タコのリゾット(アロシュ・デゥ・ポルヴォ)

ポルトガル滞在時によく食べた料理にアロシュ・デゥ・・・という名前の料理がある。・・・にはアンコウだの魚介類だの、タコといったものが並ぶ。特に、わたしが気に入ったのは、アロシュ・デゥ・ポルヴォ、タコのリゾットである。「アロシュ」とは「米」のことで、この場合、リゾット、あるいは日本の雑炊に近い意味になる。

かなり前に、ポルトガル北の都市、ヴィアナ・ドゥ・キャステロで食べたアロシュ・デゥ・ポルヴォが一番おいしかったとこのブログで書いた。日本にもタコの炊き込みご飯など、おいしいタコと米の組み合わせがあるが、ポルトガルのものは、トマトソースと赤ワインで煮込むリゾットである。

今日は、久しぶりにアロシュ・デゥ・ポルヴォが食べたくなりつくった。ポルトガルのものを正確に再現しようとはおもっていない。自己流で十分である。わたしは、トマトソースにいつものようにエルブ・デ・プロヴァンスを使うので、南フランスの香りのするアロシュ・デゥ・ポルヴォになる。タコはもちろん明石のタコである。

タコのリゾットをつくったことのない方は是非挑戦してほしいいと思う。イタリア料理のリゾットのつくりかたを参考にすれば十分おいしいものができると思う。ポルトガルが異なるのは、パプリカのペースト(MASSA マッサ)を使うあたりだと思うが、こちらも地方によって異なると思われる。あとは、ポルトガルの赤ワインを使うことでポルトガルの味が引き出されるだろう。こちらもワインの味に差があるので、どの地方のワインを使うのかにより差が出てくる。檀一雄が自分の名前とよく似た響きのワインであると喜んだ「Dao ダォン」の赤あたりがよいかもしれない。

*「Dao」の「a」には、正確には上に「〜 ティル」がつく。

by kurarc | 2020-06-01 19:21 | Portugal(ポルトガル)

リスボン 聖アントニオ祭

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明日12日から13日にかけて、ポルトガルのリスボンではリスボンの守護聖人聖アントニオを祝うお祭りが始まる。

リスボンでこの祭りを経験した人ならば、誰もがまたこの時期にリスボンを訪ねたいと思うに違いない。リスボンのアルファマ地区の階段は、単なる通路としての階段から、祭りの舞台としての階段に変化し、その中で、夜な夜な宴会が続いていく。

日本でも最近は6月にいわし祭りと称して、様々な飲食店でこの祭りにちなんだイベントが催されるようになった。しかし、このリスボンの聖アントニオ祭を経験してしまうと、少々寂しさを思わずにはいられない。

今、リスボンにいる日本人がうらやましくて仕方がない。

*ポルトガル人の男性の名に多い「アントニオ」(「ト」にアクセントがつく)は、そのアクセントの通り、「トー」というあだ名で呼ばれる。学生たちは、アントニオという名前をもつ友人を「トー、トー」と呼ぶ。ちなみに、ペドロは「ペー」である。

by kurarc | 2019-06-11 21:42 | Portugal(ポルトガル)

アントニオ・タブッキへの郷愁から

ユリイカ2012年6月号『アントニオ・タブッキ』の中の堀江敏幸氏と和田忠彦氏の対談を読んだ。一人の作家を理解することはその作品だけでは理解できないと思うが、この対談は、そうした作品から漏れたタブッキの人間について理解する手がかりを教えてくれている。

どうもタブッキがペソアというポルトガルの詩人の研究を始めたのは、パリで彼の妻となるポルトガル人マリア・ジョゼとの出会いではないか、といったことが対談の初めに記されている。マリアがペソアの研究者であったのである。好きな女性から、あるいは付き合った女性から男性は何らかの影響を受けるものである。それは、女性についても言えることではないだろうか。

わたしはよく初めて会う女性にその女性の趣味を訪ねる。ある女性はバイクが趣味だ、と言ったりする。その容貌からどうみてもバイクが好きな女性とは思えない。多分、彼女はバイク好きの男性と過去に付き合っていたのだろうと想像する。

そのように男女は多かれ少なかれ影響を与え、与えられる存在だと思うから、タブッキは偶然にもマリアとの出会いによってポルトガルにのめり込み、果てはポルトガル語で作品を書くようにもなってしまった。そうした、彼の生き方、作家としての表現について、もう少し踏み込みたくなってきた。彼が亡くなって7年になるが、日本語で読める彼の作品を少なくともすべて眼を通したいと思うようになった。

それと共に、忘れようとしていたポルトガル(わたしの場合はリスボンに対する郷愁)への郷愁も蘇ってきた。最近ポルトガルに行った知り合いの方から、随分と変わりましたよ、と情報をいただく。それがどのような変化であるのか気になってきた。今年はもしかしたら20年ぶりにポルトガルに行くことになるかもしれない。

by kurarc | 2019-01-24 16:23 | Portugal(ポルトガル)

リスボン クルーズ船ターミナル 

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リスボンで活躍する建築家カリーリョ・ダ・グラッサによるクルーズ船ターミナル(上パース:カリーリョ・ダ・グラッサのHPより引用)がCASABELLA最新号に掲載された。リスボンの都市を知るものにとって、この計画がどれほど優れた計画であるか、パースでの段階で直感的に理解していたが、竣工した建築の写真を見て、その直感は正しかったことを再確認した。

リスボンのサンタ・アポローニャ駅に近いこの計画は、中心からは東にずれるが、リスボン、サン・ジョルジョ城からの景観を意識すると、ほぼその視界の中心に位置する建築であるだけに、慎重な計画が要求される。少しでも手荒な計画をしようものなら、リスボンのテージョ川に広がる伸びやかな景観を台無しにしてしまう危険性がある、そのような敷地なのである。

カリーリョ・ダ・グラッサの計画は、日本人建築家がよくやるような目立たそうとするデザインを極力控えて、低層の地形をつくりだした。その建築のボリュームは客船の高さよりも低く抑えられ、リスボンの都市に対する敬意が感じられる優れた計画である。今後は、テージョ川沿いに並木道も整備され、樹木が成長するころ、この建築はほとんどその存在感をなくし、リスボンの都市の中に埋もれてしまうだろう。

現在、ポルトガルにおける最も理性的で信頼に足りうる建築をつくる建築家がカリーリョ・ダ・グラッサである。


by kurarc | 2018-08-13 11:04 | Portugal(ポルトガル)

FIFAワールドカップ ポルトガル×スペイン

ワールドカップが始まった。サッカーに詳しいわけではないが、まず注目していたのはポルトガル×スペイン戦である。隣国の対戦はいわば代理戦争であり、お互い負けられないという心情は強いに違いない。

ダイジェストでこの対戦を見たが、激しい試合であった。結果は引き分け。ロナウドが輝いていた。終了間際のフリーキックは魂を感じた。

初めてポルトガルに行った1984年12月、リスボンを歩いていると石畳の道でサッカーボールを蹴っている少年に出会った。冬の暗い道の中、ボールを蹴っていた少年は、国木田独歩の言う「忘れえぬ人々」で、強く記憶に残っている。

日本以外で応援したいのはやはりポルトガルだろう。初めてポルトガルに行った頃、産声をあげた選手が今、ポルトガル代表として活躍していることになる。その頃のポルトガルは東欧諸国のような暗さがあったが、今や建築の世界では欧州で重要な位置を占めるまでに成長した。わたしはすでにポルトガル世界から遠ざかったが、英語など語学の達者なポルトガル人は今後、グテーレス国連事務総長のように様々な世界でリーダーを演じていくことになると思う。

by kurarc | 2018-06-16 17:50 | Portugal(ポルトガル)

マッサ ポルトガルの万能調味料


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たまに立ち寄る「カルディ」で、「マッサ」を見つけたので、早速購入した。「マッサ」とは、ポルトガルで使われる調味料である。赤パプリカの塩漬けをペースト状にしたもので、「カルディ」のHPでも書かれているように、これを料理にひと匙加えるだけで、ポルトガル料理風のコクが生まれる。

試しに、常備している野菜スープにひと匙加えてみると、まったく別のスープのような深みがでた。ポルトガルでは、たとえば、「カルネ・デゥ・ポウコ・ア・アレンテジャーナ」という豚肉とアサリを使ったアレンテージョ地方の郷土料理にもこの「マッサ」が使われ、コクを出す。

ポルトガル料理は、フランス料理のように洗練されてはいないが、日本の田舎に行ったときに味わえるような素朴な料理なのである。もしかしたら、ヨーロッパの古い料理の姿を残しているのではないか?また、アフリカを植民地とし、アジアと早く接点をもったことから、クレオール料理といってもよいような、様々な混血料理が誕生している。それらを味わえるのもポルトガル料理の醍醐味である。

「マッサ」が日本の調味料として根付くことを期待したい。

by kurarc | 2018-03-23 21:16 | Portugal(ポルトガル)

忘れえぬ街

夢の中にでてくるような街であるが、夢ではない街がある。海外に行ったことがある方ならば、そうした街をいくつか思いつくはずである。国木田独歩の小説に『忘れえぬ人々』という短編があるが、国木田が「忘れえぬ」と感じる人々は、なにも特別な人ではない。電車に乗りながら外を眺めているとき、視界に偶然入ってきた農夫のような何気ない人なのである。

それと同じように、パリのように美しい特別な大都市でなくとも、忘れられない街がある。わたしの場合、その一つはポルトガル滞在中に訪れたリスボン近郊の街である。残念ながら、その街の地名や正確な場所を思い出すことができないが、リスボンの北西、大西洋沿いの小さな街であった、と思う。海へと伸びる木陰の路が忘れられないのだが、現実に訪れているにも関わらず、いつも思い出すたびに、夢の中の街のような情景が想起される。

考えてみれば、20年以上過去に暮らしたリスボンでの体験も、すでに現実(過去の事実)でありながら遠い過去になり、夢の中の時間であったようにも思えてくる。海外で暮らすということがどれだけ特別なことなのか、今になって身にしみてくる。それ以前に訪れた海外の街も遠い遠い過去になるが、未だに忘却できるものではない。こうした膨大な記憶をどのように整理していけばよいのか?作家であれば、旅行記に表現できるのだろうが、もはや、旅行記にするにはあまりに時間が経過しすぎている。

先日、千葉の千倉へ行ったのも、そうした忘れえぬ街(場所)の一つであったからだが、海外の場合は簡単に再訪することは望めない。当面はGoogle earthででも探すしか手立てはないかもしれない。それにしても、国木田の「忘れえぬ」ものへの定義は興味深い。「中心」ではなく、その「周辺」が忘れられないという国木田の感性は斬新である。

by kurarc | 2018-02-07 00:55 | Portugal(ポルトガル)

グテーレス国際連合事務総長

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テレビでグテーレス国連事務総長の姿が度々報道されるようになった。日本人の大半は、いったいどこの誰だろうと思っている方々も多いことだろう。グテーレス氏はわたしがポルトガル滞在中、ポルトガル首相であった人物である。

ポルトガルでテレビを見ていた時、彼が流暢に話すフランス語などを聞いていて、海外の首相は日本とは違うなあ、と感じていた。日本人がフランス語を流暢に話すには、もちろん並々ならぬ努力が必要だが、ポルトガル人はその点、スペイン語は努力がいらないし、フランス語も流暢な人が多い。ポルトガル人の語学力は国連のような組織で今後役立つことが多いはずである。

グテーレス氏は、1998年に開催されたリスボン万博の誘致に貢献した政治家とされている。リスボン万博があったため、ポルトガルに住むことになった訳ではないが、リスボン万博では多くの有意義な時間を過ごすことができた。今後、北朝鮮問題など、グテーレス国連事務総長の活躍を見守っていきたい。

by kurarc | 2017-12-10 09:02 | Portugal(ポルトガル)

Googel earthで訪ねるリスボン

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一度でも海外に生活したり、海外でなくとも、故郷以外で長く一つの都市に滞在した人はわかると思うが、その後、その都市がどのように変化したのか、気になるものである。

わたしにとってそうした都市は、いくつかある。大学院生の時に1年過ごした川越、設計事務所勤務時代に1年移り住んだ自由が丘、大学卒業後2年ほど過ごした那覇、そして海外ではリスボンである。

特にリスボンには郷愁がある。この都市に2年過ごしたことは大きかった。海外に過ごしてわかったことだが、1年はあっという間に過ぎてしまう。よって、身体にその都市が刻み込まれる時間は最低2年必要であることがわかった。

リスボンでは、下宿先を転々とした。初めは、日本のポルトガル語教室から紹介してくれた下宿先。その次は、大学の掲示板で見つけた下宿先。この下宿先はポルトガルで最も著名な建築家、アルヴァロ・シザ・ヴィエイラの設計した(リコンストラクションされた)都市住宅であった。大家さんであったイリナさんとは未だにFacebookでつながっている。その次は、自分で不動産屋に契約に行ったカンポ・デ・オリーク(オリーケ)という地区の東端に面するアパート、ここの契約が切れてから帰国まではキッチン付きホテルに宿泊した。

カンポ・デ・オリークのアパートに決めたのは、リスボンを流れるテージョ川が見渡せるアパートであったことが大きい。(こうしたテージョ川を眺められるアパートは不動産広告に「Visto Tejo 」と記されている)そして、偶然にも、このアパートの隣の隣は、ポルトガル近代を代表する詩人、フェルナンド・ペソアの最晩年の住まいであった。

Googel earthでこうした場所を気軽に訪ねることができるようになった。わたしの行きつけのバルはまだ健在だ、とか、この場所に新しいカフェやレストランができた、といったことがリアルに把握できる。もちろん、こうしたことは、住まないまでも一度旅行で行った都市についてなら検証することができる。

少し前にタブッキという小説家のリスボンを舞台にした小説を紹介したが、この小説の中に出てくる街路の名前を検索しながら小説を辿れば、小説の中に見えがくれする土地の様子、地形、景観などを把握することができる。Googel earthはある時点での画像が提供されているが、こうした画像が時間の推移(つまり過去)まで記録できれば、都市がどのように変化していったのかが理解できる。今後、こうしたサービスが開始されることを期待したい。

Googel earthの中を歩きながら、かつて暮らした都市リスボンを歩くことは多くの再発見がある。もはや、海外旅行をしないで、かなりのリアリティを海外の都市に持つことが可能となったと言ってよいが、やはり実際の都市を歩いて、身体に刻み込ませることがその都市を知る最良の方法であることに変わりはない。そうでなければ、その都市に郷愁を持つことは不可能だからである。郷愁はかなりの力となって、次の行動を促す起爆剤になる。わたしにとってそうした都市と言えるのは、海外では今のところリスボンだけである。

*上写真中央の6階建のビルが、カンポ・デ・オリークのアパート。4差路の角に建っていた。バルコニーから目の前には、エストレラ大聖堂が、その果てにテージョ川を見渡すことができた。(Googel earthより転写)

*Googel earthが残念なのは、もはや過去の画像を再現することができないことである。わたしが初めてヨーロッパを訪ねた1984年の都市の景観はグーグルのデータの中にはもちろんないから、その当時の景観はすべて写真か映像、個人の記憶の中にしか残らないことになる。

by kurarc | 2017-09-12 15:27 | Portugal(ポルトガル)

ポルトガル、そして柄本祐さん

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仕事から帰り、テレビをつけると、俳優の柄本祐さんがポルトガルを訪ねる番組があらわれた。テレビ番組を見てチャンネルを選択した訳ではない。こうした偶然にも驚かされるが、柄本さんのポルトガルへの情熱、特に心酔するというオリベイラ監督への思いにも驚かされた。

リスボン、ポルト、ギマランエス(ギマランイシュ)が映し出された。ポルトのドウロ河沿いはわたしが滞在していた頃とかなり変化したように思った。ポルトを古都と紹介していたが、わたしが古都と感じるのはギマランエスの方である。特に、この街の夜はよい。わたしはこの街で夜入ったレストランが未だに忘れられない。路地に面し、外の明かりがレストラン内にやさしく届く光景が。レストランで食事をすることの意味はこうした場所で食べることなのだ、と感じさせてくれた。ここだけではない。ポルトガルのレストランはこのギマランエスに限らず、食べることと場所との関係を大切にしている。

柄本さんは、映画「階段通りの人々」の舞台となった階段、バルのあたりを訪ねていた。わたしもこの映画の印象が強く、リスボン滞在中に訪ねたことがある。といっても、わたしもリスボンを歩いていて偶然に見つけた。リスボンの中心バイシャ地区の東寄りに位置するサン・ジョルジョ城へ向かう階段である。リスボンに数多くある階段(あるいは坂道)は、どれも舞台となるような芸術である。それも、誰もがいつでもそこを通ることができる。都市の中で開かれた芸術のようなものといっていい。

柄本さんのような若者がポルトガルが好きだと言うのにはやはり驚かされる。この国、都市の良さはあまり多くの人には伝わらないと思えるからである。手短に言えば、都市であることは、およそ人を無名にしてしまうものだが、ポルトガルの都市は都市でありながら、自分が誰であるのかを失わない、そこがポルトガルの都市の良さということである。

普通はパリやバルセロナ、ローマがよいという人が大半であろう。柄本さんのようなポルトガル好きはそんなに多くなくてよい。ポルトガル人も誰もパリのような街になることを望んでもいない。ポルトガル好きを大声で叫ぶ必要もない。ポルトガル好きは静かに好きであればよいのである。



by kurarc | 2017-02-18 09:16 | Portugal(ポルトガル)