2020年 01月 19日 ( 1 )

フェリーニ 『アマルコルド』

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初めてイタリアのリミニを訪れたのは1984年10月26日である。これ以後、一度も訪れたことはないが、この都市はフェリーニの故郷であるという。その時、そんなことは少しも知らなかったが、建築に興味のある人間は、テムピオ・マラテスティアーノという建築物を見にこの都市に行く。ルネサンス期にこの建築物の改修に携わった建築家がアルベルティだからである。

中世の構造体の周囲を囲むようにルネッサンス建築をデザインしたこの建築物は、興味深いことに、中世の開口部の位置をある意味でまったく無視するようにルネサンスの構造体で被覆するようデザインされている。それは、中世期の窓とルネサンス期のアーチのズレとして表現されているが、現在から見ると、非常にモダンな改修方法に思える。もし、中世の窓の配置に対して、過剰な気の使い方をしていたならば、ルネサンス期の意匠は中世の意匠と同化し、新たに付加したという意図が不明瞭になっていたと思う。

それはさておき、フェリーニの『アマルコルド』(”アマルコルド”は、ロマーニャ地方の方言で、「わたしは思い出す」という意)は、フェリーニの幼少体験、あるいは幼少期の記憶の断片を四季の季節の中に織り込んだような映画で、そうした断片の積み重ねとアルベルティの手法とがわたしには重なって見えてきたのである。

この映画の中には、幼少期に体験した二人の年上の女性との失恋(別れ)も描かれており、少年が大人へと成長していく人生の中の断片を切り取ったような映画である。『フェリーニのローマ』に続く映画であり、1970年代の傑作の一つといえる映画だろう。四季という時間の経過はあるが、その流れは曖昧で、様々なエピソードの積み重ねとして描かれている。それぞれのエピソード一つ一つが強烈であるために、むしろ時間感覚が後退してしまうのだろう。映画のラストになって、わたしは初めて四季が描かれていたのだと気づかされた。

この映画は物語でありながら、その物語性が希薄なのは、フェリーニとシナリオを協力しているトニーノ・グエッラの意図、構成力によるものだろう。



by kurarc | 2020-01-19 22:09 | cinema(映画)