カテゴリ:architects(建築家たち)( 99 )

ジャン・ヌーベル  フィルハモニー・ド・パリ

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来年のオリンピック開催はかなり現実的ではなくなってきているような気がしてきた。新国立競技場も竣工したのはよいが、衝動的に見に行きたくなるような建築では残念ながらない。それに比較して、海外には理屈なしに見に行きたくなる建築が数多くある。わたしは、まずはノーマン・フォスター設計のベルリン、ライヒスターク(国会議事堂)、それに、パリに2015年に竣工したフィルハモニー・ド・パリの建築である。(パースはジャン・ヌーベルHPより引用)設計はジャン・ヌーベル。彼の建築はリスボンに滞在中、パリに行った時に見学したが、それ以来、見ていない。

BRUTAUSでクラシック音楽の特集があり、その中で、この建築を紹介していた。N響のコンサートマスターである篠崎史紀氏はこのホールで演奏したらしいが、かなり音響がよいとのこと。建築のかたちは奇抜だが、どうもそれだけではないようだ。ヌーベルの建築は直線的な建築が多いが、これはかなり冒険したと思われる形態である。そのコンセプトがどこから導き出されたのか興味深いが、この建築について詳しく資料にあたっていないこともあり、図書館が開館したら調べにいきたいと思っている。

*ライヒスタークについては、CASABELA最新号906に赤坂喜顕氏の論考がある。ライヒスタークのガラスのドームとブルネッレスキのサンタ・マリア・デル・フイオーレのクーポラ(ドーム)が比較され論じられている。

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by kurarc | 2020-05-28 20:38 | architects(建築家たち)

『Pippo the Fool』を読む

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イタリア・ルネッサンス期の建築家、フィリッポ・ブルネッレスキによるフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレのドーム建設をテーマとした絵本を原書で読んだ。

実は、この原書を読み、翻訳して出版したいと思っていたが、すでに訳されていたことを今日、気がついた。訳者の方は、何冊もの翻訳書を手がけている方で、やはり、訳すべき書籍への臭覚はするどい方なのだろうと思った。

主に、ロス・キング著の評伝を種本として創作された童話だと思うが、童話だけに、ブルネッレスキの逸話の中で、汚らしい部分は表現されていない。実は、こうした汚らしい部分こそ、ブルネッレスキ自身のリアリティを伝えるためには重要なのだが、そうした真実を省略するしないは作者の選択、意志に任せるしかない。

どのような訳文になっているのか気になるので、訳された絵本(古本)を今日注文することにした。わたしが疑問に思われる箇所などどのように訳されているのか学習したいと思っている。

この絵本は特にイラストが優れている。文章の内容がイラストによってうまく表現されているのである。しかし、著者とイラストレーター、両者ともにイタリア人ではない。イタリアにおいて、ブルネッレスキは自明な建築家だから、こうした絵本をつくろうと思う作者は現れなかったのかもしれない。

わたしがこの絵本に着目したのは、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロは日本で人口に膾炙されているが、ブルネッレスキは知名度が低いと思われたからであり、レオナルドやミケランジェロと同等の、あるいはそれ以上に重要な建築家であり、藝術家であると思っているからである。それにしても、今度翻訳を手がけようと思うときには、あらかじめ訳書が出版されているか確認した上で、読むことにしたい。

by kurarc | 2020-05-05 14:40 | architects(建築家たち)

建築家フィリッポ・ブルネッレスキ再び

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この連休中、改めて建築家フリッポ・ブルネッレスキの評伝などを読む予定である。

ブルネッレスキは、14〜15世紀、フィレンツェを中心に活躍した建築家であるが、彼の生まれる30年ほど前、フィレンツェでは、インドから香料を運んできたジェノヴァ船からペスト菌をもったクマネズミが拡散し、その1年後には、フィレンツェ市民の4/5が命を落としているという。ブルネッレスキは幸運にも、そうした疫病が終息した時代に生を受け、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームの建設を任されることになる。

ペスト終息後に行われた巨大事業であっただけに、市民たちの期待も大きかったに違いない。こうした状況化の中、いかにしてブルネッレスキは生きたのか、改めて考えてみたくなった。このブログで何度も触れているが、ロス・キング著の『天才建築家 ブルネレスキ』をはじめ、ジョヴァンニ・ファネッリ著の『ブルネレスキ』、G.C.アルガン著『ブルネッレスキ ルネサンス建築の開花』など、手元にある著作を読み直したいと思っている。

これらはすべて1回以上読んでいるが、今回は、かなり精緻に読解し、ブルネッレスキについて2時間くらい人前で話ができるレベルまで理解力を高めることが目標である。

by kurarc | 2020-05-03 09:20 | architects(建築家たち)

沖縄の建築家 末吉栄三さんのコラム記事

日本建築学会に雑誌のバックナンバーを調べに立ち寄った。30年以上前の『建築文化』という雑誌のある記事をコピーするためである。同じ雑誌の中に「変容する沖縄の風景」という特集があり、末吉先生ほか沖縄の建築家の仕事や対談も掲載されていた。

事務所に戻ってから、末吉先生からいただいた原稿などまとめたファイルを久しぶりに開くと、「唐獅子」という沖縄タイムズだと思うが、末吉先生が25回にわたり担当したコラム記事のコピーがあることに気がついた。1978年から1979年に掲載されたものであり、先生が33から34歳のときに書かれたものである。わたしが沖縄にいるときにいただき、すでに読んでいたが、改めて読んでみると、末吉先生から教えられたことがわたしのベースにあることに気づかされた。

この記事を読んでいなかったら、わたしはアムステルダムのアンネ・フランクの家やウィーンのカール・エーンが設計したカール・マルクス・ホーフは見学しなかっただろう。また、スペインのポル・ボウを通り過ぎた時、ここがベンヤミンが自死した場所であることを想像できなかったと思うし、バルセロナのランブラス通りを歩きながら、スペイン戦争やジョージ・オーウェルを思い浮かべることはできなかったと思う。

『建築文化』の特集のなかで、末吉先生は、那覇の廃墟が出発点であったことを述べている。大木などなにもないような街が先生の原風景なのである。だから、沖縄にいるとき、植物へのこだわりが人一倍強いことを身近にいて感じていた。

このコピー原稿の最後のページ裏に、沖縄在住時、暮らしていたアパート(アパートといっても沖縄なので鉄筋コンクリート造である)の住所とその家賃28,500円というメモが書いてあった。アパートの名称は「みどり荘」であった。

*末吉栄三先生は、昨年、逝去されました。

by kurarc | 2020-02-14 14:11 | architects(建築家たち)

立原道造によるブルーノ・タウト講義ノート

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本日、パナソニック汐留美術館で開催されている『モダンデザインが結ぶ暮らしの夢展』を見学してきた。

タウトやレーモンドなど日本おいていまだに人気のある建築家たちの展覧会であり、すでに日本でも数多く開催されていることもあり、展示品はそう変わりばえしないのではないか、と思っていたが、その予想は見事に裏切られ、わたしにとって初めて見ることができた仕事、資料が数多く展示されていた。

個人的には、タウトの日記の現物、上野伊三郎の竹による椅子に興味をもったが、その中に、立原道造の東京大学で受講したタウトの講義ノートが展示されていた。

以前、わたしは修士論文を書くとき調べたが、1934年7月9日、7月10日、7月12日、7月13日、7月16日、7月17日の計6日にわたり連続して講義が行われていることはわかっていた。この講義ノートはその時のもののようで、立原がどのように講義を理解し、ノートしたのか気になった。ショーケースの中に展示してあるだけなので、内容まではわからない。是非、ノートの内容を公開すべきだと思われる。

参考までにタウトの講演題目を下に記しておく。

1934年
7月9日 :建築の優れた質を成就する根本条件としての自由建築家
7月10日:建築の発展を担当した西洋建築家たち
7月12日:住宅建築
7月13日:ジードルンク建築
7月16日:一般建築
7月17日:都市計画



by kurarc | 2020-02-11 21:01 | architects(建築家たち)

ドキュメンタリー映画『スケッチズ・オブ・フランク・ゲイリー』

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カナダ生まれ、アメリカの建築家フランク・ゲイリーの自伝的なドキュメンタリー映画をみた。ロシア(父)やポーランド(母)のユダヤ系の血をひいていることもあり、かなりの苦労人であることを知った。

彼のインタビューを交えてのドキュメンタリー映画であるが、正直で率直な物言いは好感が持てた。先日紹介したフライ・オットーの建築もそうだが、ゲイリーの建築も日本人の感性からは生み出されそうもない建築と思われるが、彼は、建築家になる前、陶芸を学んでいたことを知り、その造形力はそうした彼の生い立ちが影響しているように感じられた。また、破産寸前になったり、同僚からバカにされていたりと当初から恵まれた建築家ではなかったことを知る。彼は初めの奥さんと離婚したが、その奥さんに名前を変えるように言われ、現在のフランク・ゲイリーという名になったという。そうした、隠しておいたほうがよいようなエピソードも、笑いながら話すゲイリーの懐の深さにも感心した。

映像中で、彼の要望を模型にする所員の姿が映されていたが、正直、かなり理不尽な要望で、所員も辛そうであったが、ゲイリーはむしろ収まりの悪い建築を求めているようなところがあり、驚く。こうした建築のつくり方は、日本のような雨の多い気候ではなじまないだろう。彼は、クライアントを大切にする建築家でもあるようで、よいクライアント(ゲイリーの建築に理解のあるクライアント)にはよい建築ができるという信念を持っているという。だからといって、事細かにクライアントの要望を聞き出すようなことはしないらしい。彼なりにクライアントの考えを察し、それをカタチに反映させるということである。こうした考えは、建築家が中心となって進めるべきといった普通の建築家の感性とも異なっている。

ゲイリーのような建築は私には到底できそうもないが、彼から学ぶべきところは、先入観を持たないで仕事に取り組むというところだろうか。

by kurarc | 2020-01-22 21:56 | architects(建築家たち)

吉田鉄郎 100年前の図面


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今日は新しく始まる現場で近隣挨拶の後、旧岩崎邸庭園内にある国立近現代建築資料館で、「吉田鉄郎の近代モダニズムと伝統の架け橋」を鑑賞する。

この展示は、今からおよそ100年前、吉田の10代に描いた図面(絵画)から晩年の仕事に至るまでを俯瞰できるものであり、非常に興味深い展示であった。わたしが特に驚いたのは、吉田の絵心である。彼は、どうも美術大学(多分芸大)を志望していたようで、絵の才能に恵まれていたことを初めて知った。

また、吉田は東京大学に入学することになるが、そこでの課題案から、西洋の古典的な建築から、日本の古建築に至るまで、すべてを学んでいるということがわかった。吉田を単にモダニズムの建築家として狭義に捉えてしまうことは大きな間違いであると言える。

そうした背景もあり、わたしは彼が最晩年にスウェーデン建築へ傾斜したことがうなずけたのである。もしかしたら、東京中央郵便局のようなモダニズム建築の仕事は吉田の本心からやりたかった仕事ではなかったのではないか、これはあくまで逓信省という企業の中にいた建築家としての仕事であり、彼の中にはもう少し違った感性が眠っていたのではないか。今回の展示を見てそのように感じた。

吉田は、富山の地方都市の出身者ではあるが、その建築家としての力量は世界に通じるものを持っていた稀有な存在である。吉田の後輩たち、分離派と言われる運動を行なった建築家はジャーナリスティックに発言するものが多かったが、吉田は常に静かで冷静に仕事を行なっていたようである。このような建築家はわたしの周りにはいないし、今までに会ったこともない。

by kurarc | 2019-11-02 20:53 | architects(建築家たち)

建築家吉田鉄郎の展示会

吉田鉄郎、と聞いてあの建築を設計した人と思い浮かべることができる人は相当の建築フリークだろう。東京住まいの人間にとっては東京駅脇に建つ旧東京中央郵便局((現在KITTE)が最も著名な建築だろう。11月1日から、国立近現代建築資料館で、『吉田鉄郎の近代 モダニズムと伝統の架け橋』と題された吉田鉄郎の展示会が開催されるという。これは必見である。

吉田は典型的な旧制高校出身の秀才建築家と言えるだろう。彼の出身地は少し前に訪れた富山県高岡のずっと南の山奥である。吉田は設計力も優れていたが、ドイツ語で日本の建築に関する著作を著すなど、語学力にもたけていた。わたしが修士論文で取り上げたブルーノ・タウトも日本の建築家の中で吉田を最も高く評価した。

わたしも逓信省時代の建築は知っているが、彼の仕事の全貌については把握していない。この機会にこの展示会で彼の業績を改めて学習したいと思う。

吉田は長生きはしなかった。1956年に62歳の若さで亡くなっているが、あと10年長生きしたならば、日本の建築界を変えるだけの仕事を成し遂げたのではないか。それも、その当時は気付かれずに、後になってわかるような仕事を。

*こうした展示会は残念ながら東京近郊住まいの人間でしか楽しむことはできない。その辺りが東京住まいのメリットだと言える。地方に住むことは、こうした企画を楽しめないことになる。財力と時間がある人は別だが、地方に住む場合はまた別のメリットがあるということを謳歌すべきなのだろう。

by kurarc | 2019-10-28 19:55 | architects(建築家たち)

金沢21世紀美術館


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金沢に行った目的の一つは、金沢21世紀美術館を訪れることであった。この美術館の評判はすこぶる良い。それが何によるのか確かめたいということであった。

結論から言うと、この美術館はコンセプトのみを浮かび上がらせた美術館と言えるものであり、建築自体に興味は持てなかった。しかし、それはこの美術館が優れていないと言っているわけではない。むしろ、稀有な美術館である、と言うことである。

美術館は、いわゆる芸術品を収める場所であるから、多くは大げさな意匠を行う建築が多い。しかし、この美術館にはそうした過剰な意匠はまったく見あたらない。円形のボックスに、高さの異なる直方体が突き刺さったような建築、それだけなのだ。さらに、直方体と直方体の間は室内の街路空間と言えるスペースとなっていて、美術館内を自由に歩き回ることができる。つまり、この美術館は都市内都市として計画されているのである。

こうしたことをやっただけで、大げさなことは一切省かれている。これほど明快なコンセプトを体現した建築はあまりお目にかかれない。建築家たちは通常、ディテールなどを見せびらかしたがる。この建築にはそうしたいやらしさが見あたらない。

こう書くと、この建築を絶賛しているように思われるかもしれないが、そう言っているわけでもない。コンセプトのみが浮かび上がるが、ものとしての魅力には欠ける。この辺りのバランスは非常に難しいが、もう少し、意匠を突き詰められたら、もっと優れた建築になったに違いない。

*ここで、「コンセプト」という言葉を使った。学生などが課題発表のとき、よく使う言葉だと思う。もしかしたら、今ではもう死語なのかもしれない。ジャズギタリストの高内春彦氏の著書を少し前に紹介したが、この著作の中でも「コンセプト」という言葉の定義のようなことが言及されていた。
絵画で言えば、遠近法の表現ではなく、印象派以後の表現、これが「コンセプト」である。「コンセプト」とは自己の定義による表現形式のこと。芸術全般は、19世紀のある時期から自ら定義するものとなった。音楽では、ドミナント・モーションが捨てさられたとき、「コンセプト」がはじまる。印象派の音楽である。「コンセプト」という言葉は、実は近代以後の言葉なのだと高内氏の著書から気づかされた。


by kurarc | 2019-09-27 23:39 | architects(建築家たち)

金沢市立玉川図書館


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およそ40年ぶりに金沢を訪れた。金沢21世紀美術館なども訪れたが、わたしにとって思い出深い建築は、金沢市立玉川図書館であったこともあり、再訪した。

谷口吉郎監修、設計は谷口吉生氏という親子共同による仕事として著名な建築であり、40年前にも訪ねた。改めてこの建築を見学したが、日本の図書館建築で、わたしが見学したものの中で最も興味深い建築である。これが金沢中央図書館ではなく、分館であるということにも驚かされる。金沢の建築文化の質の高さを思い知らされる。

この建築が優れているのは、隣接する近世資料館との対比であろう。様式建築とモダニズムの建築がこれほど明確に対比される様相を他に見たことはない。様式建築に媚びることなく現代の建築を素直に設計している。もちろん、隣接する様式建築のプロポーションや高さには注意を払いながら、レンガという素材感だけは何気なく中庭に取り入れて、内部からレンガの質感を鑑賞できるようにして、隣接する近世資料館と連続するようにデザインされている。中庭は連続するための装置でもある、ということになる。

今回、メインは富山の高岡であったため、金沢には時間がかけられなかったが、安い宿でも探し、3日、4日滞在して、じっくりと金沢建築を堪能したくなった。

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by kurarc | 2019-09-26 02:00 | architects(建築家たち)