Archiscape


Archiscape
by S.K.
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリ:未分類( 191 )

Bachトランペットマウスピース 7CW

自分への誕生日プレゼントとして、Bach(バック)トランペットマウスピース 「7CW」を購入した。久しぶりのBach(バック)となる。

Bach(バック)トランペットマウスピースでは、「7C」というナンバーがよく知られている。バックのトランペットを購入すると付属しているもので、初心者向きのものと言われる。「7CW」を購入するために、久しぶりに「7C」を試奏したが、リム部分(唇があたるところ)のエッジがシャープで、わたしには合わなかった。それに比べて、厚い唇用である「7CW」は唇のセッティングも楽であり、内径もちょうどよいので、購入することに。

今年はバックの「6C(ラージレター)」と「シルキー12」で頑張ろうと思っていたが、これに加え「7CW」およびヤマハの「Bobby SHEW -JAZZ」の4つを比較検討しながら進むことに決めた。「7CW」とヤマハの「Bobby SHEW -JAZZ」は見た目、マウスピースの大きさがほとんど同じ感じで、現在はこの二つが甲乙つけがたい。

マウスピースの選定は唇の感覚に頼るしかない。おもしろいことに、その感覚は日々更新しているようで、日によっても異なる。わたしのようなアマチュアですらそうなのだから、プロのミュージシャンはさらに敏感なのだと思う。トランペットを始めた当初はこうした感覚はなかったので、少しは成長してきたのかもしれない。音楽は感覚を研ぎ澄ますトレーニングには非常に有効である。

[PR]
by kurarc | 2018-01-31 20:21

ATOK2017 for Mac

b0074416_22043320.jpg
わたしはMacユーザーである。Macを使い始めたのは、周りにMacユーザーが多かったことが大きい。Macが使いやすいからといった理由からではなかった。パソコンを使い始めた当初は、ウィンドウズ出現前(MS-DOS)のNECのパソコンであった。初めはMacユーザーではなかったのである。

CADが発達し、実務に使えるようになった頃、Macユーザーとなった訳だが、Macには相変わらず大きな欠陥と言える部分がある。それは、日本語変換機能の立ち遅れである。「ことえり」による日本語入力は正直苛立ちを隠せない。パソコンのハード面の進化が著しいにも関わらず、アップル社は一向に日本語変換には無頓着である。Macはあまりにも日本語変換が稚拙であるため、"ATOK2017 for Mac"を導入することにした。

初めにパソコンを使っていた頃、ATOKにはお世話になった。当初からドイツ語入力に対応していたことは助かった。わたしが修士論文で取り上げた建築家がドイツ人であったために、ドイツ語を入力できることは必須であったからである。このブログは久しぶりにATOKを使って書いているが、やはり、格段に使いやすい。漢字の変換ミスなど「ことえり」では注意が必要だが、ATOKではかなり正確に変換してくれるし、漢字の事例表示もわかりやすい。

なぜ今までATOKを使うことをためらっていたのだろう。馬鹿馬鹿しい忍耐をしたものである。これで少しは誤字が減少しそうだし、文章の推敲は時間が短縮できそうである。MacにもできればこのATOKと互角の日本語変換機能を付加してほしいものである。

[PR]
by kurarc | 2018-01-24 22:01

もう一つの原点 川越へ

b0074416_15572614.jpg
昨日、わたしのもう一つの原点といえる川越を訪ねた。17年ぶりのことになる。20代最後の一年間をここで過ごした。遅れて入学した大学院の修士論文を書くため、大学院に近いこの街に移転して、アパートにこもりながら論文を仕上げていった。

当時のアパートがあるかどうか確かめに、川越市駅からアパートのある場所に向かった。川越女子高校に隣接する場所にアパートはあり、たまに、女子高生の声が聞こえてきたのが印象に残っている。28年も前に住んだアパートだが、奇跡的にも当時のまま残っていた。(上写真)2階の奥から2番目の部屋がわたしが借りた部屋である。鉄筋コンクリート造であるわけではないが、大家さんが1階に住まわれていることもあるのだろう。手入れがなされ、外壁に汚れもない。

その後、川越の旧市街を訪ねる。こんなにも木造建築や蔵、様式建築、武家屋敷跡などが数多く残っている街であったのか、と感心しながら歩く。思えば当時は論文で忙しく、街に出歩くのは夜になってからで、ろくに街を歩いていない。エアコンがなかったこともあり、夏の夜はファミレスで論文資料を持ち込んで過ごし、涼しくなった夜11時頃にアパートに帰ることが日課になっていた。

川越は、観光地としては当時よりかなり活気づいていたが、果たしてこうしたまちづくりが正解なのか、多少の疑問が残る。それは、テーマパークのようであり、市民にとって活きた街と言えるのかどうか?

川越は、自宅から国分寺経由で西武線を乗り継いで行くと、意外にも近いことがわかった。江戸の情緒を感じるには最も手軽に散策できる街である。また、日を改めて訪ねることにしよう。(下に、蔵以外の建造物(登録文化財)の写真を掲載しておく)

*歴史的建造物を活用するまちづくりは、再考すべきと感じられた。わたしの地元吉祥寺のような街は歴史的建造物もほとんどなく、川越からすると建築的には貧しいが、実用的なまちと言え、日常生活に素直な活きたまちと感じられる。その反対に、川越のようなまちは歴史的建造物が豊富で見所は多いが、一歩間違えると、その領域のみが突出し、まち全体のバランスが崩れる可能性がある。(つまり、観光客がいなければ成立しないまちは果たして正常なまちと言えるのか?ということ)飛騨高山のように歴史的建造物と日常が調和しているような(のように少なくとも感じられる)あり方はどのようにしたら可能なのだろう?
b0074416_15574936.jpg
b0074416_15575929.jpg

[PR]
by kurarc | 2018-01-04 15:58

原点を忘れずに 沖縄 具志堅邸

わたしが大学を卒業して働き始めたのは沖縄であった。当時、那覇市西にあった末吉栄三さんという沖縄の建築家の事務所で働き始めた。

最初の仕事は、具志堅さんという方の離れの解体工事とその施工であった。設計事務所なのになぜ解体工事をやらなければならなかったのか、それは事務所の事情があった。これといった仕事がなかったこともあり、解体工事から設計施工まで引き受けたのである。

わたしの初めての仕事は設計ではなく、解体工事となった。コンクリートブロック造であった平家をハンマーで解体していくのである。このとき、コンクリートの硬さを嫌というほど思い知らされた。3時の休憩時間には、具志堅さんのお母様(おばあ)が人の拳より一回り大きいトマトを出してくれた。このトマトが美味しくてたまらなかった。

この仕事は、基礎の配筋工事を手伝った後、わたしは世界旅行に旅立つことになった。帰国してから、今度は具志堅さんの母屋の改築工事を携わることになる。沖縄の住宅では、作り付けの仏壇が設置されるが、その設計もやり、図面を手書きで仕上げた。こうした仕事がわたしの建築活動の原点である。どんな仕事にも携わること、設計者、建築家という立場であっても、できることはなんでもやる、それがわたしのスタンスである。

建築家は世間的にはカッコのよい職業と思われているが、その実態は正反対である。現場へ行けば、職人たちをどなるヤクザのような存在、紳士的な職業とは正反対だ。その一方で、知的レベルを向上させることにも意欲を燃やす。建築家は、幅の広い階層の中間的存在、その境界線上に位置する職業といってよい。肉体労働者であり、知識人。そのどちらでもない。

年の初めには原点を思い出すことは励みになる。原点の記憶はまったく色褪せないから不思議である。



[PR]
by kurarc | 2018-01-02 10:35

Happy New Year 2018

b0074416_00021900.jpg
  (仮称)牟礼6丁目ディサービスセンター 建方時
[PR]
by kurarc | 2018-01-01 00:03

カンスタルのトランペット MEHA

b0074416_15253484.jpg
現在使用しているトランペットは、アメリカ、カンスタル社のMEHA(上写真)というトランペットである。アメリカ製フレンチ・ベッソンといってもよいトランペットであり、非常に気に入っている。

カンスタルのトランペットを使うミュージシャンは日本では未だにごく少数のようだが、「もの」としての完成度は高く、音もよい。わたしがこのトランペットで最も気に入っているところは、その持ちやすさと指をおくバルブの先端部分である。バック、あるいはヤマハのトランペットはバルブの先端のボリュームが大きく、ごついデザインとなっている。しかし、MEHAは金属製でごく薄いデザインのボタンであり、指を置いた時の感じがよい。他社のトランペットはこの部分に象牙を嵌め込めるようになっていたりするが、わたしには興味がない。

ウォーター・キーの曲線が、トランペットの曲線と合わせてデザインされていたり、第3ヴァルヴ・スライドが部分的に外れるようになっていて、ツバ抜きがしやすいなど、つくりが丁寧であり、日本が誇るヤマハのトランペットも、このトランンペットと比較するとつくりが甘く、繊細さに欠ける。

雑誌『THE TRUMPET Vol.2』最新号では、このカンスタルのトランンペットの特集が組まれている。トランペット奏者アレクセイ・トカレフ氏がこのカンスタルのトランペットを愛用しているという。アメリカ人のつくるトランペットはヨーロッパのものに比べ劣るのではないか、と普通なら思ってしまうが、トランペットに限っては、それは当てはまらない。ジクマント・カンスタルによって鍛え上がられた技術は二人の息子たち、ジャックとマークに受け継がれ今日に至っている。

日本でも、カンスタルのトランペットを使うトランペット奏者が増えてくるのではないか?バックというトランペットに未だに多くのトランペット奏者が呪縛されているが、今後はカンスタル他、バック以外のメーカーが台頭してくるのではないか?

今年は、中盤に体調を崩し、十分トランペットの練習ができなかったが、新年からまた気持ちを新たに、トランペット(それにギター)の練習に励むつもりである。

[PR]
by kurarc | 2017-12-30 15:28

映画『さらば、わが愛/覇王別姫』再び

b0074416_20482345.jpg
映画『さらば、わが愛/覇王別姫』の感動がおさまりきれず、再びこの映画を観た。今度は冷静に物語を追っていった。

この映画が優れているのは、一言で言えば、歴史(ここでは中国現代史)と人間がよく描かれていることである。その人間も、男と男の友情から裏切り(造反)、男と男、男と女の愛に至るまで人間とその運命、暗部をえぐり出している。

この映画を観終わった時に感じたのは、溝口健二監督の『西鶴一代女』を観終わった時の感覚に近いということ。どちらとも人間の悲劇を容赦なく描ききっている点が共通していることと、映画の構成がラストシーンを導入部に持ってきていることも共通している。チェン・カイコー監督は溝口から影響を受けているのかもしれない。

わたしが最も気になったのは、ラストシーン。チャン・ティエイー(レスリー・チャン)がなぜ自死を選んだのか、ということである。一つは、京劇「覇王別姫」を現実の物語として生きてしまったチャン・ティエイーは、その京劇の物語と同様死を選んだ、つまりトァン・シャオロウへの愛を永遠とするため、とみる見方。もう一つは、トァン・シャオロウの裏切りに対する報復としての死、という見方である。

わたしはこの二つのどちらでもなく、どちらでもあると思わせるラストシーンに感嘆したのである。このラストシーンをどのようにとるのかは観るものの感性に委ねられるしかない。それにしても、あまりにも激しく悲しい映画である。



[PR]
by kurarc | 2017-12-11 20:48

21世紀のものづくり Fabスペースの広がり

慶應義塾大学環境情報学部教授、田中浩也氏のお話を聞く機会があった。田中氏は、ここ10年において世界的に広がりつつあるFabスペースの可能性を研究している研究者である。

この10年のものづくりの大きな変化の一つに3Dプリンターやレーザーカッターが個人で購入できる価格帯に変化してきたこと、また、こうした機器を常備した工房、Fabスペースが日本各地(世界各地にも)に出現していることがあげられる。2016年年末時点で全国に120ほどのFabスペースが存在する、と田中氏は言っていた。

それだけでは、工房が各地にできただけのことだが、こうした工房がインターネットを通じて世界各国につながり、世界のつくり手と情報交換が行われ、ものづくりが個人から共創性を持つ様態に変化していることである。それは、ソフトのプログラムが公開され、その改良のため多くの人間が参加、日々進化していくようなソフトのあり方が、そのままものづくりに応用されている感覚に近い。

もはや個人で閉じたものづくりではなく、参加型のものづくりの体制がつくられつつあるということである。さらに、こうしたFabスペースでは、誰が教え、誰が学ぶかと言った立場の境界は消え、誰もが生徒であり教師であるような立場に変化し、その中で様々なコミュニケーションが生まれる場がかたちづくられているという。

藤沢の慶応大キャンパス内の図書館にはすでに16台の3Dプリンター類が配備されているという。図書館は本を読む、調べると言ったスペースから、工房を併せ持つ創造するスペースとして、再定義されているのである。

こうした変化は興味深いことは確かだが、優れた宮大工が木の性質を読みこみ、ものをつくっていくようなあり方とは根本的に異なる。共創はよいが、著作権はどうなるのか、とか、Fabで代替することができないものづくりはどうなるのか、とか多くの疑問が湧いてくることも確かである。

self-helpでものをつくることの可能性とその限界、落とし穴などが今後、個人によるものづくりが進むにつれて、明らかになってくることだろう。機械を利用した一つのものづくりのあり方が加速度的に進みつつあることは確かである。

[PR]
by kurarc | 2017-10-07 21:24

『雑学者の夢』(多木浩二著) を読む

b0074416_19572318.jpg
この夏は、計4つの中編、長編小説とフランス語、音楽理論の学習、そして、この多木先生の書物を読むことを計画していた。

一応、すべて一通り学ぶことができたのだが、(音楽理論は中途半端になった)タイトルの多木先生の書物は、多木先生の中でかなり特殊な書物である。晩年の書物(出版されたのは76歳の時)でもあり、多木先生が、どのような書物を学び、読解してきたかの告白、回想であり、紹介でもある。

バルト、ソシュールからバンヴェニストといった哲学者、言語学者、ベンヤミン、そして、フーコーを中心に言及されているが、彼らに連関する名だたる人名が数多く登場する。わたしには理解も及ばない知的な世界であるが、多木先生は、こうした知的世界を逍遥しながら、自らの世界を構築していったことがよく理解できた。

この書物を読んだ限り、やはり多木先生は、早い時期にフランスの思想家、特に、ロラン・バルトから多くの刺激を受けたことが理解できる。さらに、「ヨーロッパの認識論の解体」をするものとしてのフーコーから自己批判をするようになったことが赤裸々に語られている。追いつこうとしていたものから、突き放されるような感覚を味わったのかもしれない。

決して自己を直接語る書物ではないが、知的に自己を表現している。先生は、最後まで知の巨人であり、紳士であったのだと思う。

[PR]
by kurarc | 2017-09-05 19:56

ブログ 長期休暇

ブログを当面(8月末くらいまで)お休みすることにします。いろいろとやらなければならないことが増えてきましたので、それが一旦落ち着いてから、また改めて再開しようと思います。

再開は9月からの予定です。

[PR]
by kurarc | 2017-07-19 23:08


検索
最新の記事
カテゴリ
Notes
HP here

e-mail here

■興味のあるカテゴリを見た後に、また最初のページに戻るには、カテゴリの「全体」をクリックしてください。

■カテゴリarchives1984-1985では、1984年から1985年にかけて行った11ヶ月の旅(グランドツアー)について紹介しています。
画像は30年前のスライドをデジタル化しているため、かなり劣化しています。

■カテゴリfragmentでは、思考のヒント、覚書き、論理になる前のイメージ等、言葉を羅列する方法で書いています。

ライフログ
画像一覧
以前の記事