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ジャック・ドゥミの映画 ファーストシーン

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このところ以前にこのブログで書いたジャック・ドゥミ監督の映画『シェルブールの雨傘』ラストシーンに関するアクセスが多い。映画『LA LA LAND』で再び脚光をあびるようになったジャック・ドゥミであるが、彼の映画のファーストシーンも忘れられないものが多い。

『シェルブールの雨傘』での上空からの雨傘の動き、リズムの捉え方、『ロシュフォールの恋人たち』でのダンスから運搬橋の上空へと移動するカメラアングル。この二つの映画は特に関連付けられ撮影されたこともあり、『ロシュフォールの恋人たち』のファーストシーンでも上空からのアングルが意識的に選択されたと思われる。このアングルは個人的には妻のアニエス・ヴァルダの提案ではなかったかと思っているが、定かではない。

『LOLA』のファーストシーンは、上の二つに比べると消極的だが、海岸を走る車のシーンは後の映画『天使の入江』でニースの浜辺を疾走するシーンへと展開することになる。このファーストシーンほど秀逸なものは数少ないと思われるが、単に疾走するだけでなく、ジャンヌ・モローの顔のアップからはじまり、その疾走中に流れるルグランの音楽がさらに映画への期待を膨らませる。

ジャック・ドゥミはエンターテイメント性に長けた映画監督であり、そのエンターテイメントの品の良さが何度も繰り返し見返すことができる映画の質を保証してくれていると思う。

*上写真 FILMAPより引用(映画『天使の入江』の冒頭の一シーン)

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by kurarc | 2018-09-14 22:16 | cinema

中国映画『薄氷の殺人』

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久しぶりに台湾映画を観たことから、アジア映画に火がついた。仕事の合間を縫って、ティアオ・イーナン監督の映画『薄氷の殺人』を観る。

驚いたのはその映画のシナリオの緻密さであり、映画の古典をよく知り尽くしたと思われる映像である。そして、娯楽性に秀で、政治性を感じさせないサスペンスと、中国人がつくったとは思えないような斬新さを感じる映画であったこと。日本で言えば黒沢清の映画との同質性を思わせる。

この映画では中盤にひとまず事件は解決されるが、その後に巧妙なストーリーが隠されている。また、氷上を滑るスケートのシーンがこの映画に緊張感を与えている。こうしたスケートのシーンを映画で観ることは初めてだが、なにかヒントになった映像があるに違いない。

ラストシーンで白日のなかで打ち上げられる花火は、様々な映画の中に登場する花火のシーンのメタファーと思われるが、わたしには花火というと、ワイダ監督の『灰とダイヤモンド』が思い浮かぶ。暴力的な花火を打ち上げるのが誰なのかを想像させることで映画が終わる。

映画『藍色夏恋』にも登場したグイ・ルンメイがここでも光っている。『藍色夏恋』では十代の少女であったが、ここではすでに大人の女を演じている。彼女は美しいだけではない。演技派女優といってよいだろう。そして、主役のジャンを演じたリャオ・ファンの熱演も見事。

アジア映画を最近観ていなかったことが悔やまれた。これほど新しく、力のある映画をつくっていたことに驚かされた。今年はアジア映画を忘れないようにしたい。

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by kurarc | 2018-08-26 00:52 | cinema

台湾映画『藍色夏恋』

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台湾映画は、ホウ・シャオシェンの映画で注目していたが、あまり詳しい訳ではない。この映画を恵比寿ピクニック・シネマで知り、観たい衝動が抑えられなくなった。それは、この映画タイトルを観て、直感的に思ったことだが、ホウ・シャオシェンの映画のタイトルのようであったこともある。

すばらしい映画であった。80分ほどの短い映画だが、その短さが感じられない。一つ一つのシーンと台湾の空気感がよい。撮影されたのは台北?だと思われるが、日本映画とは全く異なる空気感なのである。映画はその空気感を味わうものでもある。日本で言う高校生の一夏の恋を描いた映画である。その恋も単なる男女の恋を描いていないところがよい。2002年の映画だが、その主題は今日的であり、新しい。

この映画の監督を務めたイー・ツィーエンは、残念ながら発表された作品は数少ない。これほどの映画を撮影できる監督であるのに、何か理由があるのだろうか?映画の中で登場するプールのシーンが夏の終わりの記憶を蘇らせる。プールには久しく行っていないが、子供の頃によく通ったプールの水の記憶は心の中に深く根付いていることに気づかされた。

この監督の映画をまた観てみたいと思った。新作が発表されることを期待したい。

*下:主役のグイ・ルンメイ。この映画では多くの自転車のシーンが印象的であった。


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by kurarc | 2018-08-23 21:56 | cinema

アストル・ピアソラの映画

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年末にル・シネマにて、ピアソラの映画『タンゲディア アストル・ピアソラ』が公開される予定だという。ピアソラの演奏が映画の中でよみがえる。生演奏を聴いたことのないものにとっては、またとない機会となるだろう。

わたしは幸いピアソラのコンサートをちょうど30年前、聴くことができた。わたしの経験したコンサートの中で、ベストのコンサート。このコンサートはライブ盤のCDが発売されているから、いつでも聴くことができる。

以前も書いたとおり、母とともに行った最初で最後のコンサートでもあった。母にあげたプレゼントはこのコンサートのみ。母親の思い出とともに、ピアソラの音楽が頭の中に響いてくる。年末が待ち遠しい。

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by kurarc | 2018-07-03 21:47 | cinema

映画『愛のめぐりあい』 無意味なものの豊かさ

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アントニオー二とヴェンダースの映画『愛のめぐりあい』を再び観た。何度この映画を観ていることだろう。映像と音楽がよい。何かを主張しているわけでもない映画であるが、なぜか引きつけられる。それはなにか?

強いて言えば、詩的言語に富んだ映画だということだろうか。シナリオは物語ではなく、詩であることだ。何かストーリーがあるわけでない。しかし、ないとも言えない。

さらに、舞台となる都市がよい。フェラーラの霧にかすむポルティコではじまる映像がよい。映像とシナリオ、すべてが詩なのだ。官能的な映像もよい。映画監督について語られる最後のシナリオは「建築家」に置き換えてもまったく通じる。アントニオー二の映像のような建築をつくりたいものだ。

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by kurarc | 2018-05-02 23:29 | cinema

映画『グッドモーニング・バビロン』

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ヴィットリオ・タヴィアーニ追悼を兼ねて、映画『グッドモーニング・バビロン』を観る。この映画をなんでもっと早く観なかったのだろうと悔やまれるくらいの力作であった。建築修復を手がけるアルチザン一家の物語。父とその子供たち、7人兄弟の6人目と7人目の末っ子の数奇な運命の物語である。

映画では映画監督D.W.グリフィスを登場させているように、グリフィスとグリフィス率いるハリウッドへのオマージュ(少しの皮肉を込めて)も含まれる。つまり、「映画内映画」である一方、アルチザンの物語を重ね合わせているが、それだけではない。愛(兄弟愛)あり、悲しみあり、別れあり、涙と死(第一次大戦)が描かれる映画である。

映画の中で登場するグリフィスの映画『イントレランス』をわたしはまだ観ていない。この映画を観たものは、必見であろう。そして、グリフィスが嫉妬したというイタリア映画『カビリア』も。

兄弟のアンドレアを演じたジョアキム・デ・アルメイダはポルトガル、リスボン出身の俳優。少し冷静でおとなしげな青年を見事に演じていた。このあたりの配役も光っている。そして、脚本協力はトニーノ・グェッラ。言うことはない。

次は、『太陽は夜も輝く』を観るしかない。

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by kurarc | 2018-04-23 22:13 | cinema

映画『いそしぎ』と映画音楽

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映画音楽が先行して、その映画を観ていないという場合がある。映画『いそしぎ』もその典型的なパターンの一つであった。レンタルでもVHSでしか観ることができない。わたしは幸い、未だにVHSを観ることができる機材を持っているので、借りてきた。まずは、音楽がどのように使われているのかを確かめたかった。冒頭の音楽が素晴らしいのだが、ラストに流れても良さそうな力の入れようで、バランスの悪さを感じた。映画自体は不倫と宗教(信仰と無信仰)を題材にしたラブストーリーである。

この映画で特出されるのは、その舞台、カリフォル二アの海岸である。そして、その海岸に突出するように建設された住宅に目が行った。住宅は木造で、岩を基礎として建ち、全面に広がる広大な海を独り占めしている。こうした建築はその美しい海岸を壊しているとみることもできるが、住宅のスケールなので、許せる範囲なのではないか。

この映画をみたのは音楽のためであった。エリザベス・テイラーが出演するが、残念ながらそのシナリオと彼女の熱演はうまくかみ合っていず、破綻しているように感じた。同じラブストーリーでも、たとえば『ひまわり』の方がより成功していると思われるが、こうしたラブストーリーはわたしは苦手である。

吹奏楽でこの映画のテーマ曲をやりたいと思っているが、この映画を観たことのあるものは相当のシネフィル以外、少ないに違いない。実は『いそしぎ』の意味をよくわからなかったのだが、これは鳥の名前である。海岸に生息するシギで、この映画の中で重要な役割を果たしている。ただ、カリフォルニアには「いそしぎ」は生息していず、「ハマシギ」なら生息するらしいが、映画の題名が「ハマシギ」では、記憶に残るようなタイトルにはならなかったと思う。そのことを知った上で、「いそしぎ」と訳したのかもしれない。

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by kurarc | 2018-04-22 08:46 | cinema

ヴィットリオ・タヴィアーニ 逝く

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映画監督タヴィアーニ兄弟の兄、ヴィットリオ・タヴィアーニが去る15日に亡くなられたという。ご冥福をお祈りしたい。

このブログでも彼らの映画『カオス・シチリア物語』について何度か書いてきた。1980年代の映画で、わたしの中でベスト10に入るすばらしい映画である。1980年代にタヴィアーニ兄弟やアンゲロプロス監督からわたしは映画の奥深さを知ったように思う。映画の楽しさを教えてくれたのもタヴィアーニ兄弟の映画があったからである。

わたしの手元には、タヴィアーニ兄弟傑作選DVD-BOXがある。『サン・ロレンツォの夜』、『父パドーレ、パドローネ』、そして『カオス・シチリア物語』の3枚のDVD-BOXである。こうした高価なDVD-BOXを購入したのは、ほかにビクトル・エリセ監督と侯孝賢監督だけである。つまり、わたしの宝物の一つといってよいDVDである。

彼らの映画は未公開や特別上映などのものが多く、日本でも上映は限られ、いまだに全貌をつかむことができない。困ったことに、DVDも非常に高値がついており、購入に躊躇してしまう。その中でもレンタルで観ることができる『グッドモーニング・バビロン』や『太陽は夜も輝く』がある。久しぶりに彼らの映画を観て、ヴィットリオ・タヴィアーニ監督への追悼としたい。

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by kurarc | 2018-04-17 23:03 | cinema

映画『ラッキー』 無がある、ということ

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ハリー・ディーン・スタントン最後の映画『ラッキー』を観た。演じることを避けるという彼の演じ方は徹底されて、彼のドキュメンタリーをみているような錯覚にまで陥るような映画であった。

ランニングシャツとパンツ一枚の情けない姿をさらけ出し、なにも格好をつけることのない一人の老人の孤独をスタントンは演じていた。

そして、ラッキーは言う。「独り、aloneの語源は、all one(みんな一人)なんだ」と。
また、「そこにあるのは空。無あるのみ」と。

わたしはこの映画で、仏教哲学をユーモラスに学ぶことができた。そして、「無だけがある」ということがよく理解できたのである。

ハリー・ディーン・スタントンに、最後の映画でそのことを教えてくれてありがとうと言いたい。
 

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by kurarc | 2018-04-04 23:14 | cinema

ハリー・ディーン・スタントン追悼

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昨年、ハーリー・ディーン・スタントンが亡くなっていることを最近知った。遅ればせながら、ご冥福をお祈りしたい。

わたしにとって、ハーリー・ディーン・スタントンといえば、映画『パリ、テキサス』である。魂の抜けたような男、不器用な男、男の繊細さ、つまり、男の弱さを見事に演じた。男を描きながら、一方でアメリカにおける家族をヴェンダースは小津映画のように撮影した。これは、ヴェンダースによる小津映画へのオマージュとわたしはとらえている。

以前、この映画について書いたとき、ラストでハーリー・ディーン・スタントン演じるトラヴィスは、車で立ち去っていくが、彼はどこに行ったのだろうか、といったことを書いた。きっと彼はナスターシャ・キンスキー演じるジェーンには二度と会わず、遠いところへ立ち去ってしまったのだろう。そこは日本とは異なるアメリカである。車で3千キロ走ることもできる。そうすれば、もはや、別れた彼女は別の国にいるのも同然だ。

現在、スタントンの最期の映画『ラッキー』が封切られている。これは観たい。ヴェンダースの映画とつながっている気がしてならないからである。

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by kurarc | 2018-03-25 13:07 | cinema

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