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雑誌SD 『音楽のための空間 1989年10月号』

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久しぶりに雑誌SD(古書)を購入した。特集は『音楽のための空間』である。国内外のコンサートホールが数多く紹介されていることと、ホールの特性や楽器、例えばピアノの音の伝達方向などのコラム記事が収録されている。

ピアノの音について、郡司すみ氏(当時 国立音大教授)による興味深いコラムがあった。ピアノという楽器は、ヴァイオリンやトランペットのように携帯できる楽器ではなく、演奏音の一部が直接床に伝達されるために、建築構造内部にピアノの音が深く関わることになる、と郡司氏は指摘する。ピアノを演奏するための建築、空間は建物全体がピアノを含んだ楽器としてとらえなければならないことになる。(チェロなども同様かもしれない)

また、ピアノの特性上、ピアノは舞台のある位置に固定され、演奏されなければならない。そのことは必然的にピアノの音の方向性を注視しなければならないことにつながる。郡司氏は、ユルゲン・マイヤー氏が行ったピアノ音源の測定を紹介しているが、その測定によれば、ピアノの多様な音は、鍵盤の延長上(奏者の右側に伸びる線)を中心として左右に5度振れた狭い範囲に集中するということである。つまり、ピアノコンサートを聴く場合には、鍵盤の延長上の席で聴くのがもっともよい、ということになる。

その他、建築家の吉村順三氏や、様々な音響設計者のコラム記事が豊富に紹介されている。かつて、SDはこれほど力の入った雑誌を出版していたのか、と改めて驚かされた。音響に興味のあるものには必見の特集と言えるだろう。

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by kurarc | 2018-11-07 22:26 | books

中沢新一著『古代から来た未来人 折口信夫』

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地元の書店で空き家に関する書物を探しているときにたまたま目にし、購入した書物である。民俗学の書物を最近読んでいなかったことと、中沢新一が折口信夫についての書物を書いていることは知らなかったため購入。

ちくまプリマー新書はおよそ高校生までを対象にした新書だと思うが、その内容は大学教養課程程度のレベルだと思われた。折口の古代論、「まれびと」論から芸能論、最後には神道、宗教論まで幅広く取り上げられている。折口の入門書と言ってよい内容であった。

興味深かったのは、わたしが「古代」といって思い浮かぶ奈良時代は、中沢にとっては古代ではないということ。中沢にとって奈良時代はむしろ古代人の心の理解が希薄になりかけた時代と認識されていることである。つまり、奈良時代とは都市社会であり、極端に言えば、すでに自然と一体感を失った我々と同じような社会であったのである。

中沢は折口が古代人の特徴としてとりあげた類化性能(アナロジーを感じる能力)に長けていたことから、日本では「神」という言葉より、「タマ」と呼ばれる霊力を評価する。むしろ、「タマ」は「神」よりも原初的な「精霊」といってよいものであったということである。

後半では折口の戦争体験から神道の宗教化への思想などについて触れているが、このあたりは難解で、折口の著書の熟読が必要となりそうであるが、折口が超宗教として神道を捉え直そうとしてた?と読めたが、このあたりは門外漢のわたしにはよく理解できなかった。

それにしても、水平神としてのまれびと論など、わたしがかつて沖縄に住んでいたこともあり、あまり珍しい認識ではなかったが、柳田国男などの民俗学が主流であった日本において、まれびと論などを論じることは相当勇気のいることであったに違いない。折口の著作を少しずつでも読んで見たくなった。そして、彼の小説なども。

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by kurarc | 2018-11-04 15:16 | books

田村志津枝著 『台湾発見』 映画で読む台湾近現代史

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台湾、中国映画の影響もあり、再びアジアに注目している。特に現在は台湾に興味をもっている。それは、このブログでも書いているように、初めて行った海外が台湾(1984年6月)であったことも大きいが、その当時の台湾のことをわたしはなにも理解していなかったと気づいたからである。

田村志津絵枝著 『台湾発見』は、台湾映画で読む台湾近現代史、といった内容の書物である。わたしがこれまでにみてきた台湾映画を深く理解するためには格好のテキストとなっている。この著書は1997年に出版されていることもあり、特に20世紀までの台湾映画を理解するための優れたテキストでもある。

たとえば、わたしが初めて台湾を訪れた頃、台湾では『さよなら、再見』という映画が準備されていたことを知った。この映画は未見だが、日本人買春を扱い、痛烈に日本を批判した映画だという。現在では日本と台湾も当時以上に関係が深まり、また経済的関係も親密になったことから、こうしたテーマを扱う映画が今後つくられるとは考えづらいが、わたしはこうした歴史的事実を何も知らず、台北の街を彷徨っていたのである。

また、わたしの最も好きな映画といってよい『悲情城市』や『恋恋風塵』の映画の中で、なぜ炭鉱の労働者が言及されるのか、また、「おまじない」のようなシーンが登場するのかについて、台湾の実情とともに田村氏は解説してくれている。

映画は歴史的事実を知らなくとももちろん楽しめるが、それは楽しめるだけで理解できてはいないのだ。映画はこうした歴史を知ってもらうためだけにつくれる訳ではないと思うが、歴史を知ることにより映画を理解する深度は確実に深まると言える。映画をはじめ芸術作品とは、自分を写す鏡なのである。

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by kurarc | 2018-10-09 23:54 | books

ジミー・リャオの絵本『星空』

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台湾映画『星空』の原作である絵本、ジミー・リャオの『星空』をみたくなり、アマゾンで古本を購入。絵本を買うのは『ちいさいおうち』以来である。

簡潔な文体のなかに添えられた圧倒的色彩と独創的な構図、自然の風景と動物たち、そして、隠されたように引用されたマグリットやゴッホの模写。映画はこの原作の世界を見事に表現していた、といってよいだろう。

この物語は、男女の恋以前の出会いと別れを表現している。幼い頃のこと、かすかに記憶に残っている夢のような経験、それは誰もが子供の頃を思うとき一つや二つ思い出されるのではないだろうか。わたしであれば、父と二人で行った千葉県千倉の海岸の風景であろうか。父と二人で行った最初で最後のこの旅行はなぜか忘れられない。その思いが募ってとうとう昨年11月、およそ50年ぶりにその海岸を訪れたことは、このブログでも書いた。

ジミー・リャオは、若くして白血病になりながら、それを乗り越えて絵本作家としての活動を続けているようだ。その病気を乗り越えたせいもあるのかもしれないが、生命力あふれる色彩とフォルムには圧倒される。それだけではない。この物語は絵だけでもすばらしいのに、その中に胸を締めつけられるような物語が最小限の言葉で綴られている。

また一つ、台湾のすばらしい才能を発見してしまった。

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by kurarc | 2018-10-04 20:25 | books

絵本『動物たちは、建築家!』

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この絵本は、地元図書館で偶然目に入った。絵本『動物たちは、建築家!』の文を担当したのはダニエル・ナサル氏でチリ生まれ、バルセロナで活躍する建築家、絵はフリオ・アントニオ・ブラスコ氏でスペイン、バルセロナ生まれのイラストレータである。

14の動物たちの巣のつくりかた、材料やなぜそのようなカタチになったのかを活き活きとした絵と文で説明してくれている。

河川にダムを造ってしまうビーバーの巣の断面が描かれているが、二つの出入り口の勾配を変化させているのがわかる。一つの出入り口は枝を運びやすくなだらかな勾配に、もう一つは水の中にすばやく潜れるよう急勾配につくられる。

ミツロウでつくられたミツバチの巣は、正六角形の小部屋が並ぶ。これは最小のミツロウで最大の空間を確保するためだという。さらに、花の咲かない冬に備えて花粉や蜜を蓄える貯蔵庫としての巣なのである。

チンパンジーは毎日移動する生活を営むため、毎日樹上に枝や葉でベッドをつくるのだという。1頭のチンパンジーは生涯に19000ものベッドをつくると言われている。

この絵本をみていると、人間以外の動物たちは、人間よりも優れた建築家であることがよくわかる。動物たちはわたしの先生であった。文を書いたナサル氏もきっとそのことに気がついたのだろう。


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by kurarc | 2018-05-25 21:56 | books

細川博昭著『鳥を識る なぜ鳥は人間と似ているのか』

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都立多摩図書館でこの書物を見かけ、早速地元の図書館からとり寄せた。

まずはこの書物のタイトルに惹かれた。鳥と人間が似ている?普通だれもそのようなことは考えもしない。鳥には翼があるが人間にはないのだから。しかし、そうした相違があるにしても、この書物では、まず最初に人間の特性としてよく話題にのぼるいくつかの事柄、たとえば、道具を使う、二足歩行、文法に基づいた言語をもつ、頭脳をもつ、豊かな感情をもつ・・・といった要素すべてを鳥ももっていることを指摘する。

鳥に対する研究が近年格段に進化したのは、世界各地で発掘される恐竜の化石によることも大きいという。最近の発掘で恐竜には羽毛の痕跡がみつかり、恐竜と鳥との関連が明らかになってきたというのである。つまり、恐竜を識るには鳥を識ることが必要になってきたのだという。

こうした発見は図鑑にも現れていて、2010年代に発刊された恐竜には羽毛が描かれることが常識となっているという。現在、鳥の研究は、こうした恐竜の新たな発見との関連で大きく深化し、今、新たな鳥への認識が求められている、といえる。最近、野鳥の観察をはじめるようになったが、それは単に鳥の声やその色彩の美しさ、愛らしさからであったが、どうも鳥への関心は、動物学の中でかなり重要な位置を占めていることが理解できた。

この書物をまだすべて読んだわけではいないが、目から鱗がおちる、とはまさにこの書物の内容のようなことである。地球外生物への関心も悪くはないが、身近に暮らす鳥たちに目を向けることの大切さを改めて教えてもらった。今に、鳥たちとコミュニケーションが可能となることも夢ではない、と思わせる内容の書物である。

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by kurarc | 2018-05-20 21:22 | books

増田義郎著『コロンブス』 コロンブスの実像

増田義郎著『コロンブス』を一気に読了。1979年の著書であるが、これほど簡潔にコロンブスの本質をつかんだ書物は今まで読んだことはない。スペインやイベロ・アメリカ文化の碩学、増田先生の力量はやはり並大抵のものではない。

この著書で興味深いのは、たとえば、コロンブスの直筆で残されている言語がジェノヴァ生まれであるにもかかわらずスペイン語(それもポルトガル語に影響された)であることの謎をコロンブスの同時代の文化状況から読み解いていること。また、当時の地中海世界の中でコロンブスの活動を相対化し、ルネッサンス人としてのコロンブス像を的確にとらえていること。またコロンブスの航海の大きな動機が彼の終末観によるものであることetc.、コロンブスは特殊な人間ではなく、当時の世界像、価値観から当然現れた人物であることを見事に描き出していることである。

コロンブスはもともと、スペインから逃れたユダヤの家系の人間であることは常識となっているが、彼がスペインで活躍できたのはコンベルソ(ユダヤ教からキリスト教への改宗者)らの尽力によることが大きいということも、この著書で強調されている。

この著書を読んだものは、今までイメージとして描いていた月並みなコロンブス像を根本的に変えられるはずである。さらに、市民講座の内容をまとめたものであるだけに、日本語の文章も要点を簡潔に述べられており、大変読みやすい。

日本人によって著された最も明快なコロンブス像は、この著書が嚆矢であることは間違いないのと思われる。コロンブスに興味のあるもの必読の著書であろう。

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by kurarc | 2018-04-08 18:10 | books

座って学ぶ椅子学講座2 

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昨年、武蔵野美術大学で行われた椅子学講座の内容をまとめた「座って学ぶ椅子学講座2」が本日届いた。この講座の受講生には無料で郵送いただいたようである。

この講座は、日本人のデザイナーによる椅子に焦点をあてた講座であった。日本におけるモダンデザインの椅子の解説であり、カタログも兼ねるような編集であるが、それだけではない。椅子の保存修復は今後どうあるべきかについても特別編として付加されている。

日本の椅子を知りたいものにとって最新の文献であり、椅子のデザインに興味のあるものには必携の文献であろう。

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by kurarc | 2018-03-31 17:09 | books

再び「風景学」へ

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地元の建築家を中心として、「たてもの・まちなみ・景観を考える市民の会」の活動をはじめて3年が過ぎようとしている。先日、武蔵境の北口から玉川上水へ、そして再び、武蔵境駅まで戻ってくるおよそ3時間あまりの行程を歩いた。特別、優れた建築があるわけでもない街を歩くのだが、かといって、何もないかというとそうでもない。玉川上水には、品川上水と呼ばれた取水口の痕跡があり、三鷹の牟礼一体はその水で、田畑が耕され、作物が育てられた。また、かつて武蔵境から中島飛行機株式会社へと伸びていた鉄道跡は公園として整備されていた。軍需産業都市としての痕跡も、うっすらとその面影を残していた。

このような何気ない都市の様相を捉える方法はないか、と考えたとき、1980年代頃に「風景学」が台頭して、建築学の分野でも議論になったが、その方法をもう一度、実践的に活用できないか、ということを思いついた。わたしの手元には、中村良夫氏の数冊の本が眠ったままになっていた。2008年にはラジオ講座でも「風景からの町づくり」と題された中村氏の講座があり、そのテキストも手元にあった。

風景をキーワードにした著作は他にも、向井正也氏の『日本建築・風景論』や、内藤昌氏の『日本の町の風景学』、オギュスタン・ベルク氏の著作他がある。こうした著作が手元にありながら、その活用にはいたっていなかった。東京「郊外」の特性のないと思われる街も、よくよく観察すると「風景」、あるいは「地景」と呼んでよいものが捉えられるのではないか。曖昧な風景を記述する言語、方法、手法がほしいのである。

このあたりが今年の街歩きでの課題となる気がしてきた。まずは、中村氏の著作あたりを熟読することからか・・・

*このブログでも「地景」についてはいくつか書いてきた。その中心は「国分寺崖線」周辺の「地景」である。


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by kurarc | 2018-01-25 21:37 | books

梶井基次郎との再会

前回のブログで取り上げたドッペルゲンガーという現象を調べていると、神話の中にこの現象が数多く語られていることや、その体験を小説へ表現した作家までいることがわかる。

日本では、芥川龍之介や梶井基次郎が例にあげられている。特に、梶井の『Kの昇天 或はKの溺死』に興味を持ち、読んでみた。と同時に、梶井というと忘れられないのは『檸檬』である。わたしが中学生の頃、教科書に載っていたと思う。その時以来、梶井の小説を読んでいなかった。

梶井の小説を40年ぶりくらいに読んだことになるが、文章に含まれる色彩感覚、音楽的感性、シュルレアリスム、幻視からの発想など、改めて彼がいわゆる日本におけるモダニズム期の文化を吸収し、その鋭利な感性から生み出された小説であることに気がついた。『檸檬』のラストシーンというべき描写を久しぶりに読み、懐かしかった。丸善書店の中に積まれた色彩溢れる書籍の頂上に置かれた「時限爆弾」としての黄色い”檸檬”。それは、シュルレアリスムの感性そのものではないか。

梶井を読みながら、彼は長生きしたのなら、わたしが昨年読んだジュリアン・グラッグのような小説を書くようになったのではないかと思った。幻視と幻想の漂う文体は現在、わたしが最も興味をもつ文体である。梶井は20足らずの短編を残し、逝去したが、一日あればすべて読めるような量である。今年中にすべて読まなければ・・・

*ドッペルゲンガーを調べていて頭に浮かんだのは、わたしの好きな映画『ふたりのヴェロニカ』である。この映画もドッペルゲンガーという現象から読み解くことが可能かもしれない。キェシロフスキはもしかしたら神話や文学(ヨーロッパでは、ドストエフスキー、ハイネ、ポー、オスカー・ワイルド、E.T.A.ホフマンなどの作品)からこの映画を発想したのかもしれない。


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by kurarc | 2018-01-16 20:46 | books

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by S.K.
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