カテゴリ:三鷹-Mitaka( 39 )

踊る女学生たち

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地元ICU学園祭で、たまたまステージで踊る女学生たちのイベントに出くわした。

ブラックピンクという韓国のガールズグループの曲などに合わせて踊っていたようだ。わたしの娘たちの世代はどうもダンス世代のようである。下手な歌を聴くよりよっぽど楽しめた。彼女たちのパフォーマンスのレベルの高さにも驚かされた。

よくこれだけのダンスを習熟できるな、と思う。

by kurarc | 2019-11-07 17:15 | 三鷹-Mitaka

ICU、ルーテル学院大学学園祭に参加

学園祭の季節になった。今日は、地元の大学であるICUとルーテル学院大学の学園祭に足を運んだ。

特にICUではこの学園祭の時期でないと見学できない建築があるため、また、そうした建築を見学するツアーもあることから参加した。また、ルーテル学院大学はチャペル内で吹奏楽のコンサートがあり、音響がどのような感じか確かめたかったこともあり、コンサートに参加した。

ルーテル学院大学は村野藤吾氏の設計であり、特にこのチャペルはこの大学の中心となる空間である。その中で初めて吹奏楽を聴くことができたが、音響はよいとは言えないまでも、悪くはなかった。多分、天井高さが高いため、特別な音響設計は施されてはいないものの、音がかなり拡散され集中することがないため、聴きずらい音響空間にはなっていなかった。

ICUでは、以前から入ることができなかったアントニン・レーモンド設計の図書館内部を見学できた。但し、ワンフロアのみ。外観はフリーズソレイユなどの工夫があり、興味深いが、内部は基本的に1階ワンフロアの伽藍堂、特別なデザインはなされていなかった。また、最近竣工した隈研吾設計の体育館を見学できた。最も見学したかったのは泰山荘と言われる茶室付き別荘群であったが、こちらのツアーは残念ながら締め切られていた。

学園祭はその大学を知る絶好の機会であり、今回地元の大学ということもあり、地域の遺産、資産を発見する機会にもなった。明日も出かける予定でいる。

*ルーテル学院大学チャペル内にはいわゆる「5つのソラ」(神学を要約したラテン語)の中の3つが記されていた。

Sola Fide :信仰のみ
Sola Gratia :恵みのみ
Sola Scriptura :聖書のみ

ポルトガル語だと"Sola" は"So"である。

by kurarc | 2019-11-03 21:45 | 三鷹-Mitaka

みたか防災マルシェ

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初めて開催されたという「みたか防災マルシェ」を見学した。今日は東京大空襲の日と重なり、また明日は3.11から8年が経過する。こうした日に防災に関するイベントを催すことは非常に重要である。

東京建築士会多摩ブロック南部支部の準会員である、山崎氏が実行委員長になり開催された。携帯トイレやマンション居住者の心得など興味深い催しが多かったが、わたしが第一に見学したかったのは、ゴミ袋をつかったシェルター(下写真)である。

ゴミ袋に空気を入れ(空気は空気入れなどは使用しない。両手でゴミ袋の口を開けて、空を切れば空気が入る)、その口をひもで結び、それらをつなげて、ドームのような空間をつくる。これで冬場などかなりの暖をとることができるという。ゴミ袋も馬鹿にできない。ゴミ袋は仮設トイレなど様々な用途があるから、多めに買って、万が一の時に備えておいた方がよい。

会場でもらった東京都のリーフレットも良い内容であった。備蓄品目の解説から備蓄のポイント、災害時の食材活用法、備蓄食材をつかったレシピ紹介など参考になる。こうしたリーフレットはすべての都民に配布しておくべきだろう。

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by kurarc | 2019-03-10 15:19 | 三鷹-Mitaka

井の頭公園 朝景 2019/02/01



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今朝の井の頭公園、池に映る木々の水景、春を感じる。


by kurarc | 2019-02-01 10:08 | 三鷹-Mitaka

三鷹市大沢 復原された「わさび農家」(旧箕輪家)見学

三鷹市の文化財市民協力員養成講座の一環として、三鷹市大沢のわさび農家を見学。

三鷹市大沢に残る旧箕輪家住宅主屋が今年復原工事を終え、11月から一般に公開される。三鷹市民の有志がこの農家の由来などを学び、見学に来られる人々にガイドするための事前学習会が今日行われた。

公開前なので、写真は掲載できないが、思った以上に優れた農家であり感心した。まずは明解な構造とわさび田(現在は整備中)に開かれたプラン、また屋根は防火上銅板で葺かれたが、オリジナルは「麦から」を使用したことが復原工事の段階でわかったという。麦を使って屋根を葺くのは大変珍しいことだという。

また、興味深いのは、オーナーが土壁を塗るのにお金がかかるため、竹小舞が残され、露出した壁があったということだが、その壁をそのまま残したことで、竹小舞がどのように組まれているのかがわかり、学習しやすいこと。結果として、訪れた人々に大変説明しやすい状態となっている。

農家のスケール感もよく、この農家を建設した大工は、相当腕のよい大工であったことが想像される。残念なのはわさび田の手入れがなされていず、当時の風情を感じるまでにはいたっていないこと。湧水の量もかなり減少し、わさびを育てるには厳しい環境であるということだが、なんとしてもわさび田を含めて復原し、三鷹に残っていたわさび農家の原風景を感じられる環境へと成長してもらいたいと思う。

by kurarc | 2018-09-16 00:04 | 三鷹-Mitaka

日曜夜の井の頭公園を通って

日曜であったが、2級製図講師の講習のため、著名な製図講師H先生のチューターを勤めさせていただく。著名な講師の方だけあって、受講生には常に笑顔をたやさない。しかし、やさしい先生ではない。肝心なポイントのみを簡潔に受講生に伝える。厳しくもあり、ユーモアも忘れずにである。講義が始まる前にこうした先生の講義を聴講できたことはありがたかった。

帰り、夜も9時を過ぎた頃、井の頭公園を歩きながら帰路についた。若者たちはまだ公園内で歌を歌って騒いでいるものもいる。恋人たちは静かにベンチで語り合っている。人通りが少なくなった夜の井の頭公園を歩くことは好きである。暗闇であることは刺激が少なく、気が休まるし落ち着く。しかし、女性には少し暗すぎるかもしれない。

吉祥寺駅に向かうとき、帰るときにはできる限り井の頭公園を通過するようにしている。通過することで、何かがリセットされる感覚になる。生まれてから何度この公園を通過していることだろう。通過することで、過去が新たに再生され、更新される。そのことが心をリセットしてくれているのかもしれない。

わたしにとって、最も大切な場所の一つ、それが井の頭公園である。

by kurarc | 2018-06-24 22:10 | 三鷹-Mitaka

地元のK大学病院

体調を崩し、久しぶりに地元のK大学病院にお世話になる。地元の耳鼻科では拉致があかないと判断したためである。平成7年以来の受診になる、と受付の方が教えてくれた。

わたしはこの病院で、副鼻腔炎の手術を高校卒業と同時に行った。この時の手術ほど過酷なものはそれ以来体験していない。週1回ずつ、3回の手術を行っていく。その都度、顔が腫れ、腫れが治る暇もなく、次の手術が行われる。(現在は内視鏡による手術であるため、このようなことは起こり得ない)退院した時、ギターを弾こうとしたが、指に力が入らず、弾けなかったのを今でも覚えている。手術によって、身体の力を使い果たしてしまったかのようだった。わたしの浪人生活開始は5月に食い込んでしまうことになる。

その頃に比べると、K大学病院の変化は著しい。以前は、いわゆる大学病院という感じの殺風景な印象であったが、現在は、レストラン、カフェ(スタバとは別)、スタバ、コンビニなど都心の病院に完備されているものはすべて整備されている。大学病院という冷たさもまったく感じられず、地域に根ざした病院に変身していた。

患者に対する態度も好印象で、看護師方々もあたたかみを感じた。生活のインフラとして、こうした病院が近所にあることは心強い。ただ、あまりお世話にならないよう、健康を維持しなければならないが。

by kurarc | 2018-06-18 18:12 | 三鷹-Mitaka

上連雀の飛地

わたしの実家はわたしが幼い頃、「上連雀」という地名(現在は下連雀)であった。上連雀というと、三鷹駅から西側であり、隣接する地区は「下連雀」という地名であり、なぜ、わたしのところだけが「上連雀」という地名を残しているのか、ずっと疑問に思っていた。

武蔵野郷土史刊行会から出版されている『井の頭史跡散歩』の中に、その答えが書かれていた。井の頭の史跡を調べるために図書館へ行ったのだが、ついでに、わたしの長年の疑問が解けたかたちとなった。

本来であれば「下連雀」という地名の中に「上連雀」が存在したのは、上連雀を開墾した井口家の飛地であった、ということである。現在も、「狐久保」という地名が残っているが、このあたりは湿地であり、開墾されず残された荒れ地であったようだ。井口家はこの荒れ地の開墾に乗り出したようで、その土地を上連雀と名付けたのである。

すでに移転してしまったが、このあたりはその後、日本無線、正田飛行機、三鷹航空などの軍需工場が進出した。わたしの実家は町工場だが、こうした軍需工場が近くに存在したこともこの地に工場をかまえた理由の一つなのだろう。そのあたりは父親から話を聞いたことはない。いまとなっては調べるすべもない。

三鷹はその後、高級な住宅地へと方向を転換した。しかし、わたしの中の三鷹は工場の数多く残る町工場街のイメージである。そうした工場や工場の廃墟がわたしの子供の頃の遊び場だったのである。

*つまり、由緒ある地名がいつのまにか変えられてしまった、ということになる。

by kurarc | 2018-02-11 13:57 | 三鷹-Mitaka

井の頭公園 弁天橋再建

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井の頭公園の弁天橋が再建されるという。老朽化対策と途中にかなりきつい傾斜があるためバリアフリー化の必要性のあることが大きな理由のようだ。現在、橋再建に関して市民から意見を求めている。予定されている新しい橋の手摺は木目調を基調としたデザイン案が考えられている。

わたしはこうしたデザイン案に対して異議を書いて、意見箱に投函した。井の頭の池を渡る橋には本物の木を使うべきだし、木でなくても様々なデザインが無数に考えられるはずである。コンペティションを開催することも希望として書いておいた。

この橋は東京都の管轄になるが、なぜ東京都がこうした低レベルな橋の案をつくるのか理解できない。確かに、現在の橋はベビーカーで通過するには苦労するから、バリアフリー化には賛成だが、「木目調」とは一体どういうことだろう。昭和の頃のデザイン感から抜け切れていないとしか思えない。

写真は、2015年6月15日に撮影した弁天橋である。子供の頃からこの橋は存在したから、小さな子供を持つ親にとっては通過しづらい橋でも、わたしにとってはその傾斜部分が思い出深いことも確かである。数年後には、この写真がアーカイブとしてわたしの記憶の中に保存されることになりそうである。

by kurarc | 2017-12-26 18:06 | 三鷹-Mitaka

ジョギングしながらゴミを拾う人 輪島功一さん

地元でよく見かける奇才は二人いる。楳図かずおさんともう一人、輪島功一さんである。

最近、現場へ行く途中によくお会いする。今日も、現場の帰りにお会いした。「ご苦労様です」と声をかけると、輪島さんも挨拶をしてくれた。

なぜ「ご苦労様です」と言うのかというと、輪島さんは、いつもジョギングをしながらゴミ拾いをしているからである。ジョギングという個人的な行為とゴミ拾いという社会奉仕、社会貢献を同時に行うラディカルな人、それが輪島功一さんである。

井之頭公園のベンチに座っていると、近くに来て、訳のわからない世間話をして帰って行く時もあるが、輪島さんのことを知らない若い人は、狂人と思うかもしれない。わたしの子どもの頃、こうした狂人のような人は街頭にさまよっていた。現在は、福祉施設などに閉じ込められてしまうから、あまり出くわすことはないが、本来であれば、普通の生活の中で生きていくことが好ましいのだろう。

輪島さんはもちろん狂人などではない。輪島さんのナイーブさが、ジョギングとゴミ拾いという二つの行為をせずにはいられないのであろう、と思う。元世界スーパーウェルター級チャンピオンがジョギングだけをしていたのでは、世間とはなんの接点も持てないこともあるだろう。普通の人であれば絶対にやることのないこうした行為を平然とやり遂げている輪島さんは、尊敬すべき奇才である。

by kurarc | 2017-11-04 11:57 | 三鷹-Mitaka