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カテゴリ:asia( 7 )

香港とケンタウロス

香港の暴動はいまだに治る気配を感じさせない。日本では考えられないことだが、香港人の自由への希求は、我々が思う自由とはかけ離れていると思わざるを得ない。それは、何気なくあるものではなく、勝ち取るものなのである。

以前、このブログで紹介したトン・カイチョンの小説『地図集』の中に、「東方の半人半馬」という章がある。ボルヘスの『幻獣辞典』を引用しながら、西洋の半人半馬ケンタウロスは、異質混淆性、つまり、二つの全く混じり合うことのない混淆性であるのに対し、中国神話にはこうした異体併合の幻獣は見当たらないというのである。

一国二制度という大義を掲げながら、すでにほころび始めている香港を見ると、このケンタウロスという幻獣は中国ではなじまない幻獣であることは歴史が示唆している、というような内容にも捉えられる。小説とは実は「小説」などではない、ということがトン・カイチョンの小説を読むとよく理解できる。

翻って日本を考えてみると、わたしはてっきり日本は混血、雑種(hybrid)が難しい国家であるように感じていたが、日本はむしろ中国や韓国他のハイブリッド国家と見たほうが素直である。実は異質混淆性に欠ける国家である。香港の暴動はそうした意味で人ごとではない。もし、日本が将来中国に併合されようとした時、日本人は香港人のような暴動を起こすことができるのだろうか?

by kurarc | 2019-08-13 22:30 | asia

ウズベキスタン ナヴォイ劇場

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黒沢清監督の最新映画『旅のおわり 世界のはじまり』をユーロスペースで観る。映画の方は多くの言及を避けるが、この映画でウズベキスタンにあるナヴォイ(ナボイ)劇場(上写真)を知ることができたのは収穫であった。

満州で捕虜になった日本人が、大半建設の終わっていた劇場の仕上げ工事を手伝い、完成させた劇場であるという。また、サマルカンドという都市がウズベキスタンにあることを改めて教えられた。

こうした中央アジアの建築について日本人が書いた建築史は見たことがないし、研究者がいるのかどうかもわからない。サマルカンドはイランのイスファハンと肩を並べる建築群に満ちている。建築史家はこうした未開拓の地域にこそ研究対象を求めるべきなのだと思う。

わたしもポルトガル建築史を少しかじったものの、実はそのポルトガル世界の広大さに気づかず、わたしには手に余るものと思い、学習することをあきらめた。ポルトガル世界とは、ポルトガル本国に限らず、ポルトガルが植民地としたアフリカ諸国やブラジルも含まれる。そうした世界の建築、都市を俯瞰して初めてポルトガル建築史を語ることができるのだが、そこまで肝をすえて行う覚悟はもてなかった。

大学で行われる建築史の授業など、実は自分で学習すればよいものばかりなのである。授業でやられるべきことは、こうした中央アジアやバルト三国やアフリカといった日本で書物にもなっていないような領域なのだと思う。

それにしても、黒沢清監督とウズベキスタンの組み合わせは新鮮であった。そして、今までに観たこともない黒沢映画を経験することができた。しかし、今までの黒沢清監督ファンにはもしかしたら受け入れられない映画となっているかもしれない。観てのお楽しみ、ということにしておこう。

*中央アジアの建築史の研究者は検索してみると少ないながら、幾人かいることがわかった。今後の成果に期待したい。

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by kurarc | 2019-06-30 00:49 | asia

祖先解析

遺伝子解析が低料金でできることを知り、挑戦してみることにした。唾液を提供して解析を行うものである。病気のリスクなど自分がどのような病気にかかりやすいかといったデータが提供されるが、それとは別に、祖先解析もあり、あくまで母系のものだが、どのようなルーツで日本に移住したのかの概略を教えてくれる。

アフリカから発生したと言われる人類は、まず東へ進み、その後さらに東へと進むものと東西に分かれて進むものの二つに分類されるらしい。わたしの祖先はおよそ3万年前にユーラシア大陸を海岸伝いに移動、東アジアへと拡散し定着したものと、ベーリング海峡を渡り、アメリカへ移動したグループと解析された。「残念ながら」日本人に最も多いタイプであるという。

これはあくまで母系のものであるから、父親の方はどのような祖先かはわからない。先日、沖縄から帰ったばかりだが、考えてみれば、わたしは大学卒業後、沖縄へと向かい、その後、ポルトガルに住む経験をしたが、これは、半ば祖先たちが移動してきた道のりを逆行していくような移動である。もちろん、現在の日本は、西洋化という時代の終着点にいる民族であることから、西へと向かうことは当然の移動なのだが、わたしの場合、沖縄を経由して、その後西へと移動したことは、偶然とは思えないのである。

わたしの祖先の中には沖縄を経由して、日本に漂着したものもいたのではないか?などと想像をふくらませてみたくなる。こうした祖先解析はまだ大まかな解析しかできないようだが、わたしのグループもいくつかに分類されている。それらがさらに精緻に解析できるようになるにはまだかなり時間がかかりそうである。

by kurarc | 2019-06-04 20:40 | asia

ヤオ・スーロン 「情人的眼涙」

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映画『言えない秘密』の中で、重要な歌声を聴かせてくれているのは台湾出身のヤオ・スーロンである。彼女が歌うのが「情人的眼涙」。英語では「Lover's Tears 」と訳されている。愛しい人と別れるときの涙を歌ったもの。サンディー・ラムのレパートリーにもなっているが、こちらは、ポップスとして歌っている。

日本ではテレサ・テンが有名だが、そのテレサと肩をを並べるほどの歌手のようで、わたしはまったく知らなかった。アジア人を代表するような女性の歌声は、悲しい歌であるにもかかわらず、どこか明るい。最近、この明るさがアジアらしさのような気がしている。映画の中では、シャンルンとシャオユーが偶然にもこの曲を好きだと言うこと知り、愛情が深まる。

こうした歌を映画に挿入することは、香港映画の影響であるなど言われているが、この曲の挿入は、この映画になくてはならない断片となっている。そして、映画の主題とも絡んでいて、彼女の優しい歌声が映画を柔らかく包んでもくれている。

相変わらずこの映画のサントラをよく聴くが、彼女の歌声で心がホッと落ち着く。これはアジア人女性の声の魅力であり、わたしが正真正銘のアジア人であるからであろう。

by kurarc | 2019-01-13 14:47 | asia

台湾からアジアへ

台湾映画にすっかり魅了されてしまった。文化を知る上においても、また娯楽の面においても優れた映画が数多い。相変わらず、一日に数回は『不能説的・秘密』のサウンドトラックを聴き続けている。誰もがつくれそうなシンプルなメロディが多いが、通俗的な音楽になってしまいそうなメロディーとは一線を画して、ジェイ・チョウがつくる音楽には癒やされる。

あっという間に台湾に関する書物も増えて、10冊に届きそうになってきた。わたしの世代ではなつかしいテレサ・テンは、先日観た『軍中楽園』などにも名前が出てきたが、金門島へ慰問に訪れていたという事実も気になり始めた。台湾人は日本のなかに根付いているが、その過去、生い立ちなど想像したこともなかった。

日本の過去を消し去ろうとする韓国とは異なり、台湾では日本の過去を消し去ろうとすることをしないことにも複雑な政治的背景があることが少しづつ見えてきた。映画『藍色夏恋』では、好きな男の子の名をボールペンでひたすら書くシーンが登場するが、ふられた途端、その名前を木村拓哉に変える、というシーンがある。これは日本人や日本好きな台湾人しかわからないシーンであるが、こうした細部に日本が現れるのが今の台湾文化なのだろうか?

台湾を知ることは大きくアジアを知るための手がかりとなりそうである。そして、台湾はわたしのようなアジア初心者には近づきやすい地域であり文化である。今年は台湾イヤーとなりそうである。正月に久しぶり(34年ぶりとなる)に台湾旅行ができたらと思うが・・・

by kurarc | 2018-10-19 00:22 | asia

熱波 インド

「熱い」夏が一段落した。次は暑い夏がまだ続く。40度を超える猛暑を久しぶりに体験し、かつてインドで体験した猛暑が頭の中によみがえってきた。

33年も前のことになる。1985年の4月、インドの夏に相当する季節に、1ヶ月ほどインドを旅した。暑さと人混みによる暑さで初めてのインドの旅は疲れ果ててしまった。列車を予約しても、自分の座席に行くと、必ず座っているインド人がいた。その人をどかすことから旅は始めなければならない。バスの旅が大半だったが、クッションのほとんど効いていないバスに長時間乗ることは苦痛であった。深夜バスに乗り、バスターミナルで仮眠をとって、また旅が続く。その繰り返しであった。

ニュー・デリーの宿でのことである。わたしが泊まった宿には日本人が3、4人いて、彼らと久しぶりに日本語を使って話した。インドの夏は想像以上に暑かったが、湿気がないことと夜になると気温が冷えてきて、なんとか過ごせるのだが、部屋の中は熱気がたまって眠ることができない。そういうときに、毛布を一枚、屋上に持って行って、星を見ながら眠るのである。

同じ宿に泊まる日本人らと屋上に集まり、星を眺め、旅の話に花を咲かせながら、一夜が過ぎていく。わたしは沖縄から来た、と話すと彼らは目を輝かせてくれた。インドを旅する日本人は変わり者が多かったが、今から思うと変わっているどころか、最もまともな日本人たちであった。その宿で一緒だった日本人たちは今どこで何をしているのか、わたしにはまったくわからないが、きっとそれぞれ個性的な仕事について、一生懸命に働いているに違いない。

by kurarc | 2018-07-28 00:57 | asia

今年はアジアを知る年に

先日、久しぶりに台湾映画をみて、アジア地域に対する興味が沸き立ってきた。わたしが初めて訪れた海外は台湾である。トランジットとしてであったが、台北に一泊して、その後、タイのバンコックへ向かった。

台北のホテルの一室で一夜を過ごしただけだが(11ヶ月後にまた台北に戻ってきた)、特に印象深い記憶は、ホテルからバスで空港に向かうときに、道端に一面夾竹桃の花が咲いていたことである。夾竹桃は、実家の隣の庭に植えてあり、いつも夏場になるとその花を楽しんでいたこともあるが、その後、ローマについたとき、ローマは夾竹桃で満開であった。ローマの花でもあった夾竹桃に再会して、出発点の台北を思い出すことになった。

アジアはもちろん嫌いな地域ではないが、以前いくつかの国を旅したときに少し抵抗を感じたことはある。アジアの中で経済大国になった日本人に対して、アジアの人々は対等につきあってくれないのである。気後れしているような感情をもっているのだろうか。そのことが、わたしをアジアから遠ざけたのだが、それはわたしの勝手な偏見でもあったと思う。

本当はアジアを知ることは日本を逆照射することになる、そのことが煩わしかったのである。映画『悲情城市』を久しぶりにみて、やはり、それではいけないと思うようになった。脳の中の風通しをよくするためにも、アジア世界への感性を今年は開いていく年にしたいと思う。もちろん、アジアだけでなく、ヨーロッパ、アフリカ、中南米世界にも。

*カテゴリに「asia」を追加した。
by kurarc | 2015-02-02 22:05 | asia