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ビル・エヴァンス B Minor Walts (For Ellaine)

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映画でも音楽でも、思い出したように観たくなる映画、聴きたくなる音楽がある、ビル・エヴァンスのピアノもそのうちの一つだろう。

以前一度このブログに書いたが、エヴァンスの死後発売されたという『You Must Believe In Spring』というアルバムもそうした音楽が数多く含まれている。今回は、特に1曲目に収録されている ”B Minor Walts (For Ellaine)”が無性に聴きたくなった。

"Ellaine"というエヴァンスの恋人が自殺した(と伝えられる)後に、彼女に捧げるためにつくった曲と言われている。このワルツをエヴァンスはゆっくりとしたテンポで、しかも、正確にリズムを刻むのではなく、自分の気持ちに忠実に揺れ動きながらピアノを弾いている。

「冬」を感じさせる透明なメロディー、和音、転調を繰り返す曲調は、死んでいった"Ellaine"の想い出がフラッシュバックしている様を表現しているかのようである。音を最小限に絞りこみ、まったく無駄な音のない見事なアドリブは、ラジオから流れてくる雑音でしかない音楽とは大きく異なる。

"Ellaine"は決して聴くことができなかった曲ではあるが、エヴァンスは"Ellaine"へのレクイエムであると同時に、自分の魂の動揺をこの曲によって鎮めようとしたのだろうか。カーネギーホールでの演奏よりも、こちらのゆったりとした弾き方がわたしは好ましいように思う。この一曲を聴くだけでも購入する価値のあるCDである。


by kurarc | 2019-01-10 15:53 | music

映画音楽の研究へ

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このところわたしの中で映画音楽が特別なものに変容していることを感じる。それは、映画に付属しているだけと思われる音楽が、実は音楽として自立し、わたしに語りかけてくるようになったことである。

ジェイ・チョウの映画音楽や昨年では映画『La La Land』の映画音楽などもトランペットで吹いてみるとなかなか心地よい。今日は、持っていた映画音楽の楽譜集の中に、映画『マイ・フェア・レディ』の「踊り明かそう」が入っいたこともあり、ジェイ・チョウの採譜した曲などと共にカラオケボックスで練習してきた。

最近は映画と映画音楽との関係も気になってきた。優れた映画は、その映像と音楽がよく調和しているように感じられるが、それはどのように生み出されるのか?わたしが調和していると感じられるだけなのか、あるいは、その関係には必然性があるのか、ないのか?

当面、音楽を映画音楽に絞って考察することをライフワークとしてみたくなった。そして、トランペットのレパートリーにするべく、練習することも必要だろう。「踊り明かそう」をトランペットで吹きながら、またヘップバーンの映画『マイ・フェア・レディ』も久しぶりに鑑賞したくなった。わたしにとってヘップバーンの映画は、仕事で疲れていたときに、元気をもらった想い出があること、それによって映画好きになる大きなきっかけとなっただけに、音楽を含め大切にしなければならない宝物である。

*自由が丘に住んでいたとき、今はなき自由が丘武蔵野館でヘップバーン映画の3本立てを観て、一気に仕事疲れからぬけられた経験がある。この映画館は、いわゆる名画座で、キェシロフスキなどの映画を上映していたようだ。シネフイルには想い出深い映画館として知られていることは、ネット上を検索するとよく理解できる。

by kurarc | 2018-11-18 20:54 | music

ヴァイオリンと天井高さ

現在、日本で著名なピアニストの方の防音室デザインをお手伝いしている。

その打ち合わせで気づいたことだが、天井高さを気にされたことである。ヴァイオリンを弾く方と防音室で演奏されるようで、ヴァイオリンは弓を引き上げたときに身長170cmくらいの方だと天井高さは最低2.1m必要になるとのこと。

わたしは楽器の演奏と演奏に必要な空間について全く考えたことはなかった。特に動きの激しいヴァイオリンのような楽器では、その演奏と演奏者を取り巻く空間について把握しておくことは重要である。

また、空調機の設置位置についても指摘された。ピアノに温風が直接あたるような位置へエアコンを設置することは避けたいということであった。

今回、恥ずかしながらベーゼンドルファーというオーストリアのピアノについても初めて知った。ヨーロッパではその都市(あるいは国)によって音の好みが異なる。特に、オーストリアのウィーンのような音楽都市はなおさらである。トランペットにおいて、ウィーンの音があることは以前から知っていたが。

東京という都市はどのような音が好みなのだろう?音に対するプライドは東京にはあるのだろうか?楽器に限らず、東京でしか存在し得ないもの、東京でしかつくれないものをなにかつくりたい気がしてきた。

by kurarc | 2018-11-02 23:47 | music

ジェイ・チョウ 晴天娃娃(てるてる坊主)

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映画『不能説的・秘密』(日本題名:言えない秘密)のサントラを聴きながら仕事をしている。ジェイ・チョウの曲はどこか懐かしく、情感にうったえるすばらしい曲が並ぶ。その中に二つ(不能説的秘密を入れると三つ)、ポップな曲が挿入されているが、その一つ「晴天娃娃(てるてる坊主の意)」がよい。歌はジェシー・ジャン(上写真)。

この曲のみジェイ・チョウの作詞作曲である。歌詞が興味深い。荒井由実のような歌詞で、「兄からきょうはなぜ雨が降っているか、当ててみな、と言われると、飼い犬がてるてる坊主を食べてしまったから・・・」といったたわいもないユーモアのある歌詞だが、映画全体のなかで、この曲がもつ意味は大きい。ある意味で深刻な映画であるから、この曲はその深刻さをやわらげるために挿入されている、いわば緩和剤としての曲なのである。(雨が副題となっている映画ということもあるだろう)

初め聴いたときはどうでもよいような曲に思えたのだが、聴いてるうちにそのポップ観が癖になってきた。20代でこうした数々の曲を作曲したジェイ・チョウの手腕には驚かざるを得ない。

by kurarc | 2018-10-06 16:22 | music

台湾映画『言えない秘密』サウンドトラック

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台湾映画『言えない秘密』は音楽も優れている。映画内の音楽の大半を作曲しているのは主演のジェイ・チョウである。

サウンドトラックを初めから聴くと、映画の情景がほぼ完璧に頭の中に思い描くことができる。ジェイ・チョウの作曲能力には並々ならぬものがある。以前、このブログで映画『打ち上げ花火下から見るか?横から見るか?』のREMEDIOS(麗美)の音楽について書いたが、その音楽に匹敵するできだと思うし、映画全体も岩井俊二のテイストに近い気がする。(ジェイ・チョウは岩井の映画を観ているのでは?)

曲にはそれぞれ台湾華語のタイトルが付されているが、その漢字の羅列により想像が刺激され、漢字文化圏の日本人ならではの楽しみ方ができる。

この中では『路小雨』というタイトルと曲がよい。1分37秒の短い曲。「路」と「小雨」(グイ・ルンメイが演じるシャオユーの名前であった)という単純な漢字を羅列しただけであるが、想像をかき立てられるし、国木田独歩の小説の中に出てきそうな言葉のようである。映画の中で重要な役割を担っている『Secret』という曲もよい。サウンドトラックでは二つのヴァージョンが録音されている。

アジア人のジェイ・チョウという新たな才能に出会えたことは幸運であった。わたしはこうしたアジア人の活動にあまりにも無関心でいたことは反省しなければならない。わたしが初めて行った外国は台湾であったということも忘れないようにしなければ・・・

*上:サウンドトラック表題(クリックすると拡大されます)

by kurarc | 2018-09-20 23:16 | music

無限音階 YMO「LOOM/来たるべきもの」

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音響学の本を読んでいいると、「無限音階」に関するコラム記事に出くわした。

低周波の低音から高周波の高音を順番に鳴らし、一巡したら、それを繰り返す。すると、人はピッチがいつまでも上昇するように聞こえるという。その反対に高周波から低周波を繰り返すと、ピッチは下降するように聞こえる。この現象を応用した曲がYMOの『BGM』のアルバム最後の曲「LOOM・来たるべきもの」で聴けるというので、早速聴いてみる。

アルバム全体は実験性の強い楽曲が多く、なじめなかったが、この最後の曲「LOOM・来たるべきもの」だけは突出したできであった。何のことはない、無限音階を素直に曲にしただけなのだが、そこには、他の曲にはない非自己性のようなものが表現されていて心地よいのである。他の曲は簡単に言えば「幼く」、この曲だけは「大人」の曲といったらよいかもしれない。

「LOOM/来たるべきもの」はYMOのマニュピュレーターとして活躍した松武秀樹の曲。この曲はシンプルだが、きっと高度なテクノロジーを駆使しながら、それらを見せつけるのではなく、消去するような手法をとったと思われる。YMOの活躍の裏には、こうした松武のような技術者の存在があってのことだったのだろう。わたしはこうした裏方の方に興味がある。

by kurarc | 2018-09-13 22:11 | music

ジャズギタリスト ジョー・パス 『intercontinental』

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久しぶりにジョー・パス演奏のアルバム『intercontinental』が聴きたくなり、CDショップに買いに行った。今時のCDショップは、オヤジのたまり場と化しており、花がない。ジャズコーナーということもあったと思うが、こうした音楽を熱心に物色する女性を見たことがない。ジャズはオヤジの音楽と化してしまったのか?

閑話休題、このCDが聴きたくなったのは、20歳の頃、この中のミシェル・ルグランの曲(Watch what happens) を一生懸命コピーしていたからである。今でもその楽譜は手元にあって、たまに見てみるが、よくこれだけの曲をコピーしたなあ、とため息が出る。その頃はこの曲がルグランの曲であるとか、映画『シェルブールの雨傘』で使われたこともまったく意識せずにコピーしていた。それがわたしとルグランの出会いであったことを何十年も先に気づくことになる。(そして、ジャック・ドゥミとの出会いでもあった。)

ジョー・パスはシチリアのイタリア系移民としてアメリカで生まれたという。鉄工所を経営する父から無理矢理ギターを弾くように押しつけられたらしい。きっと、貧しい鉄工所を継がせることを父親は考えなかったのだろう。わたしの実家も鉄工所であったから、そう思う父親の気持ちはよく理解できる。

このCDは彼が20代に麻薬にさいなまれ、それを断ち切り、彼のスタイルが開花するまさにジョー・パスの黎明期を想像させる録音であり、この録音の3年後にはあの名盤『ヴォーチュオーゾ』を録音することになる。このCDは、早弾きよりも、むしろゆっくりとした確実なフィンガリングによる演奏に好感がもてる。パスがイタリア系ということを初めて気がついたが、彼がブラジルなどラテン系の曲を得意としたこともうなずける。

現在、再び彼の曲をコピーしてみたいと思っている。

by kurarc | 2018-08-10 21:51 | music

ホルスト

属している吹奏楽団でホルスト作曲(編曲 三浦秀秋(1982ー))の『吹奏楽のための第一&第二組曲 NSBスペシャル』という曲を練習し始めた。

ホルストの『吹奏楽のための第一組曲』、『吹奏楽のための第二組曲』を大胆にアレンジしたものだが、これがなかなか楽しい。かなりポップな感じであり、坂本龍一のイエローマジックオーケストラの中で奏でられる曲のような感じなのである。

ホルストの原曲、特に『吹奏楽のための第一組曲』は名曲である。わたしもこの原曲を練習し始めて初めて聴いたが、ホルストの曲は親しみやすい。ホルストはトロンボーン奏者でもあったというから、吹奏楽にはかなりの思い入れがあったものと思われる。日本でもポップスの歌に取り入れられたり、作曲家としての知名度は高いと思われるが、アマゾンで検索しても、彼単独の書籍(自伝、または伝記のような書籍)は見つからなかった。

以外にも日本において彼の研究者は少ないのかもしれない。惑星を主題にした曲で有名だが、彼が占星術に興味を持っていたこととも関連しているという。このあたりも気になる。夏までにホルストの曲を手当たり次第聴いてみようと思っている。

by kurarc | 2018-06-04 22:26 | music

ナディア・ブーランジェとミシェル・ルグラン

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『ミシェル・ルグラン自伝』第4章に「マドモワゼル・ブーランジェー音楽の母」という章がある。わたしの興味ある音楽家、ピアソラ(タンゴ)やジスモンチ(ブラジルのギタリスト兼ピアニスト)、ルグランetc.はすべて彼女の門下生であった。その彼女がどのような人間なのか気になっていた。以前、ブーランジェに関する本を借りたが、読む暇はなかった。

ルグランの赤裸々な彼女との交流の記述から、彼女の人となりがよく理解できた。やはり、彼女は厳格な教師であったようだ。授業に遅刻することを許さず、あるとき、ルグランに毎日手紙を出すように告げた、という。その手紙の中には「・・・16小節の作曲とひらめいたばかりの楽想を一つ。そこに哲学的概念を一つ加えること。この義務を一回でも怠ったら、あなたとは絶交です!」と言われたという。

ブーランジェは生涯、結婚することもなく、子供をもつことなど考えたこともなく、恋すら興味の対象外、勉強を邪魔するような一切のものを排除したという。彼女にとって恋は病気であった、とルグランは書いている。

しかし、ルグランはそのような彼女の教育に5年間付き合い、音楽の基礎をたたき込まれる。そして、感動的な話が書かれていた。ブーランジェにバレー音楽『リリオム』を作曲するように依頼を受けたが、プロの世界での契約や若気の至りで断ったルグランであったが、その依頼をうけてから60年後、バレー音楽『リリオム』の作曲に取りかかることになる。2010年のことである。すでに彼女は他界、しかし、彼女の望みを60年ぶりに果たしたのである。

そして、2016年に日本でもそのバレエが来日したらしい。これは観て、聴くべきであった。DVDはないだろうか・・・
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by kurarc | 2018-05-17 21:34 | music

再び「民族音楽」へ

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先日、このブログでコルシカ島のポリフォニーについて書いたが、この音楽をきっかけに「民族音楽」に再び意識的に付き合いたいと思うようになった。井の頭コミュニティーセンター内図書館で、『民族音楽 世界の音を聴く』(江波戸昭著)を借りてくる。この書物を借りたのは、コルシカ島のポリフォニーが取り上げられていたからである。(わたしが所有していた他の民族音楽に関する本はコルシカ島のポリフォニーを取り上げていなかった)

江波戸氏は、「はじめに」の中で重要な指摘を行っている。すべの音楽は「民族音楽」である、と。われわれはそれらを時に「クラシック音楽」や「ジャズ」と呼ぶだけなのだが、このことを以外と意識していない人が多いのではないか。特に、クラシック音楽を「民族音楽」といったら、怒り出しそうな人もなかにはいるかもしれない。

但し、江波戸氏は、「民族・・・」という言い方には、西洋の規範に対する非西洋を対置する言い方であり、本来は好ましい表現でないという指摘も忘れてはいない。しかし、日本での表現の状況を踏まえてあえて「民族音楽」という差別化した表現を使用した、と断っている。

コルシカ島のポリフォニーにふれたが、それでは対岸のサルディーニャ島にはどのような音楽があるのか。この書物では、サルディーニャ島にもポリフォニー音楽があり、さらに、シチリアには・・・というように、音楽を通じて、世界を連続した文化として捉えられる見方が示されている。コルシカで言えば、これらの音楽はジェノヴァやニースあたりにも同様の音楽があり、ヨーロッパ本土とのつながりも指摘されていて興味は尽きることがない。

わたしの専門とする建築についても同様の見方が可能であろう。日本という枠を超えようとしても、日本という民族性がどこかに顕在化してしまうことをいち早く述べたのは建築家の坂倉準三であった。コルビュジェの弟子でありながら、その建築を吸収し、自らの表現を模索しながらも、坂倉はその中に「日本」という避けて通ることのできない民族性が現れることを述べている。坂倉が優れていたのは、初めから「日本」を意識し、表現しようとしていたのではない、ということである。「日本」を超えようとしているにもかかわらず、「日本」が避けようもなく現れることを指摘したのである。

「民族」という枠組みを超えることは果たして可能なのだろうか?民族を超える、ということを考えること自体、実はナンセンスなのかもしれないが、民族音楽を聴きながら、そのことについて今後も考えてみたい。

by kurarc | 2018-05-12 17:52 | music