2020年 02月 20日 ( 1 )

防災としての手洗い

新型コロナウィルスの拡散がとまらない。初期の報道では、手洗い、マスク、うがいを、という単純な連呼のみであった。特に、「手洗いを」と報道するだけで、その具体的な手洗い方法まで報道されていなかった。こうしたときに、インターネットは利用価値が高い。図解入りで手洗い方法が紹介されている。

それとは別のはなしだが、大学付属病院などに入院すると、最近はインフルエンザに限らず、院内感染が蔓延しているため、手洗いの指導をされる。看護師さんに付き添われて、まず、手を洗わされる。そして、その後、ある試薬を手に吹き付けられると、洗い残した箇所が赤く染まる。わたしの経験では、指先の爪の付け根あたりに洗い残しが多かった。

テレビでも、アルコール消毒をするしかたとして、指先の爪側もアルコールを浸すようにある医師は指導していた。コロナウィルスに限らず、こうした手洗い方法、消毒方法は、小学校など集団生活を行う場で、子供たちに指導することが望まれる。手洗いは個人差があり、その石鹸の付け方、指の付け根まで丁寧に洗う人、洗わない人など様々である。子供の頃から、自分はどういうクセがあり、どのような場所に洗い残しが多いのか、知っておくことは重要であろう。

ここまでくると、手洗いも立派な感染予防という防災手段の一つになる。手洗いといえど油断はできない。

*こうした目に見えないウィルスの拡散で思い出されるのは、3.11時の放射性物質であった。また、わたしはヒッチコックの映画『鳥』を思い出してしまう。映画『鳥』とは、こうした目に見えない恐怖を目に見える形で表現した映画である。

by kurarc | 2020-02-20 18:55 | 東京-Tokyo