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カテゴリ:books( 230 )

小説『ダイヤモンド広場』

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注文していた小説『ダイヤモンド広場』が届けられた。まずは訳者田澤耕氏の解説を読む。カタルーニャ語で著されたというこの小説は、スペインではかなり厳しい道を歩んだという。そもそも、スペインではカタルーニャ語の小説をスペイン語訳する場合ヒットしない、ということが常識となっているという。わたしはそのようなことを初めて知ったが、スペインでは、内戦が終わった後にも、カタルーニャ・アレルギーのようなものがあるのだと田澤氏は書いている。

日本では以前、この小説の翻訳が出版されているが、それはフランス語訳からの重訳であり、今回、初めてカタルーニャ語から直接訳されたことになるという。ガルシア・マルケスは、スペイン語とカタルーニャ語の両方で本書を読んでおり、著者のマルセー・ルドゥレダにもわざわざ会いに行き、お互いの共通の趣味である園芸について、話を弾ませたらしい。

この小説の舞台であるダイヤモンド広場のあるグラシア街についても田澤氏はふれている。グラシア街はバルセロナ旧市街とグエル(カタルーニャ語でグエイ)公園の中間、旧市街の北側に位置する。もともとはバルセロナ郊外の村であった地区であり、19世紀後半、バルセロナ拡張とともに、バルセロナに編入された地区であるという。低層の住居が残る落ち着いた地区のようで、現在でも若者に人気のある地区のようだ。

わたしが初めてバルセロナを訪れたのは1984年だが、その1年前、ルドゥレダはジロナ市の病院で死去している。1982年版の『ダイヤモンド広場』がスペインで出版されているというから、この小説の影響を受けて、映画『エル・スール』も誕生しているかもしれない。(もちろん、エリセは1982年版以前のものを読んでいるのだろうが)

この小説はスペインとスペイン内戦に興味を持つものにとって必読の小説であろう。

*スペイン語とカタルーニャ語にどれほどの差異があるのか、わたしは知らないが、近いうちにその差を学んでみたくなった。カタルーニャ語(ガリシア語も)で「おはよう」は「ボン・ディア」。ポルトガル語と同じである。そういえば、本日、ポルトガル語版のタブッキの小説『レクイエム』を注文するため、紀伊国屋書店洋書部に連絡する。イタリア人のタブッキがわざわざポルトガル語で書いたという小説を原書で読んでみたいと思ったためである。


by kurarc | 2019-08-23 00:21 | books

夏目漱石とアンドレア・デル・サルト

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漱石の某小説に、イタリア・ルネッサンス期の画家アンドレア・デル・サルト(上自画像、Wikipediaより)が登場する。恥ずかしながらわたしはこの画家を知らなかったが、漱石がなぜ何気なくこの画家を登場させたのか、わたしにはどうも意味深長な気がしてならない。

ダ・ヴィンチの34年後に生まれたアンドレア・デル・サルトは、ルネッサンスからマニエリズムへの境界上に位置していた画家で、漱石はそこに注目していたのではないか?

漱石の小説に見られる自然主義を超越したような作風は、もしかしたらマニエリズムを意識していたのではないか。そして、漱石はそうした絵画の風潮をいち早く吸収し、自らの小説の中に取り入れようとしていたのではないか?

漱石ほどの教養人であれば、ロンドンでアンドレア・デル・サルトの絵画を見ていたのかもしれないし、漱石が、ルネッサンスではなく、その後に続くマニエリズムの絵画に興味をもったということは十分考えられる。

また、漱石の小説は、注釈を見ると興味深い。その中に登場する古今東西の文学者、詩人、哲学者、心理学者など、小説に登場する人々、もの、思想から漱石の考え、主題、興味など様々なテクストが読解できるわけである。

漱石を誰も捉えなかったように読んでいきたい。今、そのように思っている。

*検索していくと、高山宏氏は『夢十夜を十夜で』という著書の中で、マニエリズムを念頭に読解しているらしい。やはり、考えることは同じである。

by kurarc | 2019-08-19 23:53 | books

小説『ダイヤモンド広場』

8月の末、岩波文庫からマルセ・ルドゥレーダの小説『ダイヤモンド広場』が出版されるという。長田弘著『私の二十世紀書店』の中で紹介されていて、ずっと読みたかった小説である。

G.ガルシア=マルケスが、「(スペイン)内戦後にスペインで出版された最も美しい小説」と言っているくらいだから、どのような小説なのか気になる。バルセロナのダイヤモンド広場がどこにあるのかグーグル・アースで調べてみると、バルセロナ郊外、グエル公園に割合近い位置にその広場は存在することがわかった。画像でも確認したが、街の中にある普通の広場であり、特殊な広場ではない。

この広場でどのような物語がはじまるのだろう。興味は尽きない。バルセロナというとガウディだが、そのような紋切り型の想像力は捨て去らなければならない。すでに岩波文庫は予約した。小説は苦手な方だが、これは読まなければならない。

by kurarc | 2019-07-30 22:42 | books

『沖縄骨語り 人類学が迫る沖縄人のルーツ』 土肥直美著

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5月末から6月初めに沖縄に久しぶりに訪れたときに、琉球新報社でタイトルの本を購入した。骨からみる形質人類学の著書で、沖縄人、はては日本人、アジア人の起源のようなものに迫る著書である。

以前、このブログで『骨が語る日本史』(鈴木尚著)の中に描かれている、鎌倉の人骨について書いたことがある。骨に刻まれた傷によってその人に死に方までわかるようなことや、人食という習慣があったことなどについてふれた。

沖縄人や日本人(やまとんちゅう)のルーツは何かといった議論は古くからなされてきたが、この本で興味深かったのは、最新の発掘調査によると、沖縄人が縄文人の形質を多く残すということはどうも俗説らしい、ということである。

「日本列島人の二重構造モデル」という考えでは、200万年前から南方系縄文人が分布し、日本の基層となり、その後、2500年前頃から北方系(渡来人)が入り、この二系統が重なり合うという二重構造と考えられた。沖縄とアイヌの周辺地域はその後、混血が少なかったことから、縄文人の彫りの深い形質を多く残している、と言う考えが有力だったが、この考えは現在、再考が求められているということ。

沖縄人の人骨を調べていくと、以外にも彫りの深い顔ばかりが発掘されるのではなく、浅いものも多く発掘されるということである。そして、その変わり目は、どうも沖縄でグスク時代といわれる12世紀以降に日本側(東から)からの交流がさかんに行われたことが影響していると考えられるらしい。ただ、グスク時代の人骨は未だに数多く発見できていないこともあり、今後、この時代の研究が重要になってくるということである。

わたしも最近、遺伝子解析を行ってみたが、わたしの祖先は一体どこからやってきたのかという興味はつきない。わたしが沖縄に住むようになり、台湾を経てタイに行くという初めての海外旅行の経験は、実はわたしの祖先が来た道を逆行しているのでは、と思えてならないのだが、この著書を読み、その思いは益々強くなった。

この著書では、沖縄に残る様々な墓の形式にもふれていて、興味深い。特に東京のような都市の中で「死」は遠い世界であるが、沖縄ではまだ、都市の中においても「死」が身近な世界として感じられる風土が残っているということである。

by kurarc | 2019-07-23 19:36 | books

夏目漱石 再考の必要性

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先日ダ・ビンチのモナ・リザ(モンナ・リザ、またはジョコンダと言うべき)について書いた。いろいろな書籍を読んでいると、ダ・ヴィンチに関する言及が多く現れ、ダ・ヴィンチについて再考したくなったからである。

今度は漱石である。こちらもたまたま無作為に図書館で借りた本の中に、漱石に関する章が複数の本で現れた。これも巡り合わせか。

漱石についてはいくつかの小説を読んでいるが、たとえば、漱石が建築家になりたかったということは有名だが、彼が建築についてどれほどの知識をもっていたのか、ということは知らない。また、漱石は絵画に関する知識が豊富で(exam.『草枕』)、自らも画才を発揮したが、それがどの程度であったのかもわたしは知らなかった。

実はそのどちらもが、相当のレベルであったらしいということを、複数の本から学んだ。それに、漱石がイギリス留学から帰国して、帝大で講義した文学論についてはまったく無知であったが、この文学論が相当興味深い内容であることもわかった。

漱石はどうも抽象画やキュビズムのような絵画芸術が出現することをかなり早い段階で想定していたらしい。文学論のf+F論も気になる。今年後半はダ・ヴィンチと漱石の探求か・・・




by kurarc | 2019-07-18 21:39 | books

短編小説

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以前から短編小説を書いてみたいと思っていた。そして、今、思い切って一つ、書き始めた。この10年、何回か入院を繰り返したが、そのとき、病院のベッドでできることといえば、何か考えること、または本を読むことくらいであったが、ある小説を読んでいるとき、暇つぶしに自分でも書いてみてもよいかもしれないと思い、いくつか題材のメモをとっていた。

短編小説とわざわざ書いたのは、長編小説は労力がかかりすぎること、また、短編小説といえばわたしの世代は星新一が活躍し、わたしが初めて購入した文庫本が星新一の『ボッコちゃん』であった影響も大きい。

先日、多分40年ぶりくらいになると思うが、この『ボッコちゃん』を読んでみた。なかなかシュールな短編で、ロボットを題材にしていることも興味をひいた。ユーモアもある。今読んでも名作といえる小品である。

まずは、星新一のように軽々と小説が書けないか?もちろん書けるわけはないが、原稿用紙10枚くらいはなんとかなるのではないか?ブログを書くように気軽に書いてみよう、そういう程度のことである。

by kurarc | 2019-07-05 00:23 | books

子どもという宇宙 童話の世界

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河合隼雄著『子どもの宇宙』(岩波新書)を読んでいる。最近『モモ』という童話を読み始めたこともあり、久しぶりに童話に興味が向き始めた。

童話というと『星の王子さま』がまず思い浮かぶが、これは童話という領域に収まらない名作であることはよく知られている。わたしも佐藤さとる著『だれも知らない小さな国』を中学生時代、読書会で取り上げ、議論したことがある。著者の佐藤氏にも手紙を書き、丁寧な返信をいただいた。

河合氏が「子ども」と「宇宙」という言葉を併記しているように、子どもの世界は大人になるとつい忘れてしまうが、宇宙といえるような広大な世界を子どもたちは感じ、生きている。そのことを河合氏は、「家族」、「秘密」、「動物」、「時空」、「老人」「死」、「異性」というキーワードをもとに、深く掘り下げていく。

興味深いのは、こうした子どもたちの宇宙についての文章を読んでいくと、わたしのようないい歳の大人にとっては、過ぎ去った時間を遡行しているような感覚を味わうことができ、子どもの頃よく理解できなかった出来事を再び経験でき、理解する助けとなる。また、この中で取り上げられる童話も興味深いものばかりで、たとえば、わたしの好きな映画『秘密の花園』の原作を紹介されていて、映画の中だけで完結せず、原作の繊細な描写にも目を向けるべきことに気づかされた。

*この著作にでてきた童話で今後読みたいもの

・E・L・カニグズバーグ 『クローディアの秘密』
・E・L・カニグズバーグ『ジョコンダ夫人の肖像』*レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年である今年、まずはこの童話を読みたい。
・エーリヒ・ケストナー『ふたりのロッテ』
・キャサリン・ストー『マリアンヌの夢』
・フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』etc.


by kurarc | 2019-06-27 19:39 | books

モモ 耳を澄ます少女

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ミヒャエル・エンデ著の『モモ』を読み始めた。1980年前後だったろうか、エンデの童話が日本で話題になったが、わたしは読んでいなかった。モモが円形闘技場に住む少女だったことを思い出して、急に読みたくなった。

モモは耳を澄ます少女、人の話、自然に耳を澄ますことが得意な少女である。エンデはこのなにげないモモの行為をまずこの童話の最初に取り上げ、星の世界にまで届くように耳を澄ますことの重要性を訴えている。

偶然にも、わたしの現在もっとも好きな女性歌手アナ・マリア・ヨペックの最新アルバムの4曲目「PATRZ I SLUCHAJ」は、「見て、耳を澄ませて」の意。彼女も砂の一粒、カラスの羽音、光、雨の雫、鹿の優しい目、吹き荒れる強い風・・・etc.について、「見て、耳を澄ませて」と歌っている。

エンデが言うように、この当たり前の行為をどれだけの人ができているのだろう。もちろん、このわたしも自信はない。今、人が見ているのはスマホばかりではないか。先日、幼なじみと蛍狩りに出かけたが、久しぶりに何かを見ることの楽しさを味わうことができた。それは、子供の頃よく見ていた昆虫の生きている姿である。

by kurarc | 2019-06-20 18:43 | books

ルッカ 円形闘技場遺構の転用

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ルッカを訪れたのは、1984年10月21日のことである。フィレンツェから日帰りでこの都市を見学した。ルッカの城壁は美しく、完全な形を保っていた。城壁上部は車が走れるほどの街路が巡らされ、ちょうど日曜日であったことから、市民たちはジョギングを楽しんでいたことが思い出される。

ルッカはあの天才建築家ブルネレッスキが、水攻めをしようとして逆に水攻めにあってしまった都市として知られている。フィレンツェ軍の一員として戦場に派遣されたブルネレッスキは、かつてセルキオ川の洪水に悩まされたルッカの都市を逆手にとって、この川の流れを変え、ルッカの廻りに大きな湖をつくり孤立させようとしたが、その計画は無残にも失敗に終わる。

このルッカの街には不思議な建造物がある。古代ローマ期につくられた円形闘技場が転用され住居になり、現在でも使用され続けているのである。これについては、黒田泰介氏の『ルッカ 1938年 古代ローマ円形闘技場遺構の再生』に詳しい。

イタリアではこうした円形闘技場が、要塞化、住居化、宗教施設化、公共施設化されたものなど、数多くの転用事例に出会うことができる。不思議なのは、円形闘技場はかつて刑場であったこともあり、不吉な場であったため、こうした建造物に住み込むようになるには、そうした穢れをどのように精神的に整理していったのか気になる。また、居住者はどのような住民、民族であったのかについても。

この書物で知ったのだが、ローマは円形闘技場としてはコロッセオが有名だが、ローマ郊外にもう一つ小規模な円形闘技場(カストレンセ円形闘技場)があるということである。この闘技場の内部は修道院の菜園となっていて、収穫された野菜や果物がこの建造物内の店舗で販売されているとのことである。

黒田氏の著書は、建築物の転用という普遍的な行為を考えながら、イタリアの建築類型学を学ぶことができる優れた書物である。

*この書物を初めて読んだのは13年前のこと。このブログで一度取り上げた。現在、13年前以上に理解力が増し、この書物の重要性を13年前以上に認識するようになった。

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by kurarc | 2019-06-18 23:23 | books

『すごいジャズには理由がある 音楽学者とジャズピアニストの対話』岡田暁生、フィリップ・ストレンジ著

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『すごいジャズには理由がある 音楽学者とジャズピアニストの対話』(岡田暁生、フィリップ・ストレンジ著、アルテスパブリッシング)を一気に読む。仕事が忙しいときほど、皮肉にも本を読みたくなる。最近、再びジャズの学習をはじめたこともあり、この書物はちょうど現在の欲求を満たしてくれる内容であったため、読み進むうちに止まらなくなってしまった。

ジャズに関する本は膨大にあるが、ジャズ評論家がウンチクを語るものか、ミュージシャンによる理論的なものに偏る傾向がある。本書はそのどちらでもなく、理論を語りながら、CDの紹介もあり、歴史もあるといったバランスのよい著書であった。

紹介されるミュージシャンは、アート・テイタムからはじまり、チャーリー・パーカー、マイルズ・デイヴィス、オーネット・コールマン、ジョン・コルトレーン、ビル・エヴァンスという章立てになっていて、その中で、それらのミュージシャンに関係するミュージシャン、理論などが並行して語られるという仕掛けである。

高校生の頃から大学の頃に聴き、それ以後聴かなくなってしまったオーネット・コールマンのジャズは、本書を読んで、再び聴きたくなったし、それぞれ個性的なジャズマンを厳選して紹介してくれているので、再びジャズに挑戦しようとするものにとってはポイントが絞りやすく、読みやすかった。

結論から言うと、ジャズは知的な音楽である、ということ。ただし、紹介されたミュージシャンたちは麻薬に溺れた者たちが多かったことは気になるが、ジャズ的な感性は魅力的であることを再認識できたことは大きかった。現代芸術に親しむようにジャズを楽しめばよいということ、つまり、ジャズは現代人の教養として不可欠であることが本書を読んで確信したことである。

「ジャズとは1分の曲を1分で作曲することである。」 ー ビル・エヴァンス

by kurarc | 2019-05-10 23:36 | books