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カテゴリ:music( 181 )

ドビュッシー 『沈める寺』

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青柳いづみこ著『ドビュッシーとの散歩』の中に、ドビュッシーの『沈める寺』に関する文章がある。

ドビュッシーがこの曲を作曲したのは、パリの語源となっている「イス」(Par-Is イスを超えるの意)という街の伝説を知ったことがきっかけだという。(これはあくまで伝説)ブルターニュの海辺の街「イス」は、4、5世紀頃、悪魔にそそのかされた王女が水門を開けたため、海に沈んだという伝説である。この街には巨大なカテドラルがそびえていた。海に沈んだ後も、海中から僧侶の声と鐘の音が聴こえてくるという伝説だそうだ。

この曲の原題 "La cathedrale engloutie" を直訳すると「沈んだカテドラル」、あるいは「消滅したカテドラル」である。現在でも「沈める寺」として流通しているのは何故なのだろう?多分、お偉い方がこのように訳されたのだろう。それを現代的に変えるようとする人はいないのかもしれない。

青柳氏によれば、楽譜を見ると、様々な教会のアーチが組み込まれているのだという。このあたりも、ドビュッシーらしい。そうした独創的な手法をとりながら、一方で様々なハーモニーとスケールを組み込んでいるに違いない。7分弱のピアノ曲だが、モダンな音づかいは素人のわたしでもよく理解できる。こうした短い曲から自分でアナライズできるようになりたいと思う。

by kurarc | 2019-10-14 23:15 | music

ポスト・バークリー・メソッド

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自分なりに現代の音楽理論の学習をし始めたが、やっと同時代の音楽状況がある程度つかめてきた。菊池成孔氏と大谷能生氏著による著書『憂鬱と官能を教えた学校』がその回答を用意してくれている、ということである。

この著書は、バークリー・メソッドに触れており、そのベースとなる理論づけがナディア・ブーランジジェにより行われたことが示されている。彼女は、菊池によれば、バッハに帰って、現代音楽理論を再構築しようとした新古典主義者として位置付けられている。

つまり、調性音楽の再構築を行おうとしたということであり、その延長線上にバークリー・メソッドがあるということである。

現代ではMIDIといったデジタル化の時代に進化したこともあり、バークリー・メソッドはもはや過去のものとなりつつあるということである。

著書『憂鬱と官能を教えた学校』がポスト・バークリー・メソッドのパースペクティブを与えてくれていることが見えてきた。この著書を読めば、やっと、同時代の音楽理論への見通しがつきそうである。


by kurarc | 2019-10-05 22:06 | music

マイルズ 『Kind of Blue』再び

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マイルズ・デイヴィスの『Kind of Blue』を繰り返し聴いている。「モード」によるジャズを主題としたアルバムとして知られている。1曲目、ドリアン・スケールのみで展開した「So What」もよいが、後半の「Blue In Green」からの音楽が深い。

ジャズ・ピアニストのフィリップ・ストレンジ氏は岡田暁生氏との共著『すごいジャズには理由がある 音楽学者とジャズ・ピアニストの対話』で「All Blues」という4曲目を分析してくれている。ストレンジ氏は、マイルズの特徴を「モティーフ的思考」と分析していて、「All Blues」が4つのモティーフの展開であるとしている。

マイルズは、初めのテーマを6度で、その後2度、その次に同音反復、さらに3度という4つのモティーフを論理的に展開しているのである。アドリブという一見自由に音を展開できる演奏方法の中で、マイルズはモティーフの原則に忠実に従いながら、クリエイティブな音楽を創造しようとしていると捉えられる。

わたしはこうした彼の音楽に結晶、あるいは鉱物質と例えられるようなジャズを感じる。それは、知的に組み立てられた音楽であり、音を抑制しながら、最小限の音によるジャズを形づくっているのである。建築家で言えば、ミースのようなイメージだろうか。

今聴くとこうした音楽が、マイルズの若かりし頃の音楽の出発点となっているということが不思議だ。むしろ、晩年に到達すべき境地だとしてもおかしくはない。老成した音楽なのだ。マイルズはむしろ老年から若年へと変化していったミュージシャンのように感じられてきた。

by kurarc | 2019-10-01 23:30 | music

君が代とDドリアンスケール

ジャズという音楽について学習しているが、その前に実は日本音楽を学ばなければならない。わたしは雅楽など日本音楽についてまったく無知であるし、興味もなかったが、ジャズのような民族音楽を学ぶようになると、足元の音楽が気になる。

オリンピックが近づいてきたこともあるが、「君が代」を聴くことが多くなった。歌詞については諸説あり、言及を避けるが、曲についても誰が作曲したのか等真相には諸説ある。雅楽の壱越調による曲であるという説が有力だが、わたしとしては、Dドリアンスケールの曲と解釈する見解が興味深い。

Cメジャースケールをレから始めるスケールはDドリアンスケールと言われる。このスケールを使った最も有名な曲は「SO WHAT」だろう。「君が代」では、このスケールの「ファ」の音を使用していない。つまり3度の音を省略していることによって調性が微妙になり、あの厳かで不思議な雰囲気のメロディーが生まれているのである。

作曲者にはDドリアンスケールなどと決めつけると叱られてしまうかもしれない。しかし、作曲者と言われる林廣守(原曲は奥好義と言われる)は、雅楽奏者でありながら西洋音楽を学ぶことを命令された音楽家であった。Dドリアンスケールの響きと壱越調を近いものに感じていただろうし、意識できたはずである。そういえば、「君が代」をアドリブで奏でている演奏者を聴いたことがない。やはり、タブーと考えてしまうのだろうか?

by kurarc | 2019-09-06 23:39 | music

マイケル・ジャクソンのムーン・ウォークとシャウト



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ジャズを学んでいる。主にジャズ理論である。難解であるが、同時代の音楽の理解には欠かせない。ジャズが一時、力を失った時期があったが、復活しているように思う。それにジャズとは普遍的な価値を持つ音楽なので、衰退するようなものではない。

ジャズ理論を学ぶことは楽しいが、わたしはそのルーツとなる黒人音楽を学んでいないことに気がついた。岩波ジュニア新書に『魂をゆさぶる歌に出会う』(ウェルズ恵子著)という名著があることを知り、早速、目を通す。

目から鱗が落ちるようなエピソード、物語が続き、感動することばかりの内容なのだが、興味深いことに、マイケル・ジャクソンについて多く触れられている箇所があり、その中で、あのムーン・ウォークがシャウトを起源とするものであることが書かれていた。

シャウト(a shout)とは、黒人たちが仕事を終えて、夜中に集まる集会のことだという。宗教集会で歌ったり、祈ったり、踊ったりする行為、表現、発せられた言葉とお互いのやりとりすべてを「シャウト」と呼ぶということである。

この行為の中で、「リング・シャウト」という奴隷時代から行われていたものがあり、信者たちが輪になり歌いながらすり足で回り続けるのだという。ウェルズ氏によれば、これがムーン・ウォークのルーツだというのである。なんと奥が深い行為であったことか。

その他、黒人特有の英語の発音について、あるいは、黒人英語の反語的な意味(例えば、"bad"は"good"を意味するような)、民話、ゴスペル、ブルーズ(ブルースという発音は間違い)etc.について教えてくれる。

黒人たちの文化を学ぶことの意味、重要性についても書かれているが、それはこの本を読んだ人だけのものとして、ここでは触れないことにしよう。

by kurarc | 2019-09-03 23:30 | music

マルセル・カヤト 『LATIN GUITAR』(日本題名)

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ブラジルのクラシックギタリスト、マルセル・カヤト『LATIN GUITAR』は、クラシックギターCDの名盤である。少し前に「忘れえぬ都市」といった内容のブログを書いたが、この名盤も忘れえぬCDの一つと言える。それは、大曲ばかりが納めてあるようなCDではなく、2分弱の小曲が多く、それらの曲を丁寧に弾きこなしているCDだからである。何年かに1回はCD棚の奥から引っ張り出して聴きたくなる。

カヤトさんは、トゥリビオ・サントスに師事したギタリスト。わたしはポルトガル滞在時、ブラジルに行った最大の目的は、このトゥリビオ・サントスさんにお会いしたかったことであった。ヴィラ=ロボス記念館の館長をされていることは知っていたため、リオで早速記念館に向かうが、サントスさんは不在で、残念ながらお会いすることはできなかったが、ヴィラ=ロボスの直筆の楽譜などを職員の方に見せていただく光栄にあずかった。

その後継者とも言えるギタリストがマルセル・カヤトであろう。このCDの中では、ラウロのEL NEGRITO(エル・ネグリート)やバリオスのCHORO DA SAUDADE(追憶のショーロ)やブローウェルのOJOS BRUJOS(魅惑の瞳)といった小品が良い。

エル・ネグリートは、20代の頃よく弾いていたが、今では忘れてしまった。また練習したい曲である。わたしはこのCDではこの曲が一番好きかもしれない。ラウロに男の子が誕生したときにつくった曲のようで、意味は、黒人の子の意だが、髪が黒い子であったことから、こう名付けられたという。わたしにとって「忘れえぬ曲」である。

by kurarc | 2019-08-23 22:16 | music

寺尾聡『Reflections』

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歳のせいか懐メロがふと頭をよぎることが多くなった。コマーシャルで寺尾聰さんの「出航SASURAI」が流れるのを聴き、久しぶりにヒットした『Reflections』を聴きたくなった。

ほぼ40年前にもなるこのCDだが、全く古さが感じられない。全曲を寺尾さんが作曲していることにも驚かされる。編曲には井上鑑さんが参加、作詞は松本隆さん、そして大半の作詞を有川正沙子さんという少数の人間によってつくりだされた音楽である。当時ヒットした「ルビーの指輪」が収録されているが、むしろわたしはそれ以外の曲に名曲が多い気がする。

有川さんの詞には「・・・ぜ」という詞が多い。寺尾さんを意識した作詞なのだろうか。「タバコと男」という当時のイメージからつくりだされたのだろうか。今ではタバコは女のものだが、嫌味は感じられない。このCDには決して男と女がハッピーになるシナリオはないが、なぜかその不幸を糧に「出航」していこうとする男の明るさのようなものが感じられるし、マイナーな曲でもジメジメした感覚のない曲調がよい。

寺尾さんの低音の声も大きな特徴だろう。ここに収録された曲を女性がカバーすることもできないのではないか。そうした意味で、このCDは男の音楽になっている。それにしてもこれだけの曲をつくりだす寺尾さんの音楽的背景は何だったのだろう。そのあたりが一番気になるところだろうか。

『Reflections』というタイトルも斬新だ。直訳すれば「反射」だが、それはアルバムの中の文章にもあるが、「過去を映し出している光」のように捉えられている。つまり、経験を十分に積んだ大人の光を表現しようとした、ということらしい。



by kurarc | 2019-08-04 11:53 | music

KEITH JARRETT

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『武満徹 対談選』(小沼純一選)のなかに、キース・ジャレットとの対談が掲載されている。はじめてジャズを聴き始めた高校生の頃、ちょうど彼のケルンでのソロコンサートのアルバムが話題になっていた。これは当時、わたしに強い印象を残してくれた。

それから、キースの音楽をずっとトレースしていた訳ではないが、久しぶりに彼の音楽が聴きたくなり、CDを借りてくる。

武満との対談の中で、キースはわたしの心に残るような言葉を発していた。

「・・・例えば、人の声を紙の上に捉えようとしたところでそれはできない。紙の上にとどめることができるのは言葉だけです。・・・」

この言葉は、即興とはどのようなものか、ということを説明しようとしたときにでてきた言葉であるが、音楽にとどまらず、人の生命について語ったもののようにも思える。

キースは、本物の即興も紙の上に書くことはできないのだということを言いたかったのだ。この対談はケルン・コンサートから9年後になされたものだが、キースは未だにケルン・コンサートのキースだ、という見方をされていることに腹立たしさを感じている様子がうかがえる。すでに、彼はそれを超えていかなければならないのだという決意が文章から感じられる。本物の音楽家とはなんと自分自身に厳しい人間なのだろうか。

久しぶりに『ケルン・コンサート』を聴いて気がついたことだが、この録音はわたしの14歳の誕生日にケルンで録音されたものだということである。この音楽はこれからわたしの誕生日プレゼントの曲のように勝手に思わせてもらうことにしよう。

*ケルン・コンサートで特に親しまれたのは、パート1だろう。パート1の中心は今聴くと、マイナー・スケールの展開の曲である。特に日本人の心を捉えたのはこのマイナーな感じの雰囲気だったのだろう。

by kurarc | 2019-07-28 01:12 | music

ジョアン・ジルベルト ボサノヴァの死

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今年初め、中古クラシックギターを購入し、ジョアン・ジルベルトの完全コピー譜を少しずつ練習していたが、そのジョアン・ジルベルトが88歳で亡くなったという。

随分と前になるが、ボサノヴァをこよなく愛する人たちとお酒を飲んだことがあった。そのとき、ボサノヴァって何か?のような話がでたが、厳密な音楽理論についてはさておき、ある人が、それはジョアン・ジルベルトだ、と言ったのだが、ある意味正しい認識であったように今では思う。ボサノヴァをやっているというミュージシャンは数多くいるが、彼のようなギターと唄は誰にもまねはできない。

彼のコピー譜をギターでトレースしていると、その繊細で知的なコード進行、ハーモニーの感覚、多様なリズムの挿入には驚かされる。彼はかなり初期の段階(1950年代はじめ)でジャズ(ジャズ理論)を学び、その理論を自分の音楽(ブラジル音楽)へ昇華していったのだと思う。

もう一つ、わたしが感じるのは彼のポルトガル性といったような感覚である。彼の音楽はサンバのような身体の運動と結びつくようなものとはほど遠いが、静かなギターと唄にその運動としての音楽を閉じ込め、水平性を感じられる音楽に仕上げていく。それは、ポルトガルのバロックに通じる感覚でもある。波打つような壁をつくることではなく、平面のなかに波を感じられるようにするような。

ギターを通じて、彼の音楽感覚を身についていくことが、当面の課題である。

合掌

by kurarc | 2019-07-07 10:07 | music

クセナキス Psappha(プサッファ)

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数学者でありジャズピアニストでもある中島さち子さんの著作『音楽から聴こえる数学』で、クセナキスの打楽器曲Psappha(プサッファ)を知った。

紀元前7世紀頃のギリシアの女流詩人サッフォーの詩のリズム構造からインスパイアーされた曲だという。サッフォーの詩が数学的構造をもったものであったのか?そちらの方も気になるが、Psappha(プサッファ)も興味深い曲である。

わたしはYou tubeでのみ聴いただけだが、楽譜には打楽器の素材が大まかに記されているだけで、もちろん五線譜はなく、パーカッションのおくべき音の位置のみが記されているグラフのようなものらしい。さらに、その位置が数学者でもあるクセナキスらしくフィボナッチ数列に基づいているという。

You tubeで様々な演奏家のパフォーマンスを聴くことができるが、上野信一さんのパフォーマンスがよい。フランスで学ばれたということだけあり、打楽器へのタッチが軽やかで重々しさがない。

中島さち子さんの著作も興味深い。音楽と数学の関係を扱ったような書物の中では読みやすく、音楽への理解を深め、手助けしてくれる。一度、彼女の数学の講義を聞きに行ってみたくなった。


by kurarc | 2019-07-01 23:00 | music