Archiscape


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by S.K.
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カテゴリ:art( 34 )

人形について

先日、文楽を初めて鑑賞した。この人形を操る古典芸能に接して思ったのは、人形は人間とどのような関わりをもってきたのか、あるいは、人形とは人間にとっていかなる意味があるのか、ということであった。

2016年7月28日のブログ「レオナルドからアンドロイドへ」の中で、人形ではなく、ロボットやアンドロイドという言葉を使ったが、これらは考えてみれば、手工業的な人形の進化形、つまり機械工業技術に置き換えられた「人形」としてとらえられる。人工知能もある意味ではこうした人形の延長線上に登場した技術とみなせるかもしれない。

2016年7月28日のブログの中で、わたしの愛読書、花田清輝著『復興期の精神』の中の「鏡の中の言葉」についてふれたが、花田は実は「人形論」あるいは「玩具論」のようなものを想定していたのである。現代の人工知能のような技術もすでに「人間機械論」の世界の延長であって、決して新しい認識とは言えないと思われる。

人工知能を「人形」のような言葉と相関させて考えてみること、機械人類学(あるいは直接的に言えば、人形人類学)のような学問を想定してみると興味深いかもしれない。我々のまわりは、いつの間にか自動車や電車、コンピューターなど機械に取り巻かれた世界に変化した。そのことと、人形を創作してきた人間の文化とどのような接点をもつものなのか考えてみるとおもしろそうである。

最近興味を持った映画のなかには数々の人形、あるいは、人形らしきものが登場していたことも、わたしが文楽に興味をもったことと無縁ではない気がしてきた。かつて吉祥寺を拠点としていた結城座の操り人形劇の体験も大きい。幼少の頃には、「里見八犬伝」や「サンダーバード」、もっと遡れば、「ひょっこりひょうたん島」などの人形体験も影響しているのかもしれない。「人形」は、現代の最先端の技術から古代までの技術と文化を結ぶキーワードになるかもしれない。

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by kurarc | 2018-03-17 18:33 | art

文楽 女殺油地獄

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先日、文楽を初体験した。近松の『女殺油地獄』である。今年は古典芸能を学ぶ年にしたいと思っていて、まずは、最も興味のある文楽を国立劇場で観覧する。

このような芸能をもっと早く知るべきであったと後悔した。文楽(人形浄瑠璃)は、太夫(語り)、三味線(音楽、楽器)、人形(人形遣い)が三位一体となった芸能であり、演劇とも異なる新鮮な芸能であった。失敗したのは、近松の『女殺油地獄』のストーリーを把握することなしに観劇したことである。太夫の語りを初めてのものが理解することは不可能に近い。字幕が舞台の両袖に掲げられるが、それを読んでいては舞台から集中がそれてしまう。

人形の迫力もさることながら、三味線の高度な演奏技術にも驚いたし、太夫の変幻自在な声色、そして、人形遣いによる人形の豊かな表情と繊細な動きなど、どれをとっても楽しめる芸術である。『女殺油地獄』では、人殺しのシーンが描かれる「豊島屋油店の段 てしまやあぶらみせのだん」が圧巻。油にまみれる姿を人形の動きで巧みに表現する。文楽は、バロック演劇といってよいような動きと語り、音楽の渾然一体となった芸術であった。

東京では2ヶ月に一度程度しか文楽は催されないが、今年はなるべく多くの作品を観覧したい。文楽ファンが東京には数多く、予約がなかなか取りづらいのが難点である。

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by kurarc | 2018-03-03 23:44 | art

ゴッホ 1枚の絵

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NHKの「旅するフランス語」1月はゴッホをたどる旅であった。このプログラムで初めて知ったのだが、「ゴッホ」と発音するのは日本くらいのもので、フランスでは「ゴッグ」、本場オランダでは「ホッホ」に近い音だと言う。ヴィンセント・ヴァン・・・もオランダ発音ではフィンセント・ファン・・・だと言う。

ゴッホは、南フランスで療養する間、南フランスの自然の絵を数多く残した。その中でもオリーブをモチーフにした絵は、その後、プロヴァンス地方のオリーブ農家に大きな力を与えることになる。この地方を襲った冷害により、だた1本のオリーブの樹しか残らないような甚大な被害を受けたとき、ゴッホが描いたオリーブの樹の絵がプロヴァンスのオリーブ農家を元気づけ、復興への励ましになったのだと言う。

1枚の絵が持つ力に敬服すると共に、彼の純粋な心で描いたオリーブの樹の躍動感は、いわば名曲を聴いたときのように、人の心を動かす力を包含していたのである。このことだけでもゴッホの存在は意義深いものであったことになる。

かつて、南フランスを訪れたとき、わたしもアルルやサン・レミといったゴッホに関係する土地を訪ねた。そのときに撮影したスライドを眺めながら、南フランスの幸福な太陽を思い出した。そういえば、この南フランス、プロヴァンス地方が注目されるきっかけをつくったピーター・メイル氏がこの1月18日に亡くなられたと言う。メイル氏がプロヴァンスに移り住んだ時期とわたしが旅した時期はほぼ重なる。彼の著書の中に、わたしが体験したプロヴァンスの光や影、自然が定着されていることになる。

雪の降る東京で、南フランスの太陽を回想することになるとは妙な巡り合わせである。
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by kurarc | 2018-01-22 20:39 | art

2018年秋 パリで伊藤若冲展開催

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2018年秋、パリのプティ・パレ美術館で、日仏友好160周年を記念した「ジャポニズム2018」にちなんで、伊藤若冲の大規模な展覧会が開催されるという。  

最近、特にこうした日本の画家や詩人、文人などの世界が気になるようになった。わたしは基本的には日本の芸術に特別に興味を持ったことがない。23歳の時に初めて海外の芸術に直接触れ、その衝撃的と言える緻密な芸術(建築を含む)に圧倒され、その世界から抜け出せずにいた。

しかし、欧米の芸術全般を知れば知るほど、日本の芸術が逆照射されるように感じられ、最近、興味を持つようになった。その一人に、伊藤若冲がいる。

彼の絵に興味を持つのは、まず、花鳥画を数多く残していることが挙げられる。野鳥の観察をするようになったこともあるが、「鶏の画家」と言われるほど多くの鶏を描いていることにも惹かれるし、その他の動植物の絵の「神気」にはただならぬ力が感じられる。また、桝目描きのような、現代のデジタルアートにつながるような斬新な絵にも魅力を感じる。

こうした天才と言えるような画家も、生まれは青物商の出であり、ブルジョアではあったが、何をやってもダメな子供だったのだという。それが20代後半から絵の道を志し、その10年後には立派な画家に成長したというから不思議である。

若冲の絵を近いうちにまとめて観たいが、来年の秋にパリに行くのが手っ取り早いのかもしれない。



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by kurarc | 2017-09-18 13:18 | art

セザンヌ再び

小林秀雄の『近代繪畫』を読み直している。調べてみると、小林が、ちょうどわたしと同年代の頃書かれたものであることがわかった。この本を例えば10代の少年少女が読んで、その内容を理解できたとしたら、きっと早熟の天才だろう。小林が注意深く選択した言葉は、わたしのような年代になってからでないと響いてこないと思われるからである。特に、セザンヌのような画家は、晩年になって初めて理解できるような画家である。

小林秀雄の『近代繪畫』は、大きくセザンヌとピカソについての本といって良い。分量で言うと圧倒的にピカソにページを割いている。ボードレールののち、モネを取り上げ、セザンヌに移るが、モネはセザンヌを取り上げるためのイントロに過ぎない。

小林はもちろん原書で様々なセザンヌ論やセザンヌの手紙などを読んでいるようで、その内容は深い。例えば、セザンヌが使う「モチーフ motif」という言葉は、「絵画の主題」といった意味に使っているのではないといい、「導調」という訳語をあたえている。セザンヌは作曲家ワグネル(ワグナー)のこの言葉からインスピレーションを受けて使用していると小林は分析しているように、セザンヌの理解には音楽の理解が不可欠であることがわかる。

そのほか、小林はセザンヌの手法を「自然という持続する存在」を掴むこと、「画家にとって光は存在しない」といったセザンヌの言葉を引用し、セザンヌの絵画の深淵の探求に向かっている。こうした探求は10代の少年少女たちには理解は不可能であろう。

ゼザンヌは、わたしに絵画という音楽と哲学を含む芸術を改めて気付かせてくれた。わたしはセザンヌをまったく理解していなかったのである。セザンヌは大人のみが理解できる画家といってよいのではないか。

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by kurarc | 2017-06-03 13:36 | art

御茶ノ水 レモン画翠

仕事がひと段落したのもつかの間、模型を作らなければならなくなり、久しぶりに御茶ノ水のレモン画翠へ。

いっとき、店内のパワーがなくなったな、と感じた時があったが、今日久しぶりに訪ねて見ると、パワーはかなり復活していた。10代の頃からお世話になっている画材屋だけに、活気が蘇ったのは喜ばしかった。

帰宅後、店内に置いてあった『建築と画材』というタイトルのフリーペーパーを眺めた。建築の模型を作るのに使う画材はわたしが学生だった頃とほとんど変わらないな、と思いつつ、一点、「ラバークリーナー」というボンドが接着面からはみ出した時に拭うものがあることがわかり、そろえなければと思った。(帰宅する前に気づくべきであった。)

いくつか模型材料をそろえてきたが、いつも思うことは、なぜこんなに高価なのだろうか?ということ。貧乏学生では模型材料など買うことはできないだろう。


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by kurarc | 2017-05-12 20:26 | art

ジュウシマツと芸術

鳥に関する本を渉猟している。今、注目しているのは岡ノ谷一夫さんや、小西正一さんの著作である。主に、鳥の歌、さえずりに関する研究だが、これがなかなか興味深い。

岡ノ谷さんの本の中に、興味深いエピソードが書かれていた。それは、ジュウシマツの歌についてである。小鳥のさえずりは、求愛行動がその主目的とされているが、ジュウシマツを観察していると、そうしたジュウシマツの中に、メスの前では歌わないものが出てくるというのである。そうしたジュウシマツは一人(一羽)にすると歌い出すのだという。そして、そのジュウシマツは他のジュウシマツと異なり、高度な歌を歌うのだそうだ。

岡ノ谷さんの研究室にいるそのジュウシマツは「パンダ」と名付けられて有名なのだという。岡ノ谷さんは、このジュウシマツは求愛という本来の目的から離れて、歌うことそのものを、歌うことの美しさを求め始めたジュウシマツではないか、と考えている。それは、(鳥の)芸術(音楽家)の始まりではないか?と。

鳥の歌(さえずり)を考えることから、人間の言語や歌について、芸術について思いを巡らして見ることは、鳥と人が意外と近い存在であることを気づかせてくれる。音を絵にするソナグラフというものからフーリエ解析(フーリエ変換)の具体的なイメージをつかむことができたのも役に立った。

人間はなぜ歌を歌うのか、という問いもかなり奥が深そうである。歌から言語が始まったという研究や、言語や意識の問題群が鳥と言う動物から考察できるかもしれないし、興味は尽きない。

再び言う。今、鳥がおもしろい。
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by kurarc | 2017-03-28 18:36 | art

浅井忠のグレ 『グレーの塔』

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池澤夏樹さんの本を渉猟している。今は、彼がフランス滞在時代に書いたものだ。最近のブログの話題はほとんど池澤さんの本からのものである。『異国の客』という本の中に、洋画家の浅井忠が登場した。わたしは高校時代、美術に興味を持ったとき、日本の画家でまず最初に好きになったのは浅井忠の写実画だった。高校時代の美術の教師に、誰に興味があるのか、と訪ねられた時、即座に「浅井忠」と答えたのを今でもはっきりと覚えている。

美大に進んでから、むしろ絵画から遠ざかるようになった。藝術というものに疑問をもつようになった。しかし、それから30年以上経ち、再び浅井忠に巡り会うことになった。彼がフランスへ留学をしていたこともすっかり忘れていた。最近は、絵画を落ち着いて鑑賞できるようになった。

彼の絵画、『グレーの塔』(上)の「グレー」は色のことではない。フォンテーヌブローの東の街グレ・シュル・ロワンの「グレー」であり、フランス語の発音に忠実に書くのならば、「グレ」なのである。浅井が二年間のフランスの生活の中で何を吸収して行ったのか、そして、帰国後、どのような成果をもたらすに到ったのか気になる。

今年も、フランスに関係した人々、フランスに影響を受けた人々から様々なことを学習する年になりそうである。

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by kurarc | 2017-01-01 20:31 | art

夏 マティス

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2004年、国立西洋美術館で開催されたマティス展(副題として、Processus/Variation プロセス(過程)とヴァリエーション(変奏))のカタログが届いた。

こうした画集といってよいカタログをしみじみと眺めるのは久しぶりのことである。絵画をみる習慣はないが、こうして名画を眺めることは音楽を聴くことと同様、心の糧になる。

副題にあるようにマティスの絵画が形成されるまでの過程と変奏を中心にカタログはまとめられている。先日、このブログで紹介した「ルーマニアのブラウス」には、14の変奏があり、15枚目がいわゆる完成品となるが、マティスにとって、完成品という言い方は正しくはないようだ。完成に導かれる過程はどれも独立し、それぞれが主題であり、全く異なる作品といってもよいものである。このあたりについては、カタログを熟読した上で、改めて言及することにしたい。

カタログの最後に登場する切り紙絵の手法による絵画がよい。特に気に入ったのは、「ポリネシア、空」(下)、「ポリネシア、海」(上)という作品である。この作品からはそのタイトル通りの世界が単純な色彩によって表現されている。それは、日本の夏のような湿気は感じられず、まさにポリネシアの夏を感じさせる。

切り紙絵という手法によって、マティスの絵画は藝術作品のもつアウラや、手の痕跡が希薄化し、「藝術作品」から遠ざかることになるが、それは、プロダクトデザインに通じる新たな試みであったし、オリジナリティーを超えていくような表現の手法に成長する。
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by kurarc | 2016-08-13 21:50 | art

シュルレアリスムの方へ

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美大を卒業したこともあり、美術史やらデザイン史は一通り学習したが、卒業以後、知識をより実り豊かに、より深くすることを怠っていた。美大を出たがために、むしろ藝術やらデザインを敬遠するような時期もあった。美術館で絵画を鑑賞するのはいまだに苦手である。東京の美術館は混雑しすぎているからなおさらである。

最近、こうした怠惰な藝術への付き合いはもったいない気がしていて、特に「シュルレアリスム」に対しては深く学びたいと思っている。こうした意識の変化もフランス語を学び始めたことが影響しているのかもしれない。フランス生まれのこの概念が頭の中にちらついて消えることがない。

たとえば、シュルレアリスムの中の概念に「客観的偶然」という概念(主観的には偶然でも、客観的には何らかの必然を背後に秘めているような事物のできごとのつらなり(巌谷國士))がある。この興味深い概念を知っただけでも、シュルレアリスムの世界に深入りしたくなる。

シュルレアリスムが気になったのは、現に考える方法がいつの間にかシュルレアリスムに近づいていたという発見があったからでもある。シュルレアリスムの方から近づいてきたのである。だから、シュルレアリスムを学ぶのではなく、確認するということになろうか。シュルレアリスムに限らず、若いときにかじっただけの重要な概念をもう一度学び直す時期になったということのようである。
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by kurarc | 2016-03-31 21:24 | art


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