祐天寺 古民家リノベーション

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仕事で祐天寺へ。

祐天寺は久しぶりである。落ち着いた住宅地の趣、東京の中でもほっとするような街である。商店街をぬけた四角に廃屋のような古家をリノベーションしたカフェ、雑貨店?(店名:KEATS)があった。

これだけではなく、ほかにもいくつかこうしたリノベーションが見受けられた。写真のリノベーションは上階だけを見るとまさに廃屋である。開店前だったので、詳しくはわからない。小綺麗にしていないところがよい。

この程度老朽化した住宅でもこうした利用の仕方は興味深い。きっと、オーナーは30代くらいの若い年代の方ではないか?考えてみれば、わたしの子供の頃は、このような住宅ばかりであった。昭和の住宅だが、すべて新しくなるより、街に時間の奥行きが感じられてよい。

# by kurarc | 2020-02-27 18:06 | 東京-Tokyo

エリック・サティ Vexations(ベクサシオン)

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エリック・サティがパリ南郊外のアルクイユに住んでいた、ということを知り、ますますサティに興味をひかれるようになった。さまざまな理由はあるのだろうが、彼はパリ郊外から列車で、あるときは歩いてパリの中心へと通い、また4本の煙突のある寝ぐらに戻っては音楽を創作していた。

そのサティのピアノ曲を日本でいち早くとりあげ、演奏してきたのはピアニストの高橋アキさんである。近々、生の演奏を聴く機会をもつことになった。わたしはあまりピアノ曲のCDをもっていはいないが、高橋アキさんのサティの曲を録音したCD2枚は昔からもっていて、愛聴していた。なぜこのCDを買ったのか思い出せないほど昔に購入したものである。(1979~1988年に録音されたもの)

このCDの中で、最近特に注意深く聴いているのは"Vexations(ベクサシオン)"という曲である。フランス語で「いやがらせ」といった意味だそうで、52拍のパッセージを840回繰り返すもの。演奏時間は18時間以上にもなる曲で、高橋さんのCDでは、CDに収録できる最大限の時間を使い、13分31秒収録している。

この曲は、サティが20世紀になり考え出した「家具の音楽」(最近では「調度音楽」と訳される)の前触れと言われている。(秋山邦晴氏による)宇宙空間の中で静かに演奏されるにふさわしい中性的で無色な音楽。ただ、淡々とパッセージが反復されて終わる。といっても、本当は18時間聴き続けなければならないのだろうが、そうなるともはや曲を聴くというより、環境の中に曲が存在しているという、まさに「家具の音楽」というにふさわしい。

文化人類学者の山口昌男さんもサティの初期の発見者の一人。山口さんがなぜサティを見出したのか、その辺りにも興味がある。それにしても、高橋アキさんの生演奏が今から楽しみである。

# by kurarc | 2020-02-26 21:26 | music(音楽)

ウィルス、花粉症時代の玄関しつらえ

このところ、ドラックストアに行列が目立つようになった。マスクを買い求めようとする人の行列である。新型コロナウィルスと花粉症の季節が重なってしまったこともあり、供給が追いつかないのである。商品があふれているような日本も、こうした緊急時には対応できるほどの余裕はないことが明らかとなった。

ここで住宅のプラン、特に玄関周りのしつらえについて考えてみたい。わたしの手がけた住宅の中にもいくつかあるが、玄関脇に土足のまま利用できるウォーキングクローゼットをしつらえるプランについてである。こうしたクローゼットに外出時に着用するコート、オーバー、スーツ、ジャンパーなどを収納する。こうすれば、住宅内部に花粉をもちこまずにすむ。換気設備ほか、空気清浄機なども必要かもしれない。

また、クローゼット内に手洗い器をもうければ、汚い手で住宅内部に入ることを防ぐことができる。現在、玄関内にアルコール消毒液を用意している家庭も増えているのではないだろうか。ただ、ここまで用意周到(ある意味で過剰)な設備設計はしたことがない。

多分、わたしが自邸をつくるときには、スペースに余裕があればこうしたしつらえにするかもしれない。ウォーキングクローゼットまではいかないまでも、クローゼットは玄関に一つほしい。

# by kurarc | 2020-02-22 20:39 | design(デザイン)

防災としての手洗い

新型コロナウィルスの拡散がとまらない。初期の報道では、手洗い、マスク、うがいを、という単純な連呼のみであった。特に、「手洗いを」と報道するだけで、その具体的な手洗い方法まで報道されていなかった。こうしたときに、インターネットは利用価値が高い。図解入りで手洗い方法が紹介されている。

それとは別のはなしだが、大学付属病院などに入院すると、最近はインフルエンザに限らず、院内感染が蔓延しているため、手洗いの指導をされる。看護師さんに付き添われて、まず、手を洗わされる。そして、その後、ある試薬を手に吹き付けられると、洗い残した箇所が赤く染まる。わたしの経験では、指先の爪の付け根あたりに洗い残しが多かった。

テレビでも、アルコール消毒をするしかたとして、指先の爪側もアルコールを浸すようにある医師は指導していた。コロナウィルスに限らず、こうした手洗い方法、消毒方法は、小学校など集団生活を行う場で、子供たちに指導することが望まれる。手洗いは個人差があり、その石鹸の付け方、指の付け根まで丁寧に洗う人、洗わない人など様々である。子供の頃から、自分はどういうクセがあり、どのような場所に洗い残しが多いのか、知っておくことは重要であろう。

ここまでくると、手洗いも立派な感染予防という防災手段の一つになる。手洗いといえど油断はできない。

*こうした目に見えないウィルスの拡散で思い出されるのは、3.11時の放射性物質であった。また、わたしはヒッチコックの映画『鳥』を思い出してしまう。映画『鳥』とは、こうした目に見えない恐怖を目に見える形で表現した映画である。

# by kurarc | 2020-02-20 18:55 | 東京-Tokyo

神奈川サウダーデ

仕事で茅ヶ崎へ。

東横線、横須賀線、東海道線などを乗り継いで行く。鎌倉に12年住んだから、車窓からの風景は懐かしい。母の実家が鎌倉であったこともあり、幼少からこの路線はよく利用している。大船に近づくと、大船観音が見えてくるが、母の実家からもこの観音様は見えていたから、かれこれ50年以上親しんでいることになる。

鎌倉はわたしにとって、第二の故郷のようなところである。鉄道をはじめ、国道1号線、また横浜横須賀道路など何度利用したかわからない。このあたりは10〜20年前の記憶が染み付いた場所である。

過去(記憶)とは不思議なものである。昨日も過去であり、10年前、20年前、30年前も過去であるが、それぞれ、頭の中に描かれる情景は異なる。10年前くらいの過去(記憶)は鮮明だが、たとえば30年前の過去(記憶)となるともう霧の中にかすかに浮かぶような過去となる。それらはもはや夢の中の幻(まぼろし)のようであり、現実だったのか夢なのか、その境界は曖昧になっている。

過去はもちろん現実として経験したことだが、その輪郭が少しずつ崩れかけてくるようだ。ポルトガル語ではこうした過去を不完全過去(スペイン語では不完了過去)という時制で表現するが、それだけでも不足している。過去は様々なグラデーションをもっている。

母の実家の庭にあったザクロやサルスベリや紫陽花や葡萄棚などはすでに失われたが、50年前には確かに存在していた。その輪郭はわたしの頭の中では砂粒のようなかすかな記憶に変化してしまった。

# by kurarc | 2020-02-18 21:04 | saudade-memoria(記憶)

宇宙から考えるデザイン

昨日取り上げた田中浩也氏の著書『SFを実現する 3Dプリンタの想像力』を読了した。

この著書の後半に、思いがけないデザインのフレームについての言及がなされていた。そもそも3Dプリンタは、自己複製という目標をかかげた技術であった。さらに、つくったものを組み立て、分解するという3Dアセンブラをも視野に入れている。また、つくるための素材のリサイクルも視野に入れていかなくてはならない。

これらの考えは、未来に宇宙空間で生活する人間を想定した技術である、ということがこの著書を読んで感じたことである。有限な宇宙空間のなかで、ものをつくるということは、つくり、廃棄し、また再生産するという素材の循環が必要になってくる。地球上でももちろん、有限性は意識されるようになったが、未だに廃棄を前提とした生産が行われている。それに対し、宇宙で生活することはより厳格な「有限性」を前提とした技術の開発が求められるだろう。

わたしは以前、宇宙に暮らせるようになっても、地球で暮らしていたい、ということをこのブログで書いたが、こうした考えは地球に甘えた考えであった。21世紀以降、地球と宇宙という境界自体を取り払わなくてはならないのである。地球ももはや有限の資源をどのように活用するのかが問われているのだから、それは、宇宙という領域からものづくりを発想するというように思考回路を切り替えていく必要があるということである。

地球も宇宙の中の一つだ、ということを視野に入れながら、デザインを発想しなければならなに時代に入ったということだろう。この著書から学んだ最も大きなフレーム、テーマであり、3Dプリンタ(将来は4Dプリンタ)が環境技術と密接につながっているということを自覚しておかなくてはならないということである。

# by kurarc | 2020-02-16 21:14 | design(デザイン)

21世紀の複製技術

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21世紀になり、ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』は大きく書き換えなければならない時代に入った。この週末にアルゴリズミック・アーキテクチュアやソーシャル・ファブリケーションに関する書物を渉猟した。そのどちらにも関わる訳者、著者は、田中浩也氏である。

田中の著書『SFを実現する 3Dプリンタの想像力』(講談現代新書)は、刺激的な書物である。(まだ半分しか読み終えていない)このタイトルにある”SF”とは、サイエンス・フィクションの略ではなく、ソーシャル・ファブリケーションの略である。3Dプリンターが近年、かなり普及してきたが、この技術の根源とパースペクティブについてまとめた著書である。

まず、驚いたのは、3Dプリンターというと、なにか3次元の商品をつくるためのプリンターと短絡的に思ってしまうが、開発者の一人、コーネル大学のホッド・リプソンは、「自らコピーをつくりだすロボット」の探求者であったということである。彼は、ロボットを通じて「生物」の条件について考え、「自己複製・自己増殖するロボットの仕組み」をつくること、生物の根源を考えていた研究者であったということが重要である。

このことだけを知っただけでも、3Dプリンターが単なる道具の枠を超え、人間の根源を照射する技術として位置づけられていることがわかる。興味深いことに、最新の3Dプリンターの中には、その仕様書のなかに、まず初めにやってほしいこととして、プリンターの部品を製造することが書かれているという。つまり、3Dプリンターは、自らの部品をつくり(自己複製)、そのメンテナンスに役立てられること(オープンソース・ハードウェアという考え方)が想定され、つくられているのである。

田中の著書は、新書であるが、その内容の振幅は巨大であり、まったく新たな地平にむかう技術のありようを考察し、推察している。データのデジタル化により、もはや、ものの運搬は必要なくなる。海外にいる相手とデータを交換し、その国にある3Dプリンターで出力することで、商品が生み出されていく。ベンヤミンはこうした状況を今日生きていたならどのように分析しただろうか?

*逆に、3Dプリンターでつくることができないものとはなにか、そちらもおさえておく必要を感じる。

# by kurarc | 2020-02-15 21:31 | books(書物・本)

沖縄の建築家 末吉栄三さんのコラム記事

日本建築学会に雑誌のバックナンバーを調べに立ち寄った。30年以上前の『建築文化』という雑誌のある記事をコピーするためである。同じ雑誌の中に「変容する沖縄の風景」という特集があり、末吉先生ほか沖縄の建築家の仕事や対談も掲載されていた。

事務所に戻ってから、末吉先生からいただいた原稿などまとめたファイルを久しぶりに開くと、「唐獅子」という沖縄タイムズだと思うが、末吉先生が25回にわたり担当したコラム記事のコピーがあることに気がついた。1978年から1979年に掲載されたものであり、先生が33から34歳のときに書かれたものである。わたしが沖縄にいるときにいただき、すでに読んでいたが、改めて読んでみると、末吉先生から教えられたことがわたしのベースにあることに気づかされた。

この記事を読んでいなかったら、わたしはアムステルダムのアンネ・フランクの家やウィーンのカール・エーンが設計したカール・マルクス・ホーフは見学しなかっただろう。また、スペインのポル・ボウを通り過ぎた時、ここがベンヤミンが自死した場所であることを想像できなかったと思うし、バルセロナのランブラス通りを歩きながら、スペイン戦争やジョージ・オーウェルを思い浮かべることはできなかったと思う。

『建築文化』の特集のなかで、末吉先生は、那覇の廃墟が出発点であったことを述べている。大木などなにもないような街が先生の原風景なのである。だから、沖縄にいるとき、植物へのこだわりが人一倍強いことを身近にいて感じていた。

このコピー原稿の最後のページ裏に、沖縄在住時、暮らしていたアパート(アパートといっても沖縄なので鉄筋コンクリート造である)の住所とその家賃28,500円というメモが書いてあった。アパートの名称は「みどり荘」であった。

*末吉栄三先生は、昨年、逝去されました。

# by kurarc | 2020-02-14 14:11 | architects(建築家たち)

りぶうぇる練馬ディサービスセンター(06) 基礎コンクリート打設終了

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まずは、基礎部分のコンクリート打設が終了した。

今後は地中梁の型枠工事、一部、土の埋め戻し、その後、地中梁のコンクリート打設、スラブ配筋、スラブ打設といった工程となる。

土工事部分は地中に潜り、竣工後、目に見えなくなる部分であるため、慎重に工事を進めなければならない。また、水の侵入のないよう、防水についても注意を怠ることはできない。

# by kurarc | 2020-02-12 17:25 | りぶうぇる練馬ディサービスセンター

立原道造によるブルーノ・タウト講義ノート

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本日、パナソニック汐留美術館で開催されている『モダンデザインが結ぶ暮らしの夢展』を見学してきた。

タウトやレーモンドなど日本おいていまだに人気のある建築家たちの展覧会であり、すでに日本でも数多く開催されていることもあり、展示品はそう変わりばえしないのではないか、と思っていたが、その予想は見事に裏切られ、わたしにとって初めて見ることができた仕事、資料が数多く展示されていた。

個人的には、タウトの日記の現物、上野伊三郎の竹による椅子に興味をもったが、その中に、立原道造の東京大学で受講したタウトの講義ノートが展示されていた。

以前、わたしは修士論文を書くとき調べたが、1934年7月9日、7月10日、7月12日、7月13日、7月16日、7月17日の計6日にわたり連続して講義が行われていることはわかっていた。この講義ノートはその時のもののようで、立原がどのように講義を理解し、ノートしたのか気になった。ショーケースの中に展示してあるだけなので、内容まではわからない。是非、ノートの内容を公開すべきだと思われる。

参考までにタウトの講演題目を下に記しておく。

1934年
7月9日 :建築の優れた質を成就する根本条件としての自由建築家
7月10日:建築の発展を担当した西洋建築家たち
7月12日:住宅建築
7月13日:ジードルンク建築
7月16日:一般建築
7月17日:都市計画



# by kurarc | 2020-02-11 21:01 | architects(建築家たち)