35年前の危機を救ってくれた ”トヨタと韓国ラーメン”

新型コロナウイルスという危機の収束がいまだにみえない。これらは世界的な危機だが、個人の人生においても何度か大きな危機を迎えることはある。わたしが思い出すのは、35年前、初めての世界旅行をしたときのイランとパキスタンでの国境のことである。

イランの最も東にZAHEDAN(ザーヘダーン)という街がある。そこからパキスタンの最も西、国境の街TAFTANまでバスで移動しなければならない。その距離はおよそ100km。通常はそこまでバスが運行しているが、わたしはそのバスに乗り遅れてしまい途方に暮れていた。

その時、あるパキスタン人が「トヨタを呼べ」と言うのである。わたしはなんのことかわからず立ちすくんでいると、そこにトヨタのトラックがあらわれ、これでTAFTANまで行く、というのである。小型のトラックだったが、その荷台にわたしとパキスタン人4人が乗り込み、砂漠の中をひた走った。スーツ姿のパキスタン人、ターバン姿のパキスタン人と様々な人種の人間が「トヨタ」に助けられたのである。

この時、わたしは38度を超える熱があった。しかし、こうした未開の地で、移動できないことはある意味で死を覚悟しなくてはならない。パリやロンドンで熱がでてもなんとかなるが、イランの砂漠地帯で言葉も通じず、寝込むことすらできないのである。

TAFTANになんとか到着すると、そこには韓国人3人の鉄道技師の方がいて、ちょうど韓国ラーメンをつくっていた。イランの鉄道工事の調査に向かう途中である、という会話をかわした記憶がある。わたしをみたその技師の方は、一緒に食べないかと誘ってくれ、コーヒーもご馳走になった。この時、何も食べるものがなかったから、このときのラーメンがどれほどわたしにとって貴重な食料であったのかは計り知れない。彼らはわたしの命の恩人といえるかもしれない。そのときに頂戴した名刺は今でも手元にある。

危機ということを身近に感じると、いつもその時の出来事を思い出す。

by kurarc | 2020-03-29 11:40 | saudade-memoria(記憶)