カテゴリ:cinema( 216 )

映画『ローズヒルの女』

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アラン・タネール監督の映画『ローズヒルの女』を鑑賞。タネールの映画はこれで3本目である。日本ではVHSでしか観ることができないから、VHSデッキを所有していなければ鑑賞できない。わたしはかろうじて、最後のものといえるVHSデッキを所有しているから(DVDにならない映画を鑑賞するため)タネールのいくつかの映画を鑑賞することができる。

映画『白い町で』の6年後の映画となるが、作風は近い。舞台は霧で霞むスイスの山の中の村。ここにインド洋(ローズヒルという街から来たことになっている)の島(多分、モーリシャス)からの女性が嫁いでくるが・・・ここでもタネールは男の愚かさを容赦なく描いている。そして、いつも登場する行き場のない人、ここでは「ローズヒルの女」ジュリーが最後に悲劇を迎えることになる。

タネールの映画はかなりしっかりとした物語性があるのだが、映画を見終わった後、その物語がいったい何だったのかが宙づりにされてしまう。そして、タネールの映画は観ることで大きな満足感は得られないために、すぐに何度も繰り返し観たいとは思わないのだが、ある日、記憶の中に突然、彼の映画が蘇ってくるのである。

『白い町で』のパンフレット内のフィルモグラフィーを注意深くみると、彼は1966年に『ル・コルビュジェ-チャンディガールの町』というドキュメンタリーを撮影している。これは、いつか公開されることを望みたい。そして、わたしはもう一度『レクイエム』というタブッキの小説を映画化したものを観たいのだが、VHSにもならない。残念である。

by kurarc | 2019-03-11 22:35 | cinema

映画『熱波(原題 Tabu)』再見 テレーザ・マドルーガとの再会

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映画『熱波(原題 Tabu)』(ミゲル・ゴメス監督)を久しぶりに再見。この映画でピラールという信心深い中年女性の役で登場するテレーザ・マドルーガ(下写真)の演技を確かめたかったからである。

テレーザ・マドルーガは映画『白い町で』の中でブルーノ・ガンツの相手役としてポルトガルの女性らしい演技で印象深かった。そのテレーザがこの映画に出演していることを以前この映画をみたときには気づかなかった。彼女を初めて映画でみて、35年経っていたから、気づかないのも無理はないが、再びこの映画を観て、幼なじみに35年ぶりに再会したような感激があった。彼女は着実に演技を磨き、その落ち着きと、地に足の着いた演技を身につけていた。

この映画をみるのは2回目になるが、かなり実験性の強い映画である。サイレントの手法を取り入れたり、ポップスの音楽を挿入したり、アフリカでの映像にかなりの比重をおいたりと、主題はタブーを犯した二人の男女の恋愛を描いたものだが、その単純な過ちの中に様々な情景と時間を重ね合わせた映画と言える。最初にみたときよりも見応えのある映画であることに気づかされた。特に、テレーザの演技がよい。お手伝い役に黒人を配役したり、植民地での原住民との交流など、いかにもポルトガル世界の過去を想像させる。そうした時間、歴史の挿入に嫌気がさすような鑑賞者も存在するかもしれない。

この映画でもっとも感心したのは、最初と最後に挿入されたJoana Sa の演奏による「Insensates」の変奏曲である。よく知られたアントニオ・カルロス・ジョビンによる曲のアドリブであるが、「Insensates」の原義「軽率な行動」の意があるから、映画の主題「Tabu タブー」と対置させたのかもしれない。(『Tabu』はムルナウの映画の名前から採用されたとWikipediaにあるが・・・)

テレーザ・マドルーガはリスボンを舞台とした映画『イマジン』にも出演していたことを最近知った。わたしが彼女のことを忘れていただけで、彼女は多くの仕事の経験を積んでいたのである。決して美しい女優とは言えないが、個性的な名脇役といえる女優である。彼女の円熟した演技を今後も期待したい。

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by kurarc | 2019-03-02 23:45 | cinema

映画『くりびるに歌を』と鉄川与助の教会建築

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映画『くちびるに歌を』(三木孝浩監督)を鑑賞。わたしは10代、特に中学生や高校生を俳優とした青春映画が好きである。すでに忘れそうになってしまった10代を思い出すことができるし、若い俳優たちの演技が好きだからである。

舞台は五島列島の福江島である。まず、この島のランドスケープの美しさに引き込まれた。起伏のある地形、坂道、そして、海を望み、その中に佇む美しい教会の姿。この教会は鉄川与助設計の水ノ浦教会(下写真)であることをあとで知った。わたしの手元にある『鉄川与助の教会建築 五島列島を訪ねて』の中には掲載されていない教会であった。鉄川の最晩年の仕事である。

五島列島での中学生たちが合唱コンクールを目指す物語だが、その先生役には新垣結衣が演じる。彼女は憎たらしい教師を演じていて、かわいらしい様子は一切みせないという役柄であり、なかなかの名演技であった。

それにしても、たびたび登場する鉄川の教会建築の美しさに心が奪われてしまった。真っ白い色彩と、小さな尖塔が海に面するロケ地、岐宿町と見事に調和している。隠れキリシタンの島として有名な五島列島は一度訪ねてみたいと思っていたが、この映画を観て、その思いはますます膨らんだ。

三木監督の丁寧な映画の作り込みにも感心した。音楽をテーマとした映画は数多くあるが、その中でも映画『スウィング・ガール』のようなユーモアのある作品と異なり、真摯な物語に仕上がっている。三木監督の映画はこれが初めてだが、他の作品も観たいと思わされた。

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by kurarc | 2019-02-23 22:08 | cinema

ブルーノ・ガンツ追悼

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ブルーノ・ガンツが亡くなられたという。彼の演技に初めてふれたのは、多分映画『白い町で』(上写真)だと思う。ちょうど、この映画でガンツとの不倫を演じた女優、テレーザ・マドルーガが気になっていて、久しぶりに『白い町で』を観たいと思っていたところであった。(映画『熱波』に彼女が主演していたことをまったく気づかないでいたためである。)わたしはこの映画で初めてリスボンという都市を意識したといってもよい。この映画を観て以後、リスボンに暮らすことになった訳だから、ガンツはわたしにとって大切な俳優の一人といってよい。

晩年の演技では、アンゲロプロスの最後の映画『エレ二の帰郷』が、わたしが観た最後の演技であったかもしれない。この役は非常に悲劇的な役どころであり、こうした狂気を内在しているような役どころが彼の真骨頂であったような気がするが、きっと、実生活では人の良い紳士であったのではないだろうか。

1970年代から80年代はヴェンダース映画の常連として、また1990年代からはアンゲロプロスの映画で輝いた俳優であった。実はわたしはまだ『永遠と一日』のガンツを観ていない。これはなるべく早く体験したいが、できれば映画館で観てみたいものである。彼の映画特集がどこかの映画館で企画されることを望みたい。

合掌

by kurarc | 2019-02-22 19:33 | cinema

映画『FIRST MAN』



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映画『FIRST MAN』を調布にて鑑賞。なかなかよい出来の映画であった。月面着陸はわたしの子供の頃、最も大きなニュースの一つであった。わたしはニール・アームストロングら宇宙飛行士が持ち帰った「月の石」を見るために大阪万博に家族と出かけ、3時間程度真夏の路上で行列し、やっとの思いで「月の石」を眺めたことを今でも忘れられない。

この物語は、わたしと同時代の物語であり、ニール・アームストロングの物語だが、彼は、この月面着陸という目的を果たすために、多くの命を失った経験が語られていた。最も大きな死は、1961年に娘カレンを病で失ったこと、そして、1967年、親しく付き合っていた同僚を失ったこと。こうした死がなければ、彼はアポロ11号に乗り込むことはなかったと思われる。これは、ニールの運命としか言いようがない。

この映画は良き時代のアメリカを描いたものとして、政治性をもってしまうことも予想されたが、そのあたりをうまく交わして、人間のドラマを中心に描かれている。また、映画音楽もかなり手が込んでいて、アナログ・シンセサイザーやテルミンを使ったり、ノイズ音楽を思わせる音が各所に挿入されている。(町山智浩氏の解説による)

出来の良い映画であったと思うが、なにか強烈なインパクトに欠けている。それが何なのか?ライアン・ゴズリングの一人芝居的なところが目立ってしまったのか?配役に問題があったのか?シナリオか?映画としてもう一つ詰めが甘かったように思われた。よく言えば、こうした大きな歴史的事件をさらりと描ききったことかもしれない。ニールは冷静沈着で、私生活を表に出さないタイプの人間だったというから、その影響もあるのかもしれない。ニールらしい映画に仕上げたということだろうか。

*シアタス調布は、55歳以上はすべての映画を1,100円で鑑賞できるサービスを行っている珍しいシアター。椅子の座り心地、音響もよい。

by kurarc | 2019-02-17 20:48 | cinema

高田世界館

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高田への旅の続きを書く。高田へ行った目的の一つは、高田世界館という日本で最古級の映画館を訪れることであった。以前、このブログでこの映画館を舞台とした映画『シグナル 月曜日のルカ』と言う映画について書いた。

最近、新しい映画館が数多く建設されているが、その中で、居心地のよい映画館は残念ながら少ない。いくら高級な素材でつくられていても、天井の高さが低かったり、椅子の座り心地が良くても、空間のスケールが貧弱であったりと不満が多い。

高田世界館がよかったのは、まずはそのスケール感、天井の高さ、そして、舞台に向かって下る傾斜角度の適切な勾配であった。そしてなによりも時間が経過した落ち着き、期待はしていなかったのだが、椅子の座り心地もよかったのである。

高田映画館で映画を観ながら思ったことは、この映画館は母体内空間に近いのではないか?ということである。暗闇の中で前方に光るスクリーンを経験する訳だが、それは、子供がまさに子宮から母体の外部に向かって進んでいるときの光を経験しているようではないかと思ったのである。それは、東京にある新しい映画館では感じられたことはなかったが、高田世界館はそのような肉感的な空間が感じられたのである。

母体としての映画館といえる空間であるから、居心地の良いのは当たり前のことであったのかもしれない。上映された映画『モリのいる場所』がコミカルな映画であったこともあるが、映画を見終わったとき、微笑ましい気分で映画館を後にすることができた。

高田世界館、またいつか訪ねたい。

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by kurarc | 2019-02-12 23:05 | cinema

再会映画

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偶然にも最近観た映画は「再会」をテーマとした映画であった。一つは『ライオン』、もう一つは『家へ帰ろう』である。

映画『ライオン』は実話をもとに映画化された。インドの貧しい家庭で暮らす5歳の少年が兄と離ればなれになり、何千キロも離れたカルカッタへ行き着いてしまう。迷子と見なされ、誰も探している相手がいないと見なされた少年は、オーストラリアへ養子として引き取られ、幸せに過ごすが、離ればなれになった母や兄のことが忘れられない。そして、グーグルアースを頼りに25年ぶりにインドへと旅立つ・・・映画『家へ帰ろう』では、ユダヤ人としてポーランドのウッチで生まれた青年が70年という時を隔てて、命の恩人であるポーランド人を探しに人生最後の旅にでる・・・という映画である。

その他、再会をテーマとして思い浮かぶ映画といえば、『ロング・エンゲージメント』が印象深い。再会は生者との再会だけではない。たとえば、『エル・スール』では、かつて父の故郷であった南スペイン(セビーリャ)へ娘が旅立つことで終わるが、これも父の魂との再会を暗示していると言えるだろう。「再会」は人間にとってなにか普遍的なテーマとなる出来事である。それは、人との再会だけではなく、かつて訪ねた、あるいは住んだ都市(街)との再会にも言える。わたしは、たまにかつて住んだ街、自由が丘や川越、鎌倉にも時折足を運んでみたくなるし、現在は2年ほどくらした沖縄(那覇)やポルトガルのリスボンの街が無性に恋しい。

再会したくなるのはなぜなのか。それは人間の時間感覚による気がしている。時間は直進的ではなく、らせん状であると思えるからである。かつて過ごした時間がある段階でまた意識の中に浮上してくる。それは1年や2年ではなく、10年前後、または10年以上の時間を隔てて起こることのように感じる。かつて観た映画を観たくなるのもこの「再会」の感覚と重なる。人は通り過ぎるだけでは満足できず、かならず経験したこと、体験したことにもどるのである。

一昨年は50年以上まえに父と過ごした海辺を訪ねるという旅をしたのも、こうした「再会」への熱望であった。もちろん父はもはや存在しないが、風景の中にかつての父の面影、海で泳ぐ姿を思い出すことができ、胸が熱くなった。昨年は20年お会いしていなかった恩師とも奈良で再会した。今年はどういった「再会」が待っているのだろうか・・・

*死者との再会といえば、『カオス・シチリア物語』のラストシーンがよい。ピランデッロとその死んだはずの母との会話である。わたしはいまだにこのシーンでかわされる母の言葉、「ものごとを、それをもう見なくなった人たちの目でも、見るようにしてごらん!・・・」の意味がわからない。

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by kurarc | 2019-01-27 19:58 | cinema

映画『シグナル 月曜日のルカ』 高田世界館

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映画『シグナル 月曜日のルカ』という映画を観た。監督は谷口正晃氏。この映画を観たのは、監督には少し失礼だが、この映画の舞台となった新潟上越市(高田)の映画館「高田世界館」(下写真、高田世界館HPより引用)を見たかったからである。

「高田世界館」は、日本で最古級の映画館と言われる。以前からその存在は知っていたが、たまたま瞽女のことを調べていて、この高田の街に行き着き、再会(ネット上で)することになった。初めて内部を見たが、この映画館は、わたしが子供の頃どこにでもあったような街の映画館の様相をそのまま維持していることがわかった。それにデジタル上映ではなく、フィルム上映を続けているようだ。

映画もなかなかの出来栄えであり、この映画館の重さのようなものと、主人公ルカの過去がうまく二重写しとなり、見応えがあった。また、映画の光の感じが明るすぎず、昭和の光をうまく写し取っていた。やはり、安易な言い方だが、なつかしい空間である。

なぜ、日本ではこうした映画館建築を維持できなかったのだろう。まだ、高田世界館は残っているが、こうした映画館は全国に点在していたはずなのだが。わたしは最近、本当に映画が好きになり、映画に感謝する日々を送っている。近いうちに、この高田の街を訪れ、高田世界館で映画を観て、瞽女の文化を知り、雁木の建築を体験したいと思っている。

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by kurarc | 2019-01-20 22:47 | cinema

名作でなく傑作 映画『SWING GIRLS』

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映画『SWING GIRLS』を初めて鑑賞。矢口監督の映画も初めてである。まずはこの映画の軽妙な進行とユーモア、そして普通の女子高生がジャズをやるというコンセプトが見事に描かれていて感心した。こうした映画は、カンヌ映画祭やヴェネチア国際映画祭などに出品されるような映画ではないと思うが、そうした映画祭とは無縁であっても、この映画の価値が高いことに変わりはない。

俳優たちが楽器を練習し、ライブで披露するという映画のつくり方にも共感を覚えた。様々な音楽映画はあるが、音楽映画は俳優が演奏して初めて輝きを増す。それは、単にリアリティという問題ではなく、音楽がもつアウラと映像とが密接に関連しているということである。

最もおもしろかったのは、イノシシに追いかけられるシーンであろうか。そのシーンにかぶせた「この素晴らしき世界」というルイ・アームストロングの歌とのミスマッチがたまらなかった。そして、田舎の女子高生(ここでは山形)の生態が事実とは異なるにしてもうまく描かれていた。個性的な配役もよいし、映画のラストがコンサートで終わるという切り方も爽やかであった。

矢口監督の映画づくりはうまい、の一言。わたしの大学の後輩でもある矢口監督の映画をこれからも応援したい。

by kurarc | 2018-12-30 23:05 | cinema

映画『海の上のピアニスト』 海の声を聴く

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映画『海の上のピアニスト』を観る。過去に一度観たような記憶もあるが、全く覚えていなかった。

この映画ではマックスというひとりのトランペッターの回想から始まる。彼は「コーン」と呼ばれる。これはトランペットのことに詳しい人でないとすぐに理解できないが、C.G.コーンという管楽器メーカーのトランペットを所有していたからである。わたしも以前所有していたメーカーであるが、肌に合わず、手放してしまった。

この映画は寓話だというが、ありえそうな話である。主人公「1900」は、1900年生まれ。船の上で生まれ、その後、船から降りたことがない。船の上でピアノをマスターし、伝説となったピアニスト、というストーリーである。

寓話をつくるのも、このくらい極端の方がおもしろいし、映画には都合がよい。「1900」は、一度陸に降りようとするが、とどまってしまう。それはなぜか・・・

そして、この映画の主題歌である音楽はどのように生み出されたかが、映画の中で描かれる。この映画の最も美しいシーンである。

「1900」の最期は悲しいが、この寓話であればこうでなくてはならない、と納得する。そして、トランペット好きには、たまらない映画であった。音楽を担当したモリコーネはトランペット専攻であったというから、コーンのトランペットは彼のアドヴァイスであったのかどうか?原作を読んでみなければならない。この主題歌「Lost boys calling」はフィリッパ・ジョルダーノの歌声でお気に入りだったが、今度トランペットで演奏したくなった。

*エンニオ・モリコーネは今年限りで引退を表明している。

by kurarc | 2018-12-24 21:45 | cinema