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名作でなく傑作 映画『SWING GIRLS』

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映画『SWING GIRLS』を初めて鑑賞。矢口監督の映画も初めてである。まずはこの映画の軽妙な進行とユーモア、そして普通の女子高生がジャズをやるというコンセプトが見事に描かれていて感心した。こうした映画は、カンヌ映画祭やヴェネチア国際映画祭などに出品されるような映画ではないと思うが、そうした映画祭とは無縁であっても、この映画の価値が高いことに変わりはない。

俳優たちが楽器を練習し、ライブで披露するという映画のつくり方にも共感を覚えた。様々な音楽映画はあるが、音楽映画は俳優が演奏して初めて輝きを増す。それは、単にリアリティという問題ではなく、音楽がもつアウラと映像とが密接に関連しているということである。

最もおもしろかったのは、イノシシに追いかけられるシーンであろうか。そのシーンにかぶせた「この素晴らしき世界」というルイ・アームストロングの歌とのミスマッチがたまらなかった。そして、田舎の女子高生(ここでは山形)の生態が事実とは異なるにしてもうまく描かれていた。個性的な配役もよいし、映画のラストがコンサートで終わるという切り方も爽やかであった。

矢口監督の映画づくりはうまい、の一言。わたしの大学の後輩でもある矢口監督の映画をこれからも応援したい。

by kurarc | 2018-12-30 23:05 | cinema

映画『海の上のピアニスト』 海の声を聴く

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映画『海の上のピアニスト』を観る。過去に一度観たような記憶もあるが、全く覚えていなかった。

この映画ではマックスというひとりのトランペッターの回想から始まる。彼は「コーン」と呼ばれる。これはトランペットのことに詳しい人でないとすぐに理解できないが、C.G.コーンという管楽器メーカーのトランペットを所有していたからである。わたしも以前所有していたメーカーであるが、肌に合わず、手放してしまった。

この映画は寓話だというが、ありえそうな話である。主人公「1900」は、1900年生まれ。船の上で生まれ、その後、船から降りたことがない。船の上でピアノをマスターし、伝説となったピアニスト、というストーリーである。

寓話をつくるのも、このくらい極端の方がおもしろいし、映画には都合がよい。「1900」は、一度陸に降りようとするが、とどまってしまう。それはなぜか・・・

そして、この映画の主題歌である音楽はどのように生み出されたかが、映画の中で描かれる。この映画の最も美しいシーンである。

「1900」の最期は悲しいが、この寓話であればこうでなくてはならない、と納得する。そして、トランペット好きには、たまらない映画であった。音楽を担当したモリコーネはトランペット専攻であったというから、コーンのトランペットは彼のアドヴァイスであったのかどうか?原作を読んでみなければならない。この主題歌「Lost boys calling」はフィリッパ・ジョルダーノの歌声でお気に入りだったが、今度トランペットで演奏したくなった。

*エンニオ・モリコーネは今年限りで引退を表明している。

by kurarc | 2018-12-24 21:45 | cinema

映画サウンドトラック その2

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映画音楽を意識し始めたのはいつ頃だったのか。それはわたしが特に映画をはじめて特別なものと意識した頃と重なる。

それはアンゲオロプロス監督の『シテール島への船出』という映画の音楽を担当したエレニ・カラインドルーの音楽(写真中央)であったと思う。1980年代中頃に観た映画である。この映画では音楽と俳優の動きを一致させるような演出がとられていたが、そのことが全く不自然でなく、また、滑稽でもなく調和していたことが驚きであった。

その次は、映画『夏の庭』であったかもしれない。音楽(ギター曲)を担当したアサド兄弟のファンであったからである。彼らが日本の映画音楽を担当してくれたことが信じられなかったし、また、そのコンサートをカザルスホールで体験できたことも忘れられない。

このあたりから映画音楽はわたしの中で映画を観る吸引力になったことは事実だろう。モリコーネの映画『ニュー・シネマ・パラダイス』などへの楽曲は古典となったし、アンゲロプロスの映画音楽を意識した頃とピアソラの音楽の出会い(アサド兄弟の演奏による)は同じ頃であったから、ピアソラの映画音楽もわたしの中で忘れられないものとなった。

よい映画とよい映画音楽は必ずセットになっている。映画がよいが音楽はダメということはまずあり得ない。それは音楽だけでない。シナリオから俳優、映画の色彩からモード、そのすべてが総合されたとき、映画は古典となるのである。ミュージカル映画『シェルブールの雨傘』はその最も完成した映画形の一つだろう。

by kurarc | 2018-12-23 12:09 | cinema

映画サウンドトラック

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今年は映画のなかでも特に映画音楽に着目した。以前から少しづつサウンドトラックを集めてはいたが、その中でも特に気に入っているものを写真に収めてみた。(右下のCDはティル・ブレナー監修、カメラマン、ウィリアム・クラクストンに関する映画をテーマとしたCD)

映画は今や音楽抜きでは語ることはできなくなった。映画のなかでどのように音楽が使われているのか、その使い方でその映画の質が決定されてしまう。そのことをいち早く気がついたのは誰か?来年はそのあたりから調べてみることにしたいと思っている。

以前にも書いたが、今年最も頻繁に聴いた映画音楽は『言えない秘密』のサウンドトラックだろう。今でも毎日のように聴いている。無駄のないシンプルなメロディー、すべてが一つの主題からの変奏曲のように流れていく。映画自体はユーモアもあるが、コメディーではない。主演で監督であるジェイ・チョウの誠実さが伝わる名作である。

来年はこれ以上のサウンドトラックに巡り会えるだろうか・・・

by kurarc | 2018-12-21 00:52 | cinema

瞽女ミュージアム高田

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今年も様々な映画を観たが、その中で特に印象に残っている日本映画は『はなれ瞽女おりん』である。DVDも購入し、自宅でも鑑賞。昭和30から40年代まで、瞽女の文化が生きていたというから驚きを隠せない。わたしの生まれた1960年代は、江戸、明治、大正、昭和と続く文化の最後の閃光が輝き、消えていった時代であったのかもしれない。

瞽女について検索していると、新潟越前高田に「瞽女ミュージアム高田」があることに気づいた。今、もっとも見学したいミュージアムである。名著『日本の民謡』(浅野健二著、岩波新書)には、日本の民謡が数多く取り上げられているが、さすがに瞽女唄は見受けられない。これは落ち度と言わざるを得ない。

高田というと建築では「雁木」(上写真)が有名である。ブルーノ・タウトは、高田ではないが、1935年5月に富山から親不知、泊崎他を旅しており、この折りに雁木を見学し、その風情を日記に記している。タウトすら観ている雁木をわたしはまだ観ていない。タウトはわざわざ冬の横手に旅し、「かまくら」まで見学に行っている。できれば、冬、雪の降る季節に雁木を見学し、その建築的な工夫を体験すべきなのだろう。

それにしても、瞽女のような盲目の女性たちの文化になぜこれほど引きつけられるのだろう。それは、こうした瞽女、遍歴の文化に何百年という底辺の人々の記憶が継承されていると思えるからだろう。瞽女ミュージアム高田のHPによれば、2020年には、この瞽女をテーマとした映画(下)が公開されるという。

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by kurarc | 2018-12-17 22:14 | cinema

ピアソラ 右足と左足

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映画『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』を仕事の合間に鑑賞。ピアソラの息子ダニエルの視点から描かれたピアソラの生涯といった映画である。

ピアソラには二人の子供がいて、息子はダニエル、その姉はディアナ。ディアナは政治的な活動家であったこともあり、亡命生活を経験している。

ピアソラの演奏スタイル、つまり、右足を椅子に乗せ、左足一本で立ち、演奏するというスタイルは常々疑問を持っていた。この映画の冒頭でその疑問が解決した。(あくまで、わたしの予想であるが)ピアソラは1歳に満たない時期に右足を何度も手術するという経験をしていることが映画の冒頭につげられた。彼の足は右足と左足でかなり太さが異なっていたという。きっと、彼はその弱い右足を椅子に乗せることでかばい、左足で支えるというスタイルを築いたのではないか?

この映画では、「アディオス・ノニーノ」という彼の父の訃報を受けてすぐに作曲した曲と、「ロコへのバラード」という曲が彼にとって重要な曲であることが強調されていた。映画の中でピアソラは特に父親への感謝を素直に語っている。父親は彼が天才であることを疑うことはなく、音楽教育に情熱を注いだ。それにピアソラは応えたのである。

父親の愛情に応える、という彼の根底にある人間としての芯が彼の戦う音楽を支えたのだろう。ニューヨークで生活していた貧しいアルゼンチン移民が世界に通ずる音楽をつくるまでになることは並大抵のことではなかったのだろうが、それをピアソラは成し遂げたのである。

この映画の最後で、ピアソラが10歳のときに録音(金属レコードに残されている)した「スペインのマリオネット」(ランチェーラ)という曲を聴くことができる。

*ランチェーラ:ヨーロッパに発した民族舞踊のマズルカアルゼンチンに伝わり、マスルカ・ランチェーラ西: mazurca ranchera)として土着化したブエノスアイレス周辺では1930年代に大いに流行し、レコードも多数製作されたが、後に廃れていった。(Wikipediaより)

by kurarc | 2018-12-15 20:07 | cinema

台湾映画『セデック・バレ 第1部 太陽族』

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世界で一番親日的と言われる台湾で、これほど日本人に対する恨み、憎しみを映像化した映画はないのではないだろうか。それも、日本が3.11でカタストロフィを迎えたまさにその年にこの映画は公開された。

台湾における抗日蜂起事件、霧社事件を題材にした映画である。台湾の日本による近代化の中での闇を描いた映画である。こうした映画を観ただけでも、20世紀とは恐ろしい時代であったと思われてならない。近代化の過程で、人間は何を失い、何のために近代化していったのかについて考えさせられる。

台湾は今や日本人が最も気軽に旅することができる海外だと思うが、100程前にはどのような歴史がこの南国で刻まれていったのか、そのことを知ってから旅するべきである。この映画には、日本で以前活躍されたビビアン・スーさんが女優として出演している。彼女はこの映画の中で蜂起に加わったセデック族(タイヤル族)の血をひくという。

台湾映画は日本に気を使っている映画、好意的な映画が多いと思うが、無理はよくない。この映画のように歴史的事実を描くことも台湾と日本の理解を深めるために重要である。この映画には第2部がある。まだ観ていないが、どのような結末を描いているのか楽しみである。

by kurarc | 2018-11-23 22:55 | cinema

映画『台北カフェ・ストーリー』

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台北でカフェをオープンした姉妹の物語。全く性格も生き方も異なる姉妹が、物々交換をテーマにカフェを営んでいく。その中で、「もの」にはそれぞれ固有の物語があり、「もの」の価値はそれぞれの記憶、思い出など人の心が決めるものだと気づいていくが・・・

魅力的な映画である。こうしたある意味で軽い映画が最近、心地よい。映画には映画監督の思い入れがあるのはわかる。しかし、その映画を観るものには重さに耐えきれないときもある。一時、キム・ギドクの映画を集中して観た時期もあったが、今は観ることができない。あまりに残酷なシーンが多く、なぜそうしたシーンを観せられなくてはいけないのか、と疑問に思ってしまう。

映画『台北カフェ・ストーリー』は爽やかさが残る映画である。姉は勉強を母から押しつけられ、妹は世界旅行を押しつけられ育ったが、今度は姉が世界旅行へ旅立つことになるが、その理由はなぜか・・・

映画の中の音楽がよい。また台湾のミュージシャンを発見した。雷光夏という女性のシンガーソングライターである。50歳?くらいの女性であるが、その声を聞くと50歳とは思えない。日本で言えば大貫妙子のような感じだろうか?アジア人のボサノヴァと言えるような語りかける音楽である。残念ながら歌詞はわからないが、映画とのコラボレーションが絶妙である。それにしても、やはり台湾は興味深い。

*この映画のストーリーは、映画の中の台詞にも登場する「カウチサーフィン」(海外旅行などをする人が他人の家に宿泊させてもらえるという仕組み)というシステムがヒント(下敷き)になっているようだ。

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by kurarc | 2018-11-15 22:17 | cinema

映画『ポルトの恋人たち 時の記憶』

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先日観たポルトガル(ポルト)を舞台とした映画『ポルト』に続いて、ポルトガルと日本(浜松)を舞台とした映画『ポルトの恋人たち 時の記憶』を鑑賞。

映画は2部からなる。第1部は18世紀。リスボン大震災後のポルトガル、リスボンが舞台。復興にかり出された日本人奴隷を柄本佑と中野裕太が演じる。第2部は東京オリンピックが終了した2021年の日本(浜松)。外国人労働者が働く日本が舞台。この二つの時代に時間を超越した男女の恋物語が重ねられる。

アクチュアルな映画である。日本における3.11のカタストロフィ、そして現在、外国人労働者の法案がもめている時期でもある。その問題を先取りしたような題材を日本とポルトガルという二つの世界から描いている。まったく無関係といえるような出来事にもある必然性があるのではないかと思わせる映画である。

日本人俳優ふたりの間に立つポルトガル人女優アナ・モレイラがよい。彼女は映画『トランス』や『熱波』以来。ヨーロッパ人の女優の中で、どこの国とも異なるポルトガル人女性としか思えない彼女の佇まいがよい。個性的な女優である。フランスで言えば、イザベル・ユペールであろうか。そうした女優を感じさせる。

この映画は決してポルトガルを美化していないのもよい。リアルな時代と同時代を描いている。そして、「ジャポネイラ」とポルトガルで呼ばれる椿の花にからむラストシーンがよかった。

*たとえば、わたしがポルトガルに住むようになったのも、単なる偶然とは思えない。もしかしたら、わたしの祖先の中にはポルトガルに連れて行かれた奴隷がいたのではないか?または、ポルトガルが支配していたマカオと交流があったのではないか?などと思うことがある。わたしはそうした祖先の軌跡をたどることになったのではないか?その理由として、わたしは沖縄から台湾、そしてタイを通過してヨーロッパへ向かったのである。まさに祖先が通過していったであろう?軌跡をたどっていったような旅路を歩んでいるのである。

*映画のタイトルは今ひとつ。原題 ”Lovers on borders" をうまい日本語に変換できなかったのだろうか。

by kurarc | 2018-11-11 20:49 | cinema

台湾映画『遠い道のり』

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不思議な映画であった。ストーリーのようなものはない。不倫をする女性(写真:この女性を演じたグイ・ルンメイ)、別れた恋人に台湾の東海岸の音をカセットテープに録音し送り続ける録音技師の男性、精神を病んだ精神科医の3人の生活が同時に進行する。カセットテープは、たまたま別れた男性の彼女が住んでいたアパートに不倫する女性が住んでいて、その女性が封を開け、その音に興味をひかれる。この3人がどのような接点をもつようになるのかが気になってくる。男と精神科医は偶然に出会うのだが、女性の方はどうなるのか?

この映画はこうしたひと癖ある男二人、女一人がそれぞれ台湾の東海岸へ旅をすることになる。そして、その美しい風景に最終的には救われるような流れとなるが、本当に救われたのかどうかはわからない。多くの余韻を残してラストシーンを迎える。

台湾映画をこのところ続けて観ているが、少し気になってきたのは、ヨーロッパ映画から引用されたと思われるシーンの展開の仕方である。この映画ではテープ(音)を届けるというシーンは、たとえば、わたしの好きな映画『ふたりのベロニカ』で重要なシーンとして展開されている。台湾映画を観ているとこうしたヨーロッパ映画からのヒントを映画にしている場面が数多く見受けられる。引用の仕方の成功しているものもあり、失敗しているものもある。引用することはどのような名画にもあるので、悪いことではないが、その引用の仕方のセンスは問われることになる。

この映画で特によかったのはラストシーンの後に流れる音楽である。ARA KINBOというミュージシャンだが、ファドのような情感を感じる歌声。台湾音楽も奥が深そうである。


*16世紀、ポルトガル人が台湾近海を通過し、台湾の自然豊かな情景をみたとき「formosa」(ファルモーサ 美しいの意)と呼んだ、といったことが台湾に関する本を読むと出てくるが、発音は「フォルモーザ」である。この映画でもこの言葉が印象深く使用されている。



by kurarc | 2018-11-05 23:55 | cinema