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『重力とは何か』(大栗博司著)を読む

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ブラックホールの画像が話題となったのはいつだったか。新型コロナウイルスの報道で、そうした最も興味を持つべき情報がかき消されてしまっている。現在、最も刺激に満ちた分野といえば、わたしの中では物理学である。

表題の『重力とは何か』は、その名の通り、重力の研究史であり、ニュートンからはじまる重力という発見からアインシュタイン、超弦理論までのパースペクティブである。新書でおよそ300ページほどの本書を要約することはわたしには不可能であるが、大栗氏は、物理学初学者にもアクチュアルな物理学の最前線の事象を平易に解説してくれている。

重力は通常、物理学を知らないものにとっては、ニュートンの世界で終わっている。少し興味のあるものは、アインシュタインの相対論までは知っているかもしれない。問題は、その後である。ホーキングが宇宙には特異点が存在することからアインシュタインの理論が完全ではないことを証明したこと、そして、相対論に対して量子力学というミクロの世界との統一理論は可能か?最後に、重力は消えてしまうのだが、そのあたりから、現代物理学は素人では感覚的につかみきれない世界に入っていくようだ。

本書で興味深かったのは、宇宙の根源を説明する究極の基本法則は必ずある、と言い切っていること、また、マルチバース(多重宇宙)についてであった。マルチバースが事実として発見されれば、ユニバースという言葉が辞書からなくなるかもしれない。そして、宇宙が一つではないならば、それによって、神の存在は否定されるだろう。

物理学は現在、中途半端なSF小説を読むより刺激に満ちていることだけは確かである。今後は超弦理論についていけるように大栗氏の著作をフォローすることにしたい。

by kurarc | 2020-05-26 20:37 | books(書物・本)

古語辞典

手元に古語辞典がないことに気づき、購入することにした。(もちろん、古本でである。辞典は古本でもきれいなものが手に入り安い。)

驚いたことに、今時の古語辞典は、至れり尽くせりで、古典にあらわれる動植物や色、衣服の襲(かさね)の色目、服装、武具、鎧の縅(をどし)、輿車(よしゃ)、建築、調度、楽器、干支・方位、月齢等々が図解で掲載されていた。本文にはコラム記事も数多く、文法の解説も丁寧である。

英和辞典の進化、深化もめざましいが、古語辞典の方もこれだけ使いやすいものに変化していることに驚く。ことばとその意味だけを掲載するという従来の辞典を学生時代使っていた世代にとっては、あらゆる分野において、これほど学習しやすい環境が整ってきた時代はかつてないのではないか、ということに気づかされる。

たとえば、コラム記事の最初に、「愛敬(あいきょう、古典ではあいぎょう)」ということばが解説されていた。源氏物語では、光源氏を「愛敬のこぼれ出づるぞ」と形容しているという。これは、現代の「愛想のよい」という意味ではなく、「優美な魅力」を表すことばとして使用しているとのことである。

古語辞典は、収録語数も2万から4万程度で、非常にひきやすい語数であることにも改めて気づかされた。高校まであれほど古典を学習してきたにもかかわらず、それ以来、古文を読むような時間をまったく設けていなかった。それは、過去のことばに対する感性の欠落だろう。映画『ちはやふる』でそうしたことを気づかせてもらったのは幸運であった。今後は、古典の学習にも感性をひらいていくことを忘れないようにしたいと思っている。

by kurarc | 2020-05-17 09:52 | books(書物・本)

佐治晴夫著 『ゆらぎの不思議』

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「ゆらぎ」や「1/f」といったことが話題になったのは、わたしが大学生の頃であったと思う。現在、物理学では、宇宙の始原は「ゆらぎ」から始まったということが常識になっている。「対称性のやぶれ」、あるいは「ビッグバン」として知られる宇宙創造の物語を本書は平易に解説してくれている。

さらに、本書の特徴は、物理学だけでなく、文学や藝術との連関とも合わせて解説してくれている点にある。本書は、金子みすゞの詩で始まる。金子みすゞの詩に表現されているような自然に関する感性の鋭さ、豊かさが、まずは宇宙を考える出発点になるということを訴えたかったからだと思う。

本書によって、われわれの身近に存在する自然が「ゆらぎ」という共通性をもつこと、さらに、自然に存在する「ゆらぎ」は二度と繰り返すことはないこと、そこに、美しさがある、と著者は考える。複製品に囲まれた現代に反して、雲の流れや星の瞬き、あるいは風、炎のゆらぎなど我々のまわりには「ゆらぎ」に満ちていることを本書は改めて気づかせてくれる。

本書で特に興味深かったのは、地球外知的生命体に関する記述であった。著者は、もし、地球外知的生命体に遭遇できれば、銀河系的規模でものごとの新しい価値観や判断基準を手に入れることができること、また、地球外知的生命体とのコミュニケーションについて、1/fゆらぎを使ったコミュニケーションの可能性について述べている。地球外知的生命体の脳は我々の脳と同じ原子、分子からできていることは間違いないから、数学的な論理体系や感覚器官も類似しているに違いないと著者は推測している。

人間は最後は死に炭素にもどるが、それも宇宙のチリという始原に回帰することであると考えれば、そのチリから新たな生命体が誕生するかもしれないと考えると、人間は死んだことにはならないのでないかなどと考えたくなる。本書を通じて、改めて自然の奥深さ、1回性という美しさを味わうことを忘れないようにしたいと思わされた。


by kurarc | 2020-05-13 20:35 | books(書物・本)

『変わり者 ピッポ』を読む

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連休中に『変わり者 ピッポ』として翻訳された童話(絵本)の原書『Pippo the Fool』を読んだ。この英文の童話がどのように翻訳されているのか興味があり、本書を購入した。

こうした童話がどのように訳されているのかを検討するのは初めてのことであり、いろいろ勉強することが多い。実は、この原書を自ら翻訳したいと思い、読んだのだが、読み終わってからよくよくアマゾンを検索すると、すでに翻訳本が出版されていることを知り、がっかりしていたところである。

結論からいうと、こうした童話の翻訳はかなりの意訳であり、直訳からは程遠い作業であるということのようである。よって、ストーリーの全体を把握しながら、どのような言葉を選択するのか、そうした部分と全体を考慮しながら翻訳を進めている印象をもった。また、この絵本では、翻訳にあたり、イラストが重要なヒントになっただろうことも推測される。

たとえば、絵本最後に原文では「Bravo !」という言葉が3回連続して、職業の異なるものから発せられるのだが、この言葉をそれぞれ異なる意味に翻訳しているなど、プロの翻訳家の仕事だと思わされ、感心した。こうした訳し方をしてよいのか、ということは素人は気づかないし、わからない。とにかく、翻訳とはこういうものか、ということがよく理解できたので、原文を読んだことは無駄にはならなかった。

*この絵本で、ロレンツォという藝術家の描写がでてくるが、その靴とソックスの色が左右別々の色に描かれている。これは当時のかっこよい男たちのファッションであることをイラストを担当したポー・エストラーダが述べている。

by kurarc | 2020-05-10 10:29 | books(書物・本)

スタニスワフ・レム作 『ソラリス』解説本

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タルコフスキーの映画の原作として知られるスタニスワフ・レム作『ソラリス』解説本を本棚を整理しているときに見つけた。ロシア・東欧文学研究者、文芸批評家の沼野充義氏によるものである。沼野氏によるポーランド語からの原作の訳書を購入してあり、まだ読んでいないのだが、新型コロナウイルスのような未知なる事件に遭遇していることもあり、急に気になり、この解説本を読み直した。

ウイルスとは異なるが、『ソラリス』は宇宙上で人間以外の理性体(ソラリスの海)との接触を描いたSF小説として知られている。平たく言えば「他者として存在」との接触の問題を扱ったSFと言える。

宇宙にはどのような生命体が存在するのか今のところ不明だが、レムはその生命体を人間とはまったく異なる理性をもつ他者であると想定する。さらに、宇宙人の姿を人間の似姿のように考える人間中心主義、アントロポモルフィズム(人間形態主義)を拒否している。それは、社会主義リアリズムのSF小説では、人間が理性の最高段階であるという世界にレムが属していたことへの自己批判でもあった。

沼野氏によれば、レムがこのようなSFを描いたのは、レムの生い立ちが反映されているという。レムの生まれはポーランド領ルヴフであるが、その後、ソ連領に組み込まれロシア語のリヴォフとなり、ソ連崩壊後、ウクライナ領となりウクライナ語のリヴィウと呼ばれるようになった。レムは社会体制から人間関係にいたるまで、すべてが崩壊し、その価値も崩壊してしまうような世界を生きてきた。レムは、残念ながら常に安住できる世界は連続していかないことを身をもって経験した。そうした経験から、世界を懐疑的にみる相対主義的な立場をとるのである。

タルコフスキーの映画はこうしたレムの背景を無視し、最後には地球を登場させ、郷愁に回帰した世界を挿入してしまったことは、レムの意図とはまったく正反対のことであり、レムはこのラストに激怒したと沼野氏は述べている。

未知の現象に遭遇したときの人間の行動を考えるとき、この『ソラリス』というSF小説は我々に多くの啓示を与えてくれるはずである。人間は理性を超えるような経験に遭遇することがありえること、その経験から目をそらしてはいけないこと、そのことをレムは訴えようとした。

カミュの『ペスト』とともに、今再び読まれるべき小説の一つかもしれない。

by kurarc | 2020-05-06 19:42 | books(書物・本)

水木しげる作 『水木しげるの泉鏡花伝』

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わたしが最も影響を受けた漫画家をあげるとしたら、水木しげるさんかもしれない。『悪魔くん』や『ゲゲゲの鬼太郎』など、子供の頃、実写やアニメーションで欠かさず観ていた。彼の描く妖怪たちは人間味のあるものばかりであること、そのキャラクターが非常に個性的であることが子供ながら夢中にさせた要因だと思う。

その水木さんが90歳を超えて最晩年に出版した作品の一つが、『水木しげるの泉鏡花伝』である。二人とも妖怪とは切っても切れない作家であるため、漫画として楽しむにはうってつけの作者である。泉鏡花の評伝であり、また、『黒猫』と『高野聖』が簡潔な漫画として描かれている。

久しぶりに漫画を手にしたが、おもしろくて一気に読んでしまった。この漫画で知ったのだが、鏡花が逗子で4年間あまり生活していたことは知らなかった。『草迷宮』も逗子時代に生まれた作品のようである。逗子での4年間は、「蝶か夢か、ほとんど恍惚の間にあり」と表現しているという。日露戦争後、文学は自然主義に偏り、鏡花の評価は落ちていく一方で、食べることに苦しかった時期のようである。

この漫画の中でも描かれているが、鏡花が弟子入りした尾崎紅葉宅における修行が厳しかったようだが、鏡花は素直にそれに耐えた。そのことが、後日、彼の文体を研ぎ澄ませる結果につながったのだと思う。

今度、逗子時代の鏡花の軌跡を訪ねる旅を企画したくなった。

by kurarc | 2020-05-02 16:42 | books(書物・本)

『英国の文学』 吉田健一著

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昨日、シェイクスピアの『ソネット』を読了した。最近は寝る前に、こうした専門外の著書を読むことにしている。今日、仕事の帰りに立ち寄った古本屋で吉田健一著『英国の文学』が目につき、ちょうどシェイクスピアなどについて解説してくれていることもあり、購入した。

わたしが初めて英国、ロンドンを訪れた季節は6月半ばであった。吉田によれば、この6月は英国の春始まりの月であり、最も美しい季節であるという。シェイクスピアの『真夏の夜の夢』(最近は、『夏の夜の夢』と訳される)の「真夏」とはこの6月半ばのことであり、この季節を思い浮かべられることが必要であるのだが、吉田は、それと対比して、英国の醜悪な冬について、英国人は冬に堪えられる神経の持ち主であるから、春の美しさが感じられるのだ、と述べている。美しい春があるから冬に堪えられるのではない、という興味深い言い方をしている。

わたしのロンドンに対する印象がすこぶるよいのも、この季節に訪れたせいであったことを吉田の文章により今更ながら気付かされた。吉田は、この著書のはじめに『ソネット』でもっともよく引き合いに出される18番目を翻訳していて、この詩に、「いつかは沈むとも見えない太陽の豊かな光線が空中に金粉を舞わせている英国の夏の黄昏」があるとし、英国の夏を想像できなければ、この詩は理解できない、とでも言いたそうである。

高橋源一郎が『一億三千万人のための小説教室』の中で、吉田の文章に一時心酔したと書いているが、吉田の文章には、英国での生活体験を血肉化し、それを知性化したような品が感じられる。

吉田の『ソネット』18番訳詩は、わたしが読んだ小田島雄志訳とはだいぶ異なる。わたしには小田島訳の平易な訳し方の方が合っているが、シェイクスピアの楽しみ方の一つは、様々な翻訳者を比較し、表現の仕方の差異を味わうことかもしれない。吉田のデビュー作という本書から、英国の文学の流れだけでなく、吉田の気品ある文章力を学べたらと思っている。


by kurarc | 2020-04-06 21:20 | books(書物・本)

夏目漱石 『文鳥』

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昨晩、夢の中に小鳥があらわれた。わたしはその小鳥を撫でている。小鳥は嬉しそうに首を傾けて、ふと目が覚めた。

わたしの事務所のとなりにはKOTORI CAFEというカフェがあって、現在は文鳥カフェになった。以前にも書いたが、わたしが小学校1、2年の頃、自宅に文鳥が舞い込んだ。オスの文鳥で、手乗り文鳥であった。その文鳥は今までわたしが飼っていたようになつき、わたしは毎日その文鳥と遊んだ。手乗り文鳥なので、「テノ」と名付けた。

「テノ」の特技は、畳にたたずんでいるときに、畳を手で2回叩くと、2回飛び跳ねながらわたしの方に近寄ってくる。3回叩くと、3回飛び跳ね、近寄ってくる。賢い手乗り文鳥であった。「テノ」は、わたしが飼った動物のなかでは、もっとも記憶に深く刻まれた動物であった。

漱石の『夢十夜』、『永日小品』、『硝子戸の中』など、「小品」と呼ばれる一連の作品のなかに『文鳥』がある。漱石の書斎に面した縁側に、弟子のすすめで、真っ白なメスの文鳥が同居するようになり、その死まで、文鳥との対話を描いた小品である。漱石の文鳥の描写は繊細で、文鳥の仕草が手に取るようにわかる。興味深いのは、そうした仕草がかつての知り合いの美しい女性の仕草に重ねられる描写である。

漱石の文鳥はある日、あっけなく死を迎えることになり、その事実に戸惑うが、漱石はその死を家族や女中のせいにして、その処置を女中や子供達に任せてしまう。その死に対して、悲しみの描写、後悔の描写も希薄である。そうした描き方が、この小品を乾いた作品に仕上げている。じめじめした描き方にしてしまうと、平凡な小品になってしまう、そのことを避けたいという漱石のねらいがあったからなのだろう。

by kurarc | 2020-03-27 19:38 | books(書物・本)

ミレニアム・ブリッジの揺れ もう一つのミレニアム・バグについて

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2000年6月10日、ロンドンのミレニアム・ブリッジが一般公開された。この橋は、著名な建築家ノーマン・フォスターとオブ・アラップという世界的に著名な建築構造事務所により設計されたものである。

「光の刃」と呼ばれた橋のデザインは美しく、誰もがその橋を渡り対岸へ行きたいと思うような橋だったに違いない。しかし、この橋に思わぬ問題が発生した。横揺れの問題である。数百名のロンドン子がこの橋を渡り始めた時、S字型の振動と水平方向に揺れ始めたのである。歩行者は危険を感じ、手すりにしがみついたという。

この現象が奇妙なのは、数百人のロンドン子はランダムに歩行しているにもかかわらず、その揺れは一定の周期を帯び、増幅すらしていったということである。

その原因をつきとめるための調査では、毎秒1サイクルで揺らしたところ、同じような揺れが生じることが判明した。毎秒1サイクルとは、人間が普通に歩く周波数の半分、つまり、人間は通常1秒に2歩のペースで歩くのである。

さらに、人間は歩行する時、わずかながら足を地面に下ろし、蹴り上げる時、水平方向の力をを生じさせているのである。エンジニアはこのようなことを誰も想定していなかったし、また、揺れ始めた時、揺れをかわそうとしてどうもランダムと思われた人間の足並みは同期してしまい、その力が合わさり、大きな揺れが引き起こされることもわかってきた。(以上、『SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか』、スティーブン・ストロガッツ著より)

現在、問題となっている新型コロナ・ウイルスも、こうした同期現象となんらかのかたちで関連していく可能性は十分に考えられる。都市の中で、ランダムに歩行する人間であっても、どこかでその接点が重なり、「大きな揺れ」(オーバーシュート)になることを想定しておかなくてはならないだろう。

by kurarc | 2020-03-24 17:34 | books(書物・本)

薔薇との再会

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シェイクスピアと薔薇の花(芳香)が密接に関係していることは、先日のブログでふれたが、仕事の帰り、たまたま立ち寄った古書店で『シェイクスピアに出会う旅』(熊井明子著)という本を見つけた。

驚いたことに、この本も第1部でシェイクスピアと香りとの関連が詳しく描かれていた。熊井明子さんは、映画監督、熊井啓氏の奥様である。シェイクスピアに造詣が深く、シェイクスピアを原書で味わうほどの力の入れようで、彼の香りに対する執着を発見したようである。それはもちろんシェイクスピアの個人的な執着というだけでなく、16世紀後半からのエリザベス一世朝時代の王侯貴族から庶民に至る習慣が影響していた。

薔薇の花は、わたしもなぜか記憶の中に深く刻まれている。それが、母の実家の庭に咲いていた薔薇のことなのか、叔母の庭でのことなのか、また、近くにある神代植物公園のバラ園での記憶なのか、あるいは、映画『テス』のなかのシーンの記憶なのかわからない。以前、このブログで庭をもったら薔薇を育てたい、とも書いた。

子供にとって薔薇には鋭い棘があることが花だけでなく記憶に刻まれやすいのだろうし、その香りも忘れがたい。薔薇の香りを嗅ぐと、遠い子供の頃の時間へ遡ってくような不思議な感覚を味わうのである。わたしは自分の庭をもたないが、今年から、ベランダで薔薇の栽培に挑戦してみようかと思いはじめている。

by kurarc | 2020-03-19 20:24 | books(書物・本)