくることは、結果として以後の小説のためのスケッチのようなものにもなり、イメージを広げるための訓練にもなっていたということがわかる。そして象徴的なのは、漱石が小説をつくり始めるときと子規の死が重なっていることである。漱石は子規の死の2年半後、『我輩は猫である』を発表するのである。本書では、こうした漱石の創作上の時系列も追えるように工夫されている。

本書によって漱石と俳句という今までまったく考えたことのなかった漱石の小説家以前(もちろん小説家になった後にも俳句はつくられた)の努力について知ることができたのは大きな収穫であった。漱石のテクストは尽きることがないものだということを本書によっても改めて気づかされることになった。本書は漱石の新たな一面を知ることができる名著であるといってよいだろう。

by kurarc | 2022-06-08 22:14 | books(本(文庫・新書)・メディア)