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エリック・サティ Vexations(ベクサシオン)

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エリック・サティがパリ南郊外のアルクイユに住んでいた、ということを知り、ますますサティに興味をひかれるようになった。さまざまな理由はあるのだろうが、彼はパリ郊外から列車で、あるときは歩いてパリの中心へと通い、また4本の煙突のある寝ぐらに戻っては音楽を創作していた。

そのサティのピアノ曲を日本でいち早くとりあげ、演奏してきたのはピアニストの高橋アキさんである。近々、生の演奏を聴く機会をもつことになった。わたしはあまりピアノ曲のCDをもっていはいないが、高橋アキさんのサティの曲を録音したCD2枚は昔からもっていて、愛聴していた。なぜこのCDを買ったのか思い出せないほど昔に購入したものである。(1979~1988年に録音されたもの)

このCDの中で、最近特に注意深く聴いているのは"Vexations(ベクサシオン)"という曲である。フランス語で「いやがらせ」といった意味だそうで、52拍のパッセージを840回繰り返すもの。演奏時間は18時間以上にもなる曲で、高橋さんのCDでは、CDに収録できる最大限の時間を使い、13分31秒収録している。

この曲は、サティが20世紀になり考え出した「家具の音楽」(最近では「調度音楽」と訳される)の前触れと言われている。(秋山邦晴氏による)宇宙空間の中で静かに演奏されるにふさわしい中性的で無色な音楽。ただ、淡々とパッセージが反復されて終わる。といっても、本当は18時間聴き続けなければならないのだろうが、そうなるともはや曲を聴くというより、環境の中に曲が存在しているという、まさに「家具の音楽」というにふさわしい。

文化人類学者の山口昌男さんもサティの初期の発見者の一人。山口さんがなぜサティを見出したのか、その辺りにも興味がある。それにしても、高橋アキさんの生演奏が今から楽しみである。

by kurarc | 2020-02-26 21:26 | music(音楽)

伊藤ゴロー 『ARCHITECT JOBIN』再び

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およそ8ヶ月ぶりに伊藤ゴローさんのCD『ARCHITECT JOBIM』を聴いた。

ジョビンのCDあるいは、ジョビン関連のCDは思い出したように聴きたくなる。仕事をしながら聴いているが、まったく仕事の邪魔になるような音楽ではない。この優しさはなんなのだろう。小沼純一さんは、ジョビンの音楽は「呼吸を楽にする」と形容しているそうで、確かにそう感じることが多い。

曲の選定がよい。映画『暗殺された家』で使われた「見捨てられた庭園」や、「住処の建築」(以上、曲名の日本語訳)など、ジョビンのファンでないと聴かないような曲が収録されている。収録曲のなかでは、「トゥー・カイツ」のアレンジがギターとよく調和している。

伊藤ゴローさんのアレンジはすばらしいが、残念なのはテンポが単調なアレンジが多かったことである。それがねらいであったのかもしれない。ゆったりとジョビンの曲を聴かせること、それもよいが、後半にもうひとつテンポの速いアレンジがほしかった。

ジョビンの曲について、楽譜を見ながら研究したいと思っている。また久しぶりに『エリック・サティと郊外』(オルネラ・ヴォルタ著、早美出版社)を読み直している。この二人は今もっとも関心のある音楽家かもしれない。

*ジョビンの曲を聴くと、リオ・デ・ジャネイロの旅が思い出される。植物園にブラジル木を見に行ったり、リオの山間をバスで通り抜けた風景が。山間のバス通り沿いにある滝で少女たちが滝に打たれている横を通り過ぎていったが、その光景は脳裏に焼き付いている。

by kurarc | 2020-02-06 22:28 | music(音楽)

Ondeia 初源の唄へ ドゥルース・ポンテス

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ポルトガルの女性歌手ドゥルース・ポンテスの『O Primeiro Canto』を久しぶりに聴く。「初源の唄」といった意味だが、「火」、「水」、「大気」、「大地」の4つをテーマとしたCDである。ポルトガル滞在時に購入したので、もう20年前のCDとなる。

あっという間に彼女は様々な有名ミュージシャンと共演するようになった。エンニオ・モリコーネをはじめ、このCDでもウェイン・ショーターやジャッキス・モレレンバウムといったミュージシャンが何気なく参加している。ポスト・アマリア・ロドリゲスの歌手といってよいだろう。彼女の音楽はFadoから出発し、それを超える音楽へと向かっている。

最近、日本のポピュラーミュージック界は、歌唱力を求めなくなったこともあり、日本人で歌唱力を持っていながら、新しい唄を歌うような歌手にはなかなかお目にかかれなくなった。そうした状況では、海外のミュージシャンを聴くしかない。ドゥルース・ポンテスはすでに若手とは言えないが、その歌唱力は神がかっている。

このCDでは特に最後の「Ondeia」(ポルトガル語の動詞Ondearの3人称現在形、波立つといった意味)がよい。「水」をテーマとした唄。特に歌詞はない。彼女の魂のこもった歌声は激しい波のように揺れながら自由に奏でられる。1990年代には、彼女はよく来日していたが、最近ではすっかりお目にかかれなくなった。日本にいると、こうした本物の歌手の唄を無性に聴きたくなる。またの来日を期待したい。

by kurarc | 2020-01-03 23:38 | music(音楽)

「路小雨 ル・シャオユー」という曲

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今年はジャズ理論を学びお直した。ジャズは高度な音楽理論の理解なしには演奏できない。もちろん、感覚的に理解して演奏できるミュージシャンもいるらしい。しかし、大半のミュージシャンはその反復で、感覚と理論による検証を往復することになる。

複雑な理論、ハーモニー、リズムもよいが、そうした高度な音楽でなくても、人々を感動させることができる。ポピュラー音楽がそうした音楽の代表だろう。わたしはその中でも、最近の一番は、ジェイ・チョウの映画音楽である。

彼が主演し監督も務めた『言えない秘密』の映画音楽のできは素晴らしい。以前にも書いたが、今年も何度サウンド・トラックを聴いたことだろう。そんなかでも特に好きな曲は「路小雨 ル・シャオユー」という曲である。

この映画は、台湾版「時をかける少女」といった映画だが、その少女の名が「路小雨 ル・シャオユー」で、グイ・ルンメイが演じている。彼女のテーマ曲が「路小雨 ル・シャオユー」である。

”路”と”小雨”という漢字がまたよい。この感覚は、漢字文化圏の中国、台湾や日本人にしかわからない感覚だろう。映画の中でも大雨ではなく小雨の情景がいくつか含まれる。小雨の中での出会いがある。

この曲がよいのは、「ドレミファソラシド」しか使っていないことである。ピアノで言えば白鍵のみで弾かれる。複雑なハーモニーも一切ない。それなのになんと魅力的なメロディーだろう。この曲を聴くと、「路小雨 ル・シャオユー」という漢字とその台湾語の発音が響いてくる。優しく少し悲しい、爽やかな曲である。

ジェイ・チョウは今どうしているだろうか?

by kurarc | 2019-12-27 20:34 | music(音楽)

クラシックギタリスト 福田進一再び

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クラシックギタリスト福田進一さんについてはこのブログで2回ほど取り上げている。確か1981年だったと思うが、東京文化会館小ホールでのデビューコンサートにかけつけて以来ずっと聴き続けているギタリストである。

最近では映画『マチネの終わりに』のモデルとなったギタリストとして再び脚光を浴びているようだ。彼のCDの中で印象深いのは『21世紀のタンゴ』(1987年録音)だろうか。2009年にこのブログでこのCDについて書いている。ちょうど10年前である。

このタイトルが示す通り、福田さんは21世紀のレパートリーとなるような曲を想定してこのCDを製作したのだと思う。それまでのギタリストはセゴビアといった巨匠のレパートリーをトレースしているようなギタリストが多かったと思う。その中でも、日本で初めてと思われるピアソラの「5つのタンゴ」の演奏し、録音したことは一つの事件といってもよいくらいの衝撃であった。コンサートでも実際この演奏を楽しんだが、ちょうど父親が亡くなった時期と重なっていたこともあり、この「5つのタンゴ」は忘れられない。

21世紀ももう20年が過ぎようとしているが、福田さんが目指した21世紀へのレパートリーは若手のギタリストにも着実に広がっている。そして、現在も活躍されていることは本当に素晴らしいことだと思う。優れた日本のギタリストは芳志戸幹雄さんや渡辺範彦さんら早逝されたギタリストが多いが、福田さんにはこれからも末永く活躍してもらいたいと思う。

*1980年代はわたしにとって重要である。年齢でいうと20代になるが、この年代ですべての趣向が決定されたように思う。映画、音楽、建築の趣向はすべてこの1980年代に決定されたといってもよい。

by kurarc | 2019-12-15 20:01 | music(音楽)

2フィンガー奏法で弾かれる" Yesterday " について

You tubeの普及により、様々なミュージシャンの生演奏が楽しめるようになった。ビートルズの代表曲"Yesterday"をポールの生演奏でいくつか聴くことができるが、そのギターの演奏法をみて驚いたことがある。

ポールはこの曲を2フィンガー奏法で弾いているのである。耳のよい人、ギターに詳しい人であれば、レコード(CD)を聴いてこの奏法で弾いていることがわかった人もいるに違いない。

ポールはベース音と1〜3弦を人差し指で弾くという2フィンガーの奏法で弾いているが、それは通常の4拍子という曲を1+3に分節して考え、1=ベース、3をコードという音+リズムで構成していることになる。

こうして弾かれたコードは、平凡なミュージシャンが4拍子をピックで上下に2往復弾くようなコードストロークとして弾いた場合とあきらかに異なる。1+3=4拍子として曲が進行することになるから、むしろ、4拍子の曲の中に、コードストロークとしての3拍子的なリズムが加わり、曲に変化が生まれてくるのである。ベース音とコード音の対位法的進行ということになる。

ポールが上下のストロークで弾くようなことをなぜ避けたのか、それは彼のクセなのか、わからない。意図的にやっているのでない(まず、そういうことはあり得ないと思われるが)にしても、この名曲をより一層深みのある曲にしていることは間違いない。

最近、"Let it be"など彼らの名曲が素直に身体の中に浸透するようになった。わたしはポスト・ビートルズ世代ということもあり、よりハイテクなプログレ世代であるが、彼らの音楽をやっと聴くことができるような心境になってきたようだ。

*1〜3弦を人差し指で弾くということから、彼は「G」のコードに2弦の「レ」(5度)をわざわざ付け足している。

by kurarc | 2019-12-14 16:52 | music(音楽)

Polka Dots and Moonbeams(水玉模様と月の光)

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先日、武蔵野スイングホールでジェレミー・ペルト(Tp)のジャズ・クインテットの演奏を聴いたが、その中で、Polka Dots and Moonbeams(水玉模様と月の光)が演奏された。この曲をトランペットをメインとした編成で聴いたことはなかったが、素晴らしい演奏で、改めて名曲であることを実感した。

わたしにとってこの曲はウェス・モンゴメリーの『インクレディブル・ジャズギター』というアルバムの中の曲として鮮明に記憶している。20歳の頃よく聴いたアルバムである。彼のオクターブ奏法がメロディーによくマッチしていた。久しぶりにこの曲を聴いて、40年近く前の記憶が蘇ってきた。

You tubeで様々なミュージシャンの演奏を聴くことができるが、意外とトランペット奏者のレパートリーに入っているようで、ブルー・ミッチェルやチェット・ベイカーの演奏も聴くことができる。シナトラも歌っている。中でも、1979年のローマでのビル・エヴァンスのライブの演奏は秀逸で、エヴァンスらしい繊細なハーモニーの演奏を楽しめる。

歌詞の内容は、かなり脳天気な内容だけに、この曲の良さが勝り、名曲として永遠に残るのではないだろうか。今の季節、晩秋を感じる曲である。

by kurarc | 2019-12-02 22:26 | music(音楽)

音楽の未来

今年は音楽を理論的に考察するような時間を多くつくった。その中で、バークリー・メソッドという20世紀に登場した音楽を機能的に理解するマニュアルといってよいものの批判的読解を菊地成孔さんらから学んだが、我々のまわりを見渡すと、音楽は相変わらずクラシックからポピュラー音楽、ロック、ジャズ、ダンス音楽(ループ音楽)など様々な音楽が共存している。この中で、どういった音楽が生き残り、また死に絶えていくのだろう。

少し前にICUや東京外国語大学の学園祭に遊びにいったが、学生たちが最も盛り上がっているのはダンス音楽であった。特別なコード進行もないような音楽でも、ダンスと共存することで退屈することはない。また、わたしはやらないがゲーム音楽も若者たちに浸透していると思われる。先日、ラインホルト・フリートリヒ氏のトランペット・リサイタルを聴いたが、その圧倒的な音量と技術の演奏に感動し、久しぶりにクラシック音楽の良さも味わった。わたしの中でも、全く異なる音楽は共存している。

音楽は個々人によって、その必要性、重要性は異なると思われるが、太古に音楽は呪力、神事であったことから、娯楽へと変化していったように、今後、何かに劇的に変化する可能性があるかもしれない。もしかしたら、巨大な政治力を持つような危険な芸術になるのかもしれない。もちろん、そうならないことを祈るが、音楽には注意深く接しなければならない危険性があることは、バークリー・メソッドを学んでよくわかった。心地よいと思われる音楽は、そのように仕組まれたものであるということ、また、心地よいという感覚も疑わしいものであるということである。

音楽の形式の変化、意味の変化など、興味は尽きないが、音楽の未来を見据えながら音楽をつくっている人、音楽を演奏している人、そのような人に会ってみたいものである。



by kurarc | 2019-11-28 00:24 | music(音楽)

ラヴェルの "ボレロ" と工場

菊地成孔さんのyou tubeを渉猟していると、ラヴェルのボレロが、実は工場音と関係しているということを話されていて驚いた。

ラベルの父親は機械技師であり、ラヴェルをよく工場へ連れて行ったというのである。その頃の記憶がこの曲に表現されているという。クラシックの曲の中で、何を演奏したいかと聞かれれば、わたしはまずこの"ボレロ"と答えるだろう。

一つの調性を保ちながら最後に転調してクライマックスを迎える。曲の中盤で、調性の異なる同じ旋律を演奏させる部分も含まれているという。実験音楽であり、ジャズのようなコンセプトにも感じるモダンな曲である。曲の長さも17分前後であり、飽きがこないのもよい。

you tubeでいくつものヴァージョンを聴く事ができるが、途中で広告が入るのには閉口する。今度、スコアを購入してこの曲を精緻に分析してみたい。

by kurarc | 2019-11-18 21:41 | music(音楽)

菊地成孔+大谷能生著 『憂鬱と官能を教えた学校(上下)』

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久しぶりにとてつもない内容の書物に出会った。わたしははじめてジャズを学んだのは20歳の頃(渡辺香津美さんのお弟子さんのT先生に学ぶ)。楽器はギターであったが、すぐに挫折した。ジャズ理論が理解できなかったのである。当時、1980年の頃、ジャズ理論を一般向けに解説してくれるような本も皆無で、渡辺貞夫の『JAZZ STUDY』という理論書がある程度であった。この書物は、数学や物理学の書物であるかのようにジャズ理論を解説なしで羅列したような書物で、素人のわたしには理解不能であった。この書物は今でも手元にあるが、もしかしたら理解可能になるかもしれない。 


それは、タイトルにあげた『憂鬱と官能を教えた学校( 上下)』(上下巻、およそ文庫で700ページ)を読解できたことによってである。この書物の主題は、アメリカのバークリー音楽院で体系化された「バークリー・メソッド」(音楽を機能主義的に考えられるように考案された体系と理解した)を批判的に読解したものであり、これが20世紀のジャズや商業音楽他に与えた影響を分析している。その一方で、クラシックや民族音楽を踏まえ、音楽全体を相対化することを副題としているような書物である。


手短にこの書物を読むと何が理解できるのかというと、それは、私たちの周りに存在している音楽の理論的背景が理解できるのである。もちろん、ジャズ理論も理解できる。また、音楽人類学的内容も含んでいるため、例えば、アフリカ音楽とブラジル音楽の違いなどについても言及されていて興味が尽きない。


読み始めた当初、この書物はジャズのみに関する書物と思っていたが、その予想は見事に打ち砕かれた。そのパースペクティブの広大さには驚かされた。クラシック音楽おも相対化してしまおうという野望にも、その鋭い切り口にも驚かされた。この内容を21世紀に入ってすぐ、2002年の段階で行なっていた菊池と大谷の音楽に対する博覧強記には脱帽せざるを得ない。彼らの書物はすべて読解したくなった。


*若い時にわからなかったことが、歳をとってわかるようになることがある、ということである。ジャズ理論を理解するのに35年以上かかってしまった。


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by kurarc | 2019-11-17 20:13 | music(音楽)