Archiscape


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カテゴリ:architects( 83 )

インド人建築家 ドッシ氏 プリツカー賞受賞

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インド人建築家、都市プランナーのバルクリシュナ・ドッシ氏がプリツカー賞を受賞したことを知った。

以前、このブログでも書いたが、1985年3月に初めてインドを訪れ、旅の途中にドッシ氏(ル・コルビュジェのお弟子さん)のアトリエを訪問した。当時、インド留学中であり、現在、徳島で活躍される建築家の新居照和氏に連れて行っていただいたのである。あいにく、ドッシ氏は不在であったが、建設されてからまだ日の浅いアトリエ(上下写真、Business insider Japan HPより引用)を内部も含め、見学させていただいた。

このアトリエには、外部に送風機が仕組まれ、水に浸された布状のもの?を風が通過し、気化熱を奪われた冷風が建築内部に取り入れられるというシンプルなエアコンの仕組みがデザインされていた。環境建築の先駆けといってよい建築であった。

以前ブログでも書いたが、ちょうど3時頃訪ねたこともあり、所員の方々はティータイムで、外部の庭で優雅に紅茶を味わっていた。その間、わたしはアトリエを見学させていただいたのである。ボールト状の開放的な屋根がインドの強烈な日差しを遮断し、深い陰影をつくるデザインである。

インド人では初めてというプリツカー賞であるが、今後ドッシ氏の事務所出身の建築家たちが、多くの優れた建築をつくっていく(すでにつくられている)ことになるのだろう。
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by kurarc | 2018-05-01 21:46 | architects

福生市役所見学

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今日は午前中に福生市役所を見学。以前勤務していた建築設計事務所が設計監理を手がけた建築である。三鷹市庁舎建て替えのワークショップに参加することになったため、最近建設された新しい市役所の学習も兼ねての見学である。

結論から言うと、福生市役所は、スケール観がよいこと、市役所としての権威の誇示などは感じられず、好感がもてた一方、様々な点において疑問をもったことも事実である。

まずは、人工地盤のつくりかた。芝生を植えることはよいが、傾斜をつけることにどれだけの意味があるのか?市役所は非常時に市民が集まるような機能を考えると、安易に傾斜をつけるよりも、集まったときに、機能的な広場にできることを優先すべきではないか?また、人工地盤へ上るのは階段のみであり、スロープがない。車椅子利用者は、一度建物の中のエレベーターを利用して、この人工地盤に上ることになる。(つまり、休日には人工地盤に登れない)スロープを排除したのはなぜか?etc.

屋外階段の収まりに欠陥があり、見苦しかった。これは設計事務所の詰めの甘さが露呈していた。市役所としての魅力はあるが、大くの疑問が残る建築であった。

三鷹市は今後どのような市役所を模索していくことになるか?建築家は予定調和的に広場を計画したり、ホールを計画するが、市民に喜ばれない、または、市民が活用しようとしない広場をつくっても意味がない。そのような広場であればない方がましである。広場を計画するのであれば、ロマン主義に偏らず、確実に市民に利用されるような仕掛けを用意しなくてはならない。21世紀、ポスト3.11の現在、市役所(市庁舎)は、徹底的に市民の活用をシミュレーションした上で計画すべきである。

*開口部の内側には手動のアルミルーバーが設置されている。手の届くところは開閉が容易だが、吹き抜け状の箇所はどのように操作しているかよくわからなかった。

*芝生、床タイルとツラ(同一面状)に収められたトップライトには、「ガラスの上に乗らないでください」の注意書きがあった。強度上は問題ないと思われるが、万が一のためにという注意書きだと思う。このように書かれることは予想できたはずなのだから、トップライトの収まりを地面とツラで収めるのは問題がある。

*今日は初夏のような天気。このようなよい天気の日に、人工地盤上の広場には誰もいない。多分、休日も同様だろう。この広場は一体なんのためにあるのだろう?
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by kurarc | 2018-04-19 16:26 | architects

建築家センムト

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NHKでエジプトに関するテレビ番組をみていると、ハトシェプスト葬祭殿(上写真、wikipediaより)が登場した。この建造物を設計したのはセンムト(Senenmut、下写真)というハトシェプストの側近であった人物であったという。わたしは恥ずかしながら初めてこの建築家の名前を知った。

われわれ建築を学ぶものは、建築史といえば西洋建築史であり、古代ギリシャ、ローマの建築から記述がはじまる。つまり、それ以前の古代エジプトの建築史などは蚊帳の外。興味をもったものしか学習しないだろう。わたしは一度エジプトを訪れ、その巨大な建造物に腰をぬかしたが、自分で興味をもったのは西洋(特に近代)の建築であった。

あるお世話になった建築家の方に、古代ギリシャのパルテノンのような建造物には数学(比例)が感じられる、と教えられたことがある。わたしも同感なのだが、ハトシェプスト葬祭殿にも古代ギリシャとは異なる数学が感じられると今日テレビをみていて感じた。

中央に伸びやかな傾斜路をもち、古代ギリシャとは異なる古典的な列柱がかもしだすリズム。岩石から秩序を掘り起こしたようなプロポーション。建築家センムトの設計意図は明らかだ。それは、カオスとしての自然からまさに「建築」と感じられる秩序を現前させることであったのだろう。強烈な太陽光を意識したデザインのようにも思われる。センムトは天文学に精通していたというから、彼のデザインが宇宙と連関するようなコンセプトであったかもしれない。よく知られているように、こうした古典性の表層をナチスは建築に利用した。彼らはこうした古典(廃墟としての古典)を永遠と位置づけ、建築に表現したのである。

しかし、ハトシェプスト葬祭殿はナチスの薄っぺらな古典的建築を遙かにしのぐ繊細さを持っていると感じられた。建築から繊細さが失われること、それは建築の危機と深く結びついているのである。
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by kurarc | 2018-03-27 21:16 | architects

失われる昭和の住宅群

鎌倉から三鷹に戻りすぐのことであったと思う。ある著名な建築家の自邸を三鷹の井の頭1丁目(1961年竣工、建設当時は牟礼)に外観のみ見学に行った。ルイス・マンフォードの翻訳者としても著名な建築家の住宅(下、図面。TOTO通信より転写)である。

先日、気になって再度見学に行ってみたが、解体され、新しい住宅に建て変わっていた。最近、武蔵野市のある戦前の企業の旧寮を実測調査した。こちらも解体が予定されているという。そのときに一緒に調査に参加した建築史家の方が言うには、明治以前の古い建築は残る可能性が高いが、以外と昭和や戦後の建築は残らないんだよ、と言った。戦後の建築、たとえば、1950年代に建設された住宅などもすでに築50年以上経過しており、登録文化財に十分指定できる年月が経っているにもかかわらずである。

新しい建築物はその価値の判断が難しく、その価値を評価してくれる歴史家も少ない。それに、オーナーは古い建物を壊して土地を有効活用したいものが多く、残るはずはない。わたしの身の回りでも、立地条件のよい建築物はすぐに解体され、ハウスメーカーの住宅、あるいは、地元の工務店の住宅にすり替わっている。

昭和ブームなどと世間は騒がしいが、建築においてはまったくブームなどにはなっていない。相当優れた建築物でない限り、見向きもされず解体されるのがオチである。赤の他人が解体をするな、といってもそれはそれで失礼なことになり、オーナーの良識に従うしかない。以前、建築物にもお葬式が必要だ、と言った建築家のことを書いたが、少なくとも、名作と言われる建築物は、解体される前に、有識者に公開し、実測調査など資料を整えた上で、解体されることが望まれる。
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by kurarc | 2018-03-04 19:46 | architects

エレーラ・イ・グティエレス・デ・ラ・ベーガ

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丸善のような書店へ行くと、その膨大な書籍量に圧倒されるが、その中に自分の探し求めているものが書かれた書物があるか、というとはっきり言ってないに等しい。どれだけ書物が山積されていても、日本語ではわたしの求めているものは読むことができないのである。

ブログのタイトルにあげたのは、スペイン、ルネサンス期の建築家。通常は「エレーラ」とだけ呼ばれる。イタリアのサン・ピエトロ寺院建設時にミケランジェロのもとで働いた経験を持つファン・バウティスタ・デ・トレドの助手として、トレドの死後はエレーラが工事を引き継いだ建築物があのエル・エスコリアル宮(上、ウィキペディアより)である。この宮殿を訪れたのは、リスボン滞在中、スペインを旅行したときであった。マドリードから列車で1時間ほどであったと記憶している。この巨大な宮殿をまかされたエレーラについて、日本語で読むことができる書物を探したが、今のところ見つけることができない。

ポルトガルのルネサンス期の建築の研究者であるジョージ・クブラーがこの建築物について一冊の書物を著している。エレーラの携わった建築はエレーラ様式と呼ばれるほどスペインでは重要であり、意義深いものである。エレーラはこの宮殿の建設において、石材のプレファブ化やクレーンを発明した、と丹下敏明氏は書いている。(『スペイン建築史』相模選書)

エレーラが重要なのは、彼の建築コンセプトのポルトガルへの影響の大きさである。いまだにどこで建築を学んだかもわからないエレーラの経歴もあり、現在でもアカデミックな立場のものからはあまり注目されないのかもしれない。しかし、ポルトガルを含めたスペイン、すなわちイベリア半島全体の建築史を知りたいと思うものには避けることができない建築家と言えるだろう。

多分、どのような分野でも同様だと思うが、何かを知りたいと思うものは、必然的に原書にあたるしかないのである。

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by kurarc | 2018-02-27 23:17 | architects

工房都市へ

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調布で東京建築士会多摩南部支部の設立総会があり、その総会の始まる前に、猿田彦珈琲調布焙煎ホール(上:猿田彦珈琲HPより転写)でエスプレッソを飲んだ。かなり待たされるが、エスプレッソは酸味のきいた珍しい味であった。

カフェの中には焙煎機が何台も設置されていた。カフェのデザインは売れっ子の建築家、デザイナーである谷尻誠さん。カフェの中に様々な場所をしつらえ、お客さんたちは、各々お気に入りの場所を見つけて、珈琲タイムを楽しんでいる。

カフェのデザインも優れているが、わたしが注目したのは、やはり「焙煎機が設置された場」である。ここはカフェでありながら、珈琲をたのしむための工房、あるいは工場である。

わたしの生まれた三鷹も、1960年代までは町工場が数多く存在した。わたしの実家もその一つであったが、1970年代になり、こうした町工場は郊外へと移転していき、その跡地は住宅へと変貌していった。

あれから50年近くも経過するが、都市はまた都市の中に工房、工場(こうば)を求めている。3Dプリンターの工房、洗濯を専門とする工房など、機械の進化、小型化とカフェのような慰安の場が都市の中でマリアージュされてきたのだ。考えてみれば、街の中に数多く存在する洋菓子店やパン屋も工房である。猿田彦珈琲調布焙煎ホールが新しいのは、工房の内部を隠さず、大胆に可視化しているということ。

こうした都市の変化を仮に「工房都市」と呼んでみようと思う。かつての「町工場」という泥臭い工場(こうば)から、都市の中で21世紀型の工場、工房型店舗が顕在化してきた。今後、どのようなタイプの工房がうまれてくるのだろうか?

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by kurarc | 2018-02-24 10:00 | architects

建築家M氏、逝去の知らせ

11月16日に東京藝大名誉教授の建築家M氏が逝去されていたことを今日知った。ご冥福をお祈りしたい。

M氏と初めてお会いしたのは、わたしが大学生2年生の頃(1980年頃)であったと思う。代官山ヒルサイドテラスの一室にあった建築家Y氏の事務所にアルバイトに行くことになり、その同室で別に設計事務所を営んでいたのがM氏であった。

のちに、わたしが某大学で助手をやっていた時には、大学院の講師として勤務されていて、いろいろお世話になった。M氏は建築家としては紳士的なタイプの建築家であった。建築家という人種は、横柄な態度の人が多いものだが、M氏はそうした態度をまったくとることのない繊細な建築家であった。

先日このブログで紹介した『ポルトガルを知るための50章』(初版)を送付した時にも喜んでくれて、確か年賀状にお礼の言葉を書き添えてくれた。3、4年前に東京藝大でのシンポジウムでお会いしたのが最後であったかもしれない。横柄な建築家は長生きするものだが、M氏はその繊細さ故に、死期を早めたのかもしれない。これから晩年の成熟した仕事を拝見できると思っていただけに、大変残念である。
                                                        

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by kurarc | 2017-12-20 09:35 | architects

南仏サン・ポール・デ・ヴァンス マーグ財団美術館

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毎週楽しみに見ているNHK『旅するフランス語』で、サン・ポール・デ・ヴァンス(上写真)の街が紹介された。名だたる芸術家たちが滞在した宝石のような街である。サン・ポール・デ・ヴァンスは小高い山の頂部につくられた都市であり、建築学でこうした都市を山岳都市というが、フランス語では、"village perché”(ヴィラージュ・ペルシェ、高いところに置かれた村の意)、あるいは、鷹が高所に巣をつくる様に似ていることから、鷹の巣(村)(nid d’aigle、ニ・デーグル)と呼ばれる。

1984年10月14日、わたしはニースからこの街まで2時間以上歩いてたどり着いた。スペインの建築家、ホセ・ルイス・セルト設計のマーグ財団美術館(下写真、マーグ財団美術館のHPより引用)を見学するためである。この美術館のみを見学するために訪れたので、旧市街の方にはまったく行っていない。美しい旧市街をテレビを見ながら、もったいないことをしたな、と思ったが、わたしの旅はいつもこうなのだ。お金に余裕がないため、目的のものを見学することに絞らざるを得ないのである。

この街に2泊するくらいの余裕があればよかったのだろうが、わたしは美術館を見学するやいなや、また歩いてニースに引き返した。ここまで歩いて行かなければ、時間的な余裕もできて、旧市街を見学できただろうにと思うが、当時、バスやタクシーを利用するだけの金銭的余裕もなかったのだろう。

当時のノートによれば、10月16日にはイタリアのルガーノ、ティッチーノへ行き、マリオ・ボッタという建築家の作品を見学している。ニースはちょうど南仏最後の目的地で、その後、またイタリアの旅へと向かったのである。

次に南仏を訪ねる時には、余裕のある旅にしたいものである。
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by kurarc | 2017-11-06 16:16 | architects

銀座ソニービル 記念ルーバー

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銀座ソニービルの外装に使用された記念ルーバーが先日届いた。数ヶ月前に申し込んでいたものなので、すっかり忘れていた。

銀座の交差点にその端正な外観を持ったソニービル(芦原義信設計)はおよそ50年という歴史に幕を閉じることになった。その記念として、外装ルーバを切断し、チャリティーを兼ねて発売されることになった。このチャリティーがなければわたしも申し込むことはなかったと思うが、よいアィディアだと思う。

何に使えるのかわからない。ペンスタンドくらいしか思い浮かばないが、東京タワー、あるいはエッフェル塔の形のような断面はやはり美しい。
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by kurarc | 2017-10-17 12:10 | architects

元麻布の安藤記念教会見学

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以前もこのブログで紹介したが、元麻布にある安藤記念教会を見学してきた。設計者は吉武長一。この教会は今年で築100年を迎えるという。大谷石で組まれた重厚な外観が印象的である。麻布十番から都立中央図書館へ向かう道で偶然見つけた。内部を見学したいとずっと思っていて、あらかじめ見学したい旨を伝えると、快諾していただく。

今日は日曜日であったことから、まず礼拝に参加。わたしはキリスト者ではないが、子供の頃、一時、日曜学校といって自宅近くの教会に通っていたことがある。日本で主日礼拝に行くのは、考えると45年ぶりのことかもしれない。

この教会は小川三知のステンドグラス(写真下)があることでも知られている。小川のステンドグラスのファンは数多く、わたしもその一人である。今日は間近で見学することができたが、小川のステンドクラスには生命力と若々しさ、躍動感のようなものがあり、気に入っている。この教会の方に話を聞くと、建築だけでなく、室内の長椅子も100年使い続けていると聞き、驚いた。耐震補強はすでになされたということなので、きっとこの教会は少なくともあと100年は確実に生き続けると思う。

大谷石の積み方は、いわゆるフランドルレンガ積みと等しく、大谷石の長手と短手を交互に積んでいる。表面はのみで45度に引っ掻いた切り込みが入っていて、スクラッチストーンと言うべき仕上げで、大谷石に表情を与えている。丁寧につくられた教会であることを改めて感じた。こうした名建築は忘れ去られた、無名といってよい吉武のような建築家によってつくられたのである。建築は名前で語られべきものではないことが、この建築を見て実感することである。

*この教会は、いわゆる"Box Church"という一室空間の教会である。ポルトガルによく見られる教会のプラン。内部に柱がないので、信者の一体感が生まれやすい空間と言えるだろう。切妻の屋根の形がそのまま内部にも現れているが、通常は屋根が開いてしまうので、登梁をつなぐ材料が必要なはずだが、それが見受けられない。これは明らかに設計者の意図だろう。登梁を金物で緊結していると思われる?が、本当のところどのような屋根の構造になっているのか気になる。

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by kurarc | 2017-10-08 20:15 | architects


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