Archiscape


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by S.K.
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「予実」という言葉

最近、「予実」という言葉を知った。わたしのように一人で仕事をしている人間は、予定をたて、その実績を分析するという習慣はなかった。しかし、ある集団、会社のような組織となると、この「予実」は深刻な問題となる。

予定していたことがそれと同等、あるいはそれ以上の実績があげられればまったく問題はない訳だが、予定より実績が大きく下回れば、それがどのような事由によるのか分析し、その対策を考えなければならない。

こういう言葉を知ると、やはり人間とは言葉によってつくられるのではないか、と思えてならない。ある概念を知らなければその人間は考えが及ばない。言葉を知り、それを血肉化している人間は、その生きた密度が異なるのは当然のことだろう。言葉が先行してしまう人もいない訳ではないが、様々な言葉を知り、その言葉に謙虚に生きる人間が大人、紳士といわれる人間であると思う。

新しい言葉との出会いはその人間の行動を変える可能性があるのである。言葉に対して常に新鮮な感性を持ち続けられることが人を豊かにしてくれる一つの方法であることは確かであろう。

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by kurarc | 2018-07-09 22:27

「かたづけ士」という仕事

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今日は自称「かたづけ士」という資格をお持ちのK氏のレクチャーを受ける。かたづけることを仕事とするK氏は、単にかたづけ方を指導するのではない。かたづけることにどのような意味があり、どのように計画していくのか、また、会社のような集団内でのかたづけがいかに大切か、かたづけとコミュニケーションについて等の講義をしてくれた。

かたづける必要性は常々感じているし、かたづけることが嫌いではないが、どうも苦手なのは机の周りのかたづけと衣服のかたづけである。机の上にいつも資料やレシート、仕事に関係のないもの、果てにはトランペットが横たわることもしばしばである。トランペットが机の上に置かれるのは、PCでYou tubeを見ながら練習することもあるからである。

「わたし」を変えるには、まず机の周り、クローゼットから変えなければならないのだろう。K氏によれば、かたづける範囲を細分化し、毎日1カ所15分、少しづつ行っていくのがよいとのこと。また、ものが置かれる前の空中にあるときに、捨てる、あるいはファイルするということを薦めている。ものが置かれてしまうと、「とりあえず」が続き、机にものがあふれてしまうことになる。

1日15分、かたづけの時間をとると、どれほどの変化が現れるのか、今年、挑戦してみようと思っている。

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by kurarc | 2018-07-07 21:52

iMacの修復

机の上のiMacの配置換えを行おうとして、iMacを移動しようとした時に、裏のスイッチを押してしまい、電源を切ってしまった。その後、iMacが立ち上がらなくなってしまった。サポートを利用することおよそ1週間。なんとか回復できた。

外付けハードディスクすらつけていなかったのは、わたしのミスであった。iMacの調子の良いのを過信しすぎていたのである。さすがに8年も使うと新しいOSでは立ち上がりまでかなり時間がかかる。もうそろそろハードの替え時なのかもしれない。

正直、PCに対する経費はバカにならない。1台交換するだけで、ソフトを含めるとすぐに40、50万円という経費がかかるが、これは、個人の支払う経費のレベルをはるかに超えている。一桁違うと思うのだが、普通のユーザーはこうした経費を支払うことをためらわない。携帯電話もいつのまにか7万、8万円が当たり前になった。これも、1、2万円前後が妥当な値段だと思うが、そういう風には考えない人が大半のようだ。

40万、50万円あればヨーロッパ旅行もできるし、2ヶ月くらいは過ごすことができるだろう。この金額をPCに回さなければならないのが21世紀である。

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by kurarc | 2018-06-02 12:12

Bachトランペットマウスピース 7CW

自分への誕生日プレゼントとして、Bach(バック)トランペットマウスピース 「7CW」を購入した。久しぶりのBach(バック)となる。

Bach(バック)トランペットマウスピースでは、「7C」というナンバーがよく知られている。バックのトランペットを購入すると付属しているもので、初心者向きのものと言われる。「7CW」を購入するために、久しぶりに「7C」を試奏したが、リム部分(唇があたるところ)のエッジがシャープで、わたしには合わなかった。それに比べて、厚い唇用である「7CW」は唇のセッティングも楽であり、内径もちょうどよいので、購入することに。

今年はバックの「6C(ラージレター)」と「シルキー12」で頑張ろうと思っていたが、これに加え「7CW」およびヤマハの「Bobby SHEW -JAZZ」の4つを比較検討しながら進むことに決めた。「7CW」とヤマハの「Bobby SHEW -JAZZ」は見た目、マウスピースの大きさがほとんど同じ感じで、現在はこの二つが甲乙つけがたい。

マウスピースの選定は唇の感覚に頼るしかない。おもしろいことに、その感覚は日々更新しているようで、日によっても異なる。わたしのようなアマチュアですらそうなのだから、プロのミュージシャンはさらに敏感なのだと思う。トランペットを始めた当初はこうした感覚はなかったので、少しは成長してきたのかもしれない。音楽は感覚を研ぎ澄ますトレーニングには非常に有効である。

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by kurarc | 2018-01-31 20:21

ATOK2017 for Mac

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わたしはMacユーザーである。Macを使い始めたのは、周りにMacユーザーが多かったことが大きい。Macが使いやすいからといった理由からではなかった。パソコンを使い始めた当初は、ウィンドウズ出現前(MS-DOS)のNECのパソコンであった。初めはMacユーザーではなかったのである。

CADが発達し、実務に使えるようになった頃、Macユーザーとなった訳だが、Macには相変わらず大きな欠陥と言える部分がある。それは、日本語変換機能の立ち遅れである。「ことえり」による日本語入力は正直苛立ちを隠せない。パソコンのハード面の進化が著しいにも関わらず、アップル社は一向に日本語変換には無頓着である。Macはあまりにも日本語変換が稚拙であるため、"ATOK2017 for Mac"を導入することにした。

初めにパソコンを使っていた頃、ATOKにはお世話になった。当初からドイツ語入力に対応していたことは助かった。わたしが修士論文で取り上げた建築家がドイツ人であったために、ドイツ語を入力できることは必須であったからである。このブログは久しぶりにATOKを使って書いているが、やはり、格段に使いやすい。漢字の変換ミスなど「ことえり」では注意が必要だが、ATOKではかなり正確に変換してくれるし、漢字の事例表示もわかりやすい。

なぜ今までATOKを使うことをためらっていたのだろう。馬鹿馬鹿しい忍耐をしたものである。これで少しは誤字が減少しそうだし、文章の推敲は時間が短縮できそうである。MacにもできればこのATOKと互角の日本語変換機能を付加してほしいものである。

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by kurarc | 2018-01-24 22:01

もう一つの原点 川越へ

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昨日、わたしのもう一つの原点といえる川越を訪ねた。17年ぶりのことになる。20代最後の一年間をここで過ごした。遅れて入学した大学院の修士論文を書くため、大学院に近いこの街に移転して、アパートにこもりながら論文を仕上げていった。

当時のアパートがあるかどうか確かめに、川越市駅からアパートのある場所に向かった。川越女子高校に隣接する場所にアパートはあり、たまに、女子高生の声が聞こえてきたのが印象に残っている。28年も前に住んだアパートだが、奇跡的にも当時のまま残っていた。(上写真)2階の奥から2番目の部屋がわたしが借りた部屋である。鉄筋コンクリート造であるわけではないが、大家さんが1階に住まわれていることもあるのだろう。手入れがなされ、外壁に汚れもない。

その後、川越の旧市街を訪ねる。こんなにも木造建築や蔵、様式建築、武家屋敷跡などが数多く残っている街であったのか、と感心しながら歩く。思えば当時は論文で忙しく、街に出歩くのは夜になってからで、ろくに街を歩いていない。エアコンがなかったこともあり、夏の夜はファミレスで論文資料を持ち込んで過ごし、涼しくなった夜11時頃にアパートに帰ることが日課になっていた。

川越は、観光地としては当時よりかなり活気づいていたが、果たしてこうしたまちづくりが正解なのか、多少の疑問が残る。それは、テーマパークのようであり、市民にとって活きた街と言えるのかどうか?

川越は、自宅から国分寺経由で西武線を乗り継いで行くと、意外にも近いことがわかった。江戸の情緒を感じるには最も手軽に散策できる街である。また、日を改めて訪ねることにしよう。(下に、蔵以外の建造物(登録文化財)の写真を掲載しておく)

*歴史的建造物を活用するまちづくりは、再考すべきと感じられた。わたしの地元吉祥寺のような街は歴史的建造物もほとんどなく、川越からすると建築的には貧しいが、実用的なまちと言え、日常生活に素直な活きたまちと感じられる。その反対に、川越のようなまちは歴史的建造物が豊富で見所は多いが、一歩間違えると、その領域のみが突出し、まち全体のバランスが崩れる可能性がある。(つまり、観光客がいなければ成立しないまちは果たして正常なまちと言えるのか?ということ)飛騨高山のように歴史的建造物と日常が調和しているような(のように少なくとも感じられる)あり方はどのようにしたら可能なのだろう?
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by kurarc | 2018-01-04 15:58

原点を忘れずに 沖縄 具志堅邸

わたしが大学を卒業して働き始めたのは沖縄であった。当時、那覇市西にあった末吉栄三さんという沖縄の建築家の事務所で働き始めた。

最初の仕事は、具志堅さんという方の離れの解体工事とその施工であった。設計事務所なのになぜ解体工事をやらなければならなかったのか、それは事務所の事情があった。これといった仕事がなかったこともあり、解体工事から設計施工まで引き受けたのである。

わたしの初めての仕事は設計ではなく、解体工事となった。コンクリートブロック造であった平家をハンマーで解体していくのである。このとき、コンクリートの硬さを嫌というほど思い知らされた。3時の休憩時間には、具志堅さんのお母様(おばあ)が人の拳より一回り大きいトマトを出してくれた。このトマトが美味しくてたまらなかった。

この仕事は、基礎の配筋工事を手伝った後、わたしは世界旅行に旅立つことになった。帰国してから、今度は具志堅さんの母屋の改築工事を携わることになる。沖縄の住宅では、作り付けの仏壇が設置されるが、その設計もやり、図面を手書きで仕上げた。こうした仕事がわたしの建築活動の原点である。どんな仕事にも携わること、設計者、建築家という立場であっても、できることはなんでもやる、それがわたしのスタンスである。

建築家は世間的にはカッコのよい職業と思われているが、その実態は正反対である。現場へ行けば、職人たちをどなるヤクザのような存在、紳士的な職業とは正反対だ。その一方で、知的レベルを向上させることにも意欲を燃やす。建築家は、幅の広い階層の中間的存在、その境界線上に位置する職業といってよい。肉体労働者であり、知識人。そのどちらでもない。

年の初めには原点を思い出すことは励みになる。原点の記憶はまったく色褪せないから不思議である。



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by kurarc | 2018-01-02 10:35

Happy New Year 2018

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  (仮称)牟礼6丁目ディサービスセンター 建方時
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by kurarc | 2018-01-01 00:03

カンスタルのトランペット MEHA

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現在使用しているトランペットは、アメリカ、カンスタル社のMEHA(上写真)というトランペットである。アメリカ製フレンチ・ベッソンといってもよいトランペットであり、非常に気に入っている。

カンスタルのトランペットを使うミュージシャンは日本では未だにごく少数のようだが、「もの」としての完成度は高く、音もよい。わたしがこのトランペットで最も気に入っているところは、その持ちやすさと指をおくバルブの先端部分である。バック、あるいはヤマハのトランペットはバルブの先端のボリュームが大きく、ごついデザインとなっている。しかし、MEHAは金属製でごく薄いデザインのボタンであり、指を置いた時の感じがよい。他社のトランペットはこの部分に象牙を嵌め込めるようになっていたりするが、わたしには興味がない。

ウォーター・キーの曲線が、トランペットの曲線と合わせてデザインされていたり、第3ヴァルヴ・スライドが部分的に外れるようになっていて、ツバ抜きがしやすいなど、つくりが丁寧であり、日本が誇るヤマハのトランペットも、このトランンペットと比較するとつくりが甘く、繊細さに欠ける。

雑誌『THE TRUMPET Vol.2』最新号では、このカンスタルのトランンペットの特集が組まれている。トランペット奏者アレクセイ・トカレフ氏がこのカンスタルのトランペットを愛用しているという。アメリカ人のつくるトランペットはヨーロッパのものに比べ劣るのではないか、と普通なら思ってしまうが、トランペットに限っては、それは当てはまらない。ジクマント・カンスタルによって鍛え上がられた技術は二人の息子たち、ジャックとマークに受け継がれ今日に至っている。

日本でも、カンスタルのトランペットを使うトランペット奏者が増えてくるのではないか?バックというトランペットに未だに多くのトランペット奏者が呪縛されているが、今後はカンスタル他、バック以外のメーカーが台頭してくるのではないか?

今年は、中盤に体調を崩し、十分トランペットの練習ができなかったが、新年からまた気持ちを新たに、トランペット(それにギター)の練習に励むつもりである。

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by kurarc | 2017-12-30 15:28

映画『さらば、わが愛/覇王別姫』再び

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映画『さらば、わが愛/覇王別姫』の感動がおさまりきれず、再びこの映画を観た。今度は冷静に物語を追っていった。

この映画が優れているのは、一言で言えば、歴史(ここでは中国現代史)と人間がよく描かれていることである。その人間も、男と男の友情から裏切り(造反)、男と男、男と女の愛に至るまで人間とその運命、暗部をえぐり出している。

この映画を観終わった時に感じたのは、溝口健二監督の『西鶴一代女』を観終わった時の感覚に近いということ。どちらとも人間の悲劇を容赦なく描ききっている点が共通していることと、映画の構成がラストシーンを導入部に持ってきていることも共通している。チェン・カイコー監督は溝口から影響を受けているのかもしれない。

わたしが最も気になったのは、ラストシーン。チャン・ティエイー(レスリー・チャン)がなぜ自死を選んだのか、ということである。一つは、京劇「覇王別姫」を現実の物語として生きてしまったチャン・ティエイーは、その京劇の物語と同様死を選んだ、つまりトァン・シャオロウへの愛を永遠とするため、とみる見方。もう一つは、トァン・シャオロウの裏切りに対する報復としての死、という見方である。

わたしはこの二つのどちらでもなく、どちらでもあると思わせるラストシーンに感嘆したのである。このラストシーンをどのようにとるのかは観るものの感性に委ねられるしかない。それにしても、あまりにも激しく悲しい映画である。



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by kurarc | 2017-12-11 20:48


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