カテゴリ:建築活動記録( 214 )

「相続から考える持ち家の活かし方」セミナー+相談会 終了

本日、東京都行政書士会、三鷹市、三鷹市空き家等対策協定団体、東京都行政書士会武鷹支部共催による上記イベントに参加、無事終了した。

セミナーの中では、定期借家、リバースモーゲージローン、居住用財産3000万円控除ほかについて、我々の団体、東京建築士会多摩ブロック南部支部からは、空き家をどのように活用するのかの様々なケースについて会員の植本俊介氏より発表が行われた。

後半、相談会ではお一人であったが、空き家の相談業務に対応した。空き家をお持ちの方々はそれぞれの事情があり、複雑であるが、その中から最適解を導き出さなくてはならない。我々はそのような難問を建築のデザイン、プランニングなどから一つ一つ丁寧に解いていくしかない。

こうしたセミナー+相談会は三鷹市として初めての試みであった。多くの人数は集まらなかったが、それぞれ異なる分野の士業団体の講演を聞くことができ、非常に有意義なセミナーであった。

今後もできるだけ、他の士業の方々との連携を深められればと思っている。

by kurarc | 2020-02-09 16:24 | 建築活動記録

イベント参加 『相続から考える持ち家の活かし方』

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東京建築士会多摩ブロック南部支部が三鷹市と空き家に関する協定を締結して初めてとなるイベントが行われる。そのイベントに相談者として参加することになった。

空き家問題は、地方都市ではかなり深刻なようで、空き家問題はむしろ地方の活動に学ぶことが多いが、三鷹市においても空き家はもちろん存在し、その相続、利活用などに苦労されている方も多いはずである。

そうした方々にすこしでもお役に立てればと思う。三鷹市民であればどなたでも参加できるので、興味のある方々は是非、ご来場いただきたい。

by kurarc | 2020-01-28 15:46 | 建築活動記録

迎賓館見学

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迎賓館を見学した。多分、20年ぶりくらいだろうか。市ヶ谷から新宿までの散策していたが、見学者が目に入り、見学することに。

設計者は片山東熊。わたしのような世代にはもはや歴史的人物であり、リアリティーが持てない。建築自体はよく設計され、内部の装飾も優れている。わたしは「彩鸞の間(さいらんのま)」という、明治天皇が大正天皇のためにつくった部屋が最も興味深かった。ここは、昭和大修理のとき、建築家の村野藤吾さんが、天井の青い色彩を白く変えてしまったという。このあたり、今でも論議があるようだが、オリジナルの青に復元する方がよいのではと思う。

装飾は、様式建築(ネオ・バロック)の中に、アンピール様式を取り入れた部屋、いわば、ナポレオンの神話を取り込んだ部分に日本的モチーフが組み込まれていたりと非常に手が込んでいる。こうした装飾を引き立たせることもあると思うが、廊下部分は基本的に白一色に塗りつぶされている。この建築や装飾には詳しくはないので、また別の機会に触れたいが、もう一つ興味深いのは、この建築がカーネギー社の鉄骨をふんだんに使用されているということ。そうした部分は、隠れて見ることができない。我々のような建築を専門とするものは、そうしたところを見学したいのだが。

さらに、もう一つ気になったのは、前庭の松の植え方である。グリッド状に配列されているように見えながら、微妙にズラされ、ランダムに配列されているように見える。しかし、何か法則性がありそうである。この松の配置を決めたのは誰なのか気になる。そして、こうした植え方は日本的でないと思われるが、そこがよかった。

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by kurarc | 2020-01-04 18:28 | 建築活動記録

大仕事

かつてない規模の実施設計がもうすぐ収束を迎える。本来ならば2名でやるべきではあったが、わたし一人でやり通した。

近隣説明+中高層審査から景観審査、福祉のまちづくり条例、省エネルギー検討など規模が大きくなると、実施設計図面を描くだけでなく、役所仕事が3倍、4倍に膨れ上がる。何度役所に通いつめたであろうか。

近隣の方々は良心的な方々ばかりであったので、非常に幸運であった。今回は周辺が住宅地であるので、この中で新築工事を行うことは神経を使う。改めて、建築を設計するという仕事の難しさを思い知らされる。

苦労する仕事の時には以前にも書いたように、ブルネッレスキという建築家の生き様を思い出す。現在、ガウディーに関する本を読んでいるが、彼も苦労人である。彼は31歳という若さであのサグラダ・ファミリア教会の仕事を得る。この仕事は、聖ヨセフ信仰教会という狂信的な超保守集団の仕事であった。この仕事を引き受けたのは相当の覚悟が必要だったはずである。

建築以外の仕事をしたことがないので、わたしは他の分野の方々がどのような苦労をしているのかわからない。それぞれの分野、それぞれの立場で様々な苦労があることだろう。それを一つづつ乗り越えた先に、今までに経験したことのないような素晴らしい仕事に巡り会えるかもしれない。それを期待しながらやり続けるしかない。

by kurarc | 2019-08-28 00:19 | 建築活動記録

建築短編小説

仕事の合間に短編小説を書いている。すでに8編の短編を書いたが、出来の方はテーマによってバラバラである。まあまあと思えるものもあれば、稚拙だと思われるものもある。初めて書いたのだから仕方がないが、ちょっとした時間のアキに小説を書くことは意外と性に合っている。

今日は、書き始めて途中で投げ出していたルネッサンス期の建築家ブルネッレスキに関する短編を仕上げた。一応建築短編小説のようなものになったが、彼が建設に携わったフィレンツェの花のドームが竣工した時、彼はどのように思ったのか、そして、引き続き仕事をするつもりだったランタン(頂塔)の仕事が上手くいかなかったことに、彼はどのように憤慨したのか、そのあたりを短編にしてみたのである。

ロス・キングの評伝によりすっかりブルネッレスキという建築家を尊敬、敬愛するようになったのだが、それだけではない。建築家の運命のようなものを彼に見出したのである。様々なライバルとの闘いや騙し合い、そして誹謗中傷との闘い、役人との確執、同業者の裏切り、仕事での大失敗など建築という仕事に携わるとき遭遇する様々な困難を彼は体験している。そうした困難との闘いを乗り越えていったことに興味をもった。

創造はそうした困難の中での閃光のようなもので、困難に会えば会うほど、その光は強度を増していくのである。彼がフィレンツェの中心に位置するあのドームを遠くから眺めたとき、一体どのような感慨を持ったのか?それは非常に興味深いし、できれば本当のことが知りたいくらいだが、それは望めない。

だから、わたしは短編小説にして、彼の心情を表現しようと思ったのである。

by kurarc | 2019-08-11 21:28 | 建築活動記録

YKK80ビル

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秋葉原に出たついでに、YKK東京本社であるYKK80ビルに立ち寄った。ここは3年ほど前、現場をお手伝いさせていただいた。内部までは見学できないが、エントランスホールまでは自由に入ることができ、その精度の高い建築を見学できる。こうした建築は、一人の力ではまったく太刀打ちできない。建築、構造、設備設計のコラボレーションによる総合的なデザインの成果である。このビルの大きな特徴は、天井輻射冷暖房で、天井に冷水や温水が流れ、内部の空調をコントロールしている。(実は住宅でもこうした設備設計は可能である。普通はデザイン性ばかりの容貌が多いが、今後は設備に最もコストを費やすデザインの選択肢を想定しておく必要がある。)

1階に一般でも自由に入れるカフェがあり、この近辺では穴場になっている。料金も手頃、静かで、取りそろえてあるパンやクッキーの類いも選定が行き届いている。わたしはカフェオレとココユタのビスコッティ(抹茶)をいただく。

ココユタは川崎、百合ヶ丘のビスコッティ店らしい。これほどおいしいビスコッティを食べたのは初めてかもしれない。原料名のなかにベーキングパウダー(アルミニウム不使用)とあり、驚く。ベーキングパウダーの中にアルミニウムがはいっているものがあるようだ。

by kurarc | 2019-07-08 22:56 | 建築活動記録

コンバージョン 形態と機能の切断 都市の建築

建築の保存・活用やそれに伴うコンバージョン(機能転換)などをここ10年以上に渡り注視してきた。たとえば、コンバージョンは現在では常識的な建築活用法になった。

東京中央郵便局はその機能を一部残しながら、百貨店のような機能、スペースに転換された。また、篠原一男設計の『直方体の森』と名付けられた住宅は、現在、大半を美術館として使用されている。こうした事例はあげれば切りがないほどである。当初、建築家たちはクライアントのために一生懸命に特殊解としての建築を設計し、つくりあげる。しかし、その建築も時間の経過とともに、建築家がまったく予想もしていなかった機能に転換、変換されてしまう。

このような現象を最近、もう少し精緻に考えてみようと思っている。こうした形態と機能の切断について、設計当初、どのように想定していればよいのだろうかとか、コンバージョンを考えたときに、はたして建築の形態(デザイン)とはどのような意味をもつのか、機能転換を前提とした建築デザインとはetc.・・・などについてである。

建築が長生きをするとき、建築はまったく別人格になってしまうことがある、ということなのである。建築家はそんなことを考えても仕方がない、という意見もあるだろう。また、それは建築家の知ったことではない、と言う方もいるかもしれない。建築家たちはたとえば70歳、あるいは75歳以上生き、活動する場合、自分の過去の仕事が、予想だにしなかった機能に転換される場に立ち会うことが予想される。そうしたとき、建築家たちはどのように感じるのだろう。

建築の機能転換は、建築が新たな価値を付加され、生まれ変わることを望まれたのだから、そのような建築はある意味で優れた建築だといえる。わたしはそうした建築をアルド・ロッシの著作の名を借りて、ひとまず「都市の建築」と呼んでおきたいと思う。「都市の建築」は、都市の一員として再認識され、都市の中にしっかりと根付いていく建築であり、その後、都市の中に埋もれて、その存在をことさら主張することもなく、生き延びていく建築である。

by kurarc | 2019-06-15 23:38 | 建築活動記録

「プラナビ」から取材を受けました

「プラナビ」という建築家の紹介サイトから本日取材を受けました。

建築家の紹介だけでなく、建築家お薦めの商品、技術(匠)の紹介など建築家と住宅を建設したいと思う方々に役立つような情報のサイトです。まだサイトを立ち上げて1年も経過していないこともあり、今後、さらに充実したサイトにしていきたい、とのこと。

わたしはまだ仕事など情報を入力できていませんが、今週中にも入力を完了させたいと思っています。

プラナビ URL https://www.pla-navi.com


by kurarc | 2019-03-04 23:54 | 建築活動記録

上越市高田 雁木という「都市の建築」 瞽女の風景



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上越市高田を訪れた。修士論文で取り上げたブルーノ・タウトが、日本に滞在中、冬にわざわざ秋田の横手を訪れ「かまくら」を見学に行ったことを彼の日記で知った。戦前、交通も不便であったであろう時期に真冬の秋田を訪れたタウトの心意気に感心した。建築を見に行くにはどうしてもこの時期に行かなくてはならないということもある。

高田に存在する雁木を見学するのは冬の雪の降る時期でなくてはならないとずっと思っていた。この時期でしかないと思い、この連休中に出かけることにした。それだけではもちろんない。幸運にも、興味を持っていた瞽女門付け風景の再現イベントもあり、かつ、高田には以前から行きたかった最古級の映画館、高田世界館まであるからである。

まずは雁木の街並みを歩いて、高田小町(イベント会場、町家を保存活用した建築物)へ向かう。北国の雪は東京で経験するぼた雪とは異なり、軽く舞い上がって降いていて美しい。雪の降る美しさ、雪国の風景の美しさを久しぶりに経験した。午後13時20分からいよいよ瞽女のイベントがはじまった。先頭で三味線を弾き、瞽女唄を歌うのは月岡祐紀子さんという東京生まれの三味線奏者の方である。雪の降る中、瞽女がめぐったようにいくつかの商家をめぐりながら瞽女唄を披露していく。彼女たちはもちろん盲女ではないが、瞽女の体験をトレースすることで、瞽女の記憶を蘇らせ、再現保存していることになる。

短い時間であったが、高田の旅は密度の濃いものであった。書くことが山ほどありすぎるので、また日を改めてふれることにしたいが、雁木というイタリアのボローニャに存在するような都市の装置(イタリアではポルティコと呼ばれる。ボローニャは、雪よけという機能、装置ではない。)が豪雪を凌ぐ工夫としてこの日本でも存在することに感心するとともに、それが「都市の建築」として個々の建築の連続としてつくり続けられていることに驚きを隠せない。

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*「都市の建築」と括弧書きしているのは、イタリアの建築家、アルド・ロッシの著書『都市の建築』を類推させるためである。ロッシの言う「都市的創成物」としての建築を高田の雁木にみたからである。



by kurarc | 2019-02-11 21:06 | 建築活動記録

パサージュからリベタージュへ

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パリのパサージュを初めて見学したのは1984年のことになる。当時15程のパサージュをめぐった。18世紀後半から19世紀の空間を残すパサージュは1984年当時は忘却された空間であった。人通りも少なく、汚ならしさが目立った。1990年代になり、ベンヤミンのパサージュ論の影響もあり、パリでパサージュの再評価が広がり、1995年に再度パリを訪れたときには随分と様変わりしていた。人通りも多く、整備されていた。

日本にもパサージュとは言えないまでも、鉄骨造の構築物が残存している。日本において主に20世紀に建設された構築物である。それらは、リベット接合で建設され、機能的な表現だけでなく、装飾的で、手工技術が感じられる。これらをわたしは総称して「リベタージュ(rivetage)」と名付けた。それらは、かつてのパリのパサージュのように、現在でも忘却された技術であり、空間である。

「リベタージュ」は、橋桁、あるいは駅舎の中に残り、ガード下の空間をかたちづくったりしている。普通の人は意識することはないこれらの技術空間を解体される前に撮影しておきたいと思っている。

こうした活動を「リベタージュ・プロジェクト」と勝手に名付けたが、今後どのような広がりが待ち受けているのか、自分でもわからない。見捨てられたもの、忘却された空間、それらを残しておきたい。ただそれだけのことであある。

*写真:神田駅ガード下(リベタージュ事例)






by kurarc | 2019-02-09 20:37 | 建築活動記録