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カテゴリ:Portugal( 15 )

FIFAワールドカップ ポルトガル×スペイン

ワールドカップが始まった。サッカーに詳しいわけではないが、まず注目していたのはポルトガル×スペイン戦である。隣国の対戦はいわば代理戦争であり、お互い負けられないという心情は強いに違いない。

ダイジェストでこの対戦を見たが、激しい試合であった。結果は引き分け。ロナウドが輝いていた。終了間際のフリーキックは魂を感じた。

初めてポルトガルに行った1984年12月、リスボンを歩いていると石畳の道でサッカーボールを蹴っている少年に出会った。冬の暗い道の中、ボールを蹴っていた少年は、国木田独歩の言う「忘れえぬ人々」で、強く記憶に残っている。

日本以外で応援したいのはやはりポルトガルだろう。初めてポルトガルに行った頃、産声をあげた選手が今、ポルトガル代表として活躍していることになる。その頃のポルトガルは東欧諸国のような暗さがあったが、今や建築の世界では欧州で重要な位置を占めるまでに成長した。わたしはすでにポルトガル世界から遠ざかったが、英語など語学の達者なポルトガル人は今後、グテーレス国連事務総長のように様々な世界でリーダーを演じていくことになると思う。

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by kurarc | 2018-06-16 17:50 | Portugal

マッサ ポルトガルの万能調味料


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たまに立ち寄る「カルディ」で、「マッサ」を見つけたので、早速購入した。「マッサ」とは、ポルトガルで使われる調味料である。赤パプリカの塩漬けをペースト状にしたもので、「カルディ」のHPでも書かれているように、これを料理にひと匙加えるだけで、ポルトガル料理風のコクが生まれる。

試しに、常備している野菜スープにひと匙加えてみると、まったく別のスープのような深みがでた。ポルトガルでは、たとえば、「カルネ・デゥ・ポウコ・ア・アレンテジャーナ」という豚肉とアサリを使ったアレンテージョ地方の郷土料理にもこの「マッサ」が使われ、コクを出す。

ポルトガル料理は、フランス料理のように洗練されてはいないが、日本の田舎に行ったときに味わえるような素朴な料理なのである。もしかしたら、ヨーロッパの古い料理の姿を残しているのではないか?また、アフリカを植民地とし、アジアと早く接点をもったことから、クレオール料理といってもよいような、様々な混血料理が誕生している。それらを味わえるのもポルトガル料理の醍醐味である。

「マッサ」が日本の調味料として根付くことを期待したい。

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by kurarc | 2018-03-23 21:16 | Portugal

忘れえぬ街

夢の中にでてくるような街であるが、夢ではない街がある。海外に行ったことがある方ならば、そうした街をいくつか思いつくはずである。国木田独歩の小説に『忘れえぬ人々』という短編があるが、国木田が「忘れえぬ」と感じる人々は、なにも特別な人ではない。電車に乗りながら外を眺めているとき、視界に偶然入ってきた農夫のような何気ない人なのである。

それと同じように、パリのように美しい特別な大都市でなくとも、忘れられない街がある。わたしの場合、その一つはポルトガル滞在中に訪れたリスボン近郊の街である。残念ながら、その街の地名や正確な場所を思い出すことができないが、リスボンの北西、大西洋沿いの小さな街であった、と思う。海へと伸びる木陰の路が忘れられないのだが、現実に訪れているにも関わらず、いつも思い出すたびに、夢の中の街のような情景が想起される。

考えてみれば、20年以上過去に暮らしたリスボンでの体験も、すでに現実(過去の事実)でありながら遠い過去になり、夢の中の時間であったようにも思えてくる。海外で暮らすということがどれだけ特別なことなのか、今になって身にしみてくる。それ以前に訪れた海外の街も遠い遠い過去になるが、未だに忘却できるものではない。こうした膨大な記憶をどのように整理していけばよいのか?作家であれば、旅行記に表現できるのだろうが、もはや、旅行記にするにはあまりに時間が経過しすぎている。

先日、千葉の千倉へ行ったのも、そうした忘れえぬ街(場所)の一つであったからだが、海外の場合は簡単に再訪することは望めない。当面はGoogle earthででも探すしか手立てはないかもしれない。それにしても、国木田の「忘れえぬ」ものへの定義は興味深い。「中心」ではなく、その「周辺」が忘れられないという国木田の感性は斬新である。

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by kurarc | 2018-02-07 00:55 | Portugal

グテーレス国際連合事務総長

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テレビでグテーレス国連事務総長の姿が度々報道されるようになった。日本人の大半は、いったいどこの誰だろうと思っている方々も多いことだろう。グテーレス氏はわたしがポルトガル滞在中、ポルトガル首相であった人物である。

ポルトガルでテレビを見ていた時、彼が流暢に話すフランス語などを聞いていて、海外の首相は日本とは違うなあ、と感じていた。日本人がフランス語を流暢に話すには、もちろん並々ならぬ努力が必要だが、ポルトガル人はその点、スペイン語は努力がいらないし、フランス語も流暢な人が多い。ポルトガル人の語学力は国連のような組織で今後役立つことが多いはずである。

グテーレス氏は、1998年に開催されたリスボン万博の誘致に貢献した政治家とされている。リスボン万博があったため、ポルトガルに住むことになった訳ではないが、リスボン万博では多くの有意義な時間を過ごすことができた。今後、北朝鮮問題など、グテーレス国連事務総長の活躍を見守っていきたい。

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by kurarc | 2017-12-10 09:02 | Portugal

Googel earthで訪ねるリスボン

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一度でも海外に生活したり、海外でなくとも、故郷以外で長く一つの都市に滞在した人はわかると思うが、その後、その都市がどのように変化したのか、気になるものである。

わたしにとってそうした都市は、いくつかある。大学院生の時に1年過ごした川越、設計事務所勤務時代に1年移り住んだ自由が丘、大学卒業後2年ほど過ごした那覇、そして海外ではリスボンである。

特にリスボンには郷愁がある。この都市に2年過ごしたことは大きかった。海外に過ごしてわかったことだが、1年はあっという間に過ぎてしまう。よって、身体にその都市が刻み込まれる時間は最低2年必要であることがわかった。

リスボンでは、下宿先を転々とした。初めは、日本のポルトガル語教室から紹介してくれた下宿先。その次は、大学の掲示板で見つけた下宿先。この下宿先はポルトガルで最も著名な建築家、アルヴァロ・シザ・ヴィエイラの設計した(リコンストラクションされた)都市住宅であった。大家さんであったイリナさんとは未だにFacebookでつながっている。その次は、自分で不動産屋に契約に行ったカンポ・デ・オリーク(オリーケ)という地区の東端に面するアパート、ここの契約が切れてから帰国まではキッチン付きホテルに宿泊した。

カンポ・デ・オリークのアパートに決めたのは、リスボンを流れるテージョ川が見渡せるアパートであったことが大きい。(こうしたテージョ川を眺められるアパートは不動産広告に「Visto Tejo 」と記されている)そして、偶然にも、このアパートの隣の隣は、ポルトガル近代を代表する詩人、フェルナンド・ペソアの最晩年の住まいであった。

Googel earthでこうした場所を気軽に訪ねることができるようになった。わたしの行きつけのバルはまだ健在だ、とか、この場所に新しいカフェやレストランができた、といったことがリアルに把握できる。もちろん、こうしたことは、住まないまでも一度旅行で行った都市についてなら検証することができる。

少し前にタブッキという小説家のリスボンを舞台にした小説を紹介したが、この小説の中に出てくる街路の名前を検索しながら小説を辿れば、小説の中に見えがくれする土地の様子、地形、景観などを把握することができる。Googel earthはある時点での画像が提供されているが、こうした画像が時間の推移(つまり過去)まで記録できれば、都市がどのように変化していったのかが理解できる。今後、こうしたサービスが開始されることを期待したい。

Googel earthの中を歩きながら、かつて暮らした都市リスボンを歩くことは多くの再発見がある。もはや、海外旅行をしないで、かなりのリアリティを海外の都市に持つことが可能となったと言ってよいが、やはり実際の都市を歩いて、身体に刻み込ませることがその都市を知る最良の方法であることに変わりはない。そうでなければ、その都市に郷愁を持つことは不可能だからである。郷愁はかなりの力となって、次の行動を促す起爆剤になる。わたしにとってそうした都市と言えるのは、海外では今のところリスボンだけである。

*上写真中央の6階建のビルが、カンポ・デ・オリークのアパート。4差路の角に建っていた。バルコニーから目の前には、エストレラ大聖堂が、その果てにテージョ川を見渡すことができた。(Googel earthより転写)

*Googel earthが残念なのは、もはや過去の画像を再現することができないことである。わたしが初めてヨーロッパを訪ねた1984年の都市の景観はグーグルのデータの中にはもちろんないから、その当時の景観はすべて写真か映像、個人の記憶の中にしか残らないことになる。

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by kurarc | 2017-09-12 15:27 | Portugal

ポルトガル、そして柄本祐さん

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仕事から帰り、テレビをつけると、俳優の柄本祐さんがポルトガルを訪ねる番組があらわれた。テレビ番組を見てチャンネルを選択した訳ではない。こうした偶然にも驚かされるが、柄本さんのポルトガルへの情熱、特に心酔するというオリベイラ監督への思いにも驚かされた。

リスボン、ポルト、ギマランエス(ギマランイシュ)が映し出された。ポルトのドウロ河沿いはわたしが滞在していた頃とかなり変化したように思った。ポルトを古都と紹介していたが、わたしが古都と感じるのはギマランエスの方である。特に、この街の夜はよい。わたしはこの街で夜入ったレストランが未だに忘れられない。路地に面し、外の明かりがレストラン内にやさしく届く光景が。レストランで食事をすることの意味はこうした場所で食べることなのだ、と感じさせてくれた。ここだけではない。ポルトガルのレストランはこのギマランエスに限らず、食べることと場所との関係を大切にしている。

柄本さんは、映画「階段通りの人々」の舞台となった階段、バルのあたりを訪ねていた。わたしもこの映画の印象が強く、リスボン滞在中に訪ねたことがある。といっても、わたしもリスボンを歩いていて偶然に見つけた。リスボンの中心バイシャ地区の東寄りに位置するサン・ジョルジョ城へ向かう階段である。リスボンに数多くある階段(あるいは坂道)は、どれも舞台となるような芸術である。それも、誰もがいつでもそこを通ることができる。都市の中で開かれた芸術のようなものといっていい。

柄本さんのような若者がポルトガルが好きだと言うのにはやはり驚かされる。この国、都市の良さはあまり多くの人には伝わらないと思えるからである。手短に言えば、都市であることは、およそ人を無名にしてしまうものだが、ポルトガルの都市は都市でありながら、自分が誰であるのかを失わない、そこがポルトガルの都市の良さということである。

普通はパリやバルセロナ、ローマがよいという人が大半であろう。柄本さんのようなポルトガル好きはそんなに多くなくてよい。ポルトガル人も誰もパリのような街になることを望んでもいない。ポルトガル好きを大声で叫ぶ必要もない。ポルトガル好きは静かに好きであればよいのである。



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by kurarc | 2017-02-18 09:16 | Portugal

声 海の詩歌(オード)

昨晩、フェルナンド・ペソーア原作の公演、『海の詩歌(オード)』へ行く。

ペソーアの詩を暗唱しながら、その世界を演じたディオゴ・インファンテ氏の熱演と、その演技にギター一本で音楽を奏でたジョアン・ジル氏に再び拍手を送りたい。

まずひきつけられたのは、ディオゴ・インファンテ氏の声であった。男性の声を美しいと普段思うことはないが、シアターコクーン内に朗々と響き渡るインファンテ氏の声は美しく、様々な舞台をこなしているという彼の力を見事に証明していた。

ジョアン・ジル氏のギター音楽も、最小限の音、和声を選択し、ペソーアの詩の世界をサポートしていた。

詩とギターという組み合わせがこれほど新鮮な世界を構築できることに驚くと共に、あらゆるものを感覚しようとするペソーアの魂の世界を表現するには、こうした簡素な演出が最も効果的であることがよく理解できた。

昨日の公演は、ポルトガル世界の最良の表現といってよいだろうし、それを体験することができたことに感謝したい。

*ペソーアの詩の中で、「volante(ヴォランテゥ、ブラジル発音でヴォランチ)」という言葉が、場面の切り替わり箇所でたびたび登場する。サッカー用語と同じヴォランチである。この詩では「はずみ車」と訳されている。原義は、「飛ぶ、浮遊する、移動しやすい、彷徨う」といった意味の形容詞、「ハンドル、はずみ車」といった名詞。詩の中で使われると新鮮に響く。
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by kurarc | 2015-07-01 10:32 | Portugal

フェルナンド・ペソーアというアポリア

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わたしの所属する日本ポルトガル協会の企画で、ポルトガル大使館を会場とした『フェルナンド・ペソーア学入門』という講座(第1回)に参加した。全2回。6月に開催される『海の詩歌』(1915)というペソーア原作の公演をより深く理解できるようにするための勉強会のような講座である。

講師は渡辺一史氏。ペソーアで博士論文を書いたというペソーアの研究者である。ペソーアという一般にポルトガルの近代の詩人と紹介される人物は、ポルトガルの現代のミュージシャンの曲の歌詞のなかにもたびたび取り上げられていて、ポルトガルの詩人の中では突出した存在といえる。

渡辺氏の解説で、少しはペソーアの理解に近づきたいとは思ったが、それは大きな間違いであったようだ。そう簡単に理解できるような人物ではないということが渡辺氏の解説をお聞きし、よく理解できた。ペソーアは哲学者といえるような詩人であり、「異名」という異人格、脱人格を駆使した詩作をつくるが、その人格を理解するためには、ヨーロッパのモダニズム運動だけでなく、ヨーロッパの大きな意味での近代史を理解する必要があること。また、神学として体系づけられるペソーアの思想やパガニズム(汎神論)を理解しなければならないことなど、多くのアポリアを抱え込んだ巨人であった。

生前にはほとんど無名だったと言われる詩人=哲学者ペソーア。しかし、ポルトガル世界を理解するためには、不可避といえる人物である。彼は、ポルトガルという世界を引き受けた上で、文学や評論、詩作において様々な挑戦をしたアヴァンギャルドであるから。彼を少しでも理解できれば、ヨーロッパの周辺に位置するポルトガル世界の本質がつかめてくるような気がするのである。

*ポルトガルに行く前に買った『現代詩手帳』(1996年6月号)の特集「フェルナンド・ペソア」での鼎談 池上峯夫+四方田犬彦+澤田直が上記の問題群をよくとらえている。最近は、ポルトガル発音に準じて「ペソア」を「ペソーア」と表記することが多くなった。

*下にシアターコクーンのHPに掲載されている公演の解説をコピーしておきます。

20世紀のヨーロッパを代表する詩人に数えられ、アントニオ・タブッキ、ホルヘ・ボルヘス、オクタビオ・パスなど名だたる作家に影響を与え、現代もさまざまな領域の芸術家にインスピレーションを与え続けるフェルナンド・ペソーア(1888-1935)。ペソーアが創り出した数多くの「異名」のなかでもとりわけペソーアと密接な関係を持った詩人アルヴァロ・デ・カンポスが海を主題に綴った904の詩句からなる長編詩「海の詩歌(オード)」を、ポルトガル随一の俳優ディオゴ・インファンテ、音楽家ジョアン・ジルが舞台化。「私の祖国はポルトガル語」だと述べたペソーアの詩想を別様に表現したカンポスの詩を、原語ポルトガル語(日本語字幕付)で堪能する一期一会の場となります。
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by kurarc | 2015-05-26 20:36 | Portugal

海の詩歌(頌歌) Ode marítime

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ポルトガルの文化が少しずつ紹介されるようになってきた。今年は、詩人ペソアのプログラム。これは楽しみである。こうしたプログラムで、ポルトガルの特異な文化性といってよい感性にふれることができるはず。音楽も楽しみである。

「Ode」は詩歌というより、厳密には頌歌。ポルトガルでなぜ詩作が盛んなのか調べたことはないが、言語自体が詩をつくる言語と言われるゆえんであろうか。スペイン人も詩をつくるためにポルトガル語を学んだという歴史があるほどだから。
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by kurarc | 2015-04-21 21:09 | Portugal

Com licença(コン リセンサ)を言えない人々

Com licença(コン リセンサ)とはポルトガル語で「すみません」、「失礼します」の意。たとえば、電車や市電で降車しようとする時、出口付近に立っている人に「Com licença(コン リセンサ)」と言いながら電車を降りる。車内が混んでいるときにはよく使う言葉であり、ポルトガル語の中で、初めに覚えるべき生きた言葉の一つ。それは、現地で生活するとなおさら、この言葉の重要性がよくわかる。

東京はおおむね好きな都市ではあるが、やはり、満員電車だけはいただけない。特に、満員時、降車しようとする人々の大半は無言で人を押しのけて、ホームに出ようとする人が多い。ある人は、「どいてくれ」と言わんばかりににらみつけるような人もいる。「すみません」や「降ります」のひと言が言えないのである。それは、老若男女問わずである。

東京に住んでいて今一番嫌なのは、この「すみません」のひと言が言えない人たちと出会うことである。
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by kurarc | 2015-04-18 00:08 | Portugal


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