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by S.K.

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オペラ『椿姫』と西湘フィルハーモニー管弦楽団コンサート

b0074416_031137.jpgこの週末は、トランペットの先生が関わったオペラとコンサートを楽しんだ。


オペラは、相模原シティオペラでプログラムは『椿姫』。『椿姫』はアリア「Addio del passato」(さようなら過ぎ去った日よ)の曲しか知らなかった。実はオペラは、イタリアのベローナで『アイーダ』を、ロンドンで『オペラ座の怪人』を鑑賞しただけであり、日本人によるオペラは初めてのこと。今回は原語上演であるが、字幕付き(日本では当たり前か)であったため、そのストーリー、構造がよく理解できた。『椿姫』は男と女、父と息子、パリ(都会)とプロヴァンス(地方)、生と死、過去と未来など対立するものをストーリーとして組み立てていくことで、飽きのこない普遍的な物語に仕上がっている。


もう一つは、西湘フィルハーモニー管弦楽団のコンサート。今回は創立記念演奏会である。第1部ではバッハからはじまり、ホルン5台による演奏や4本のフルートによる演奏等、楽器に興味をもたせるようなプログラムがよかった。第2部ではシューマンのピアノ協奏曲イ短調第1楽章、ビゼーのカルメン、チャイコフスキー「くるみ割り人形」(左写真はくるみ割り人形の実物)からのプログラム等々。



アマチュアのオーケストラはもしかしたら初めて聴くが、安い入場料で一般市民に音楽を親しんでもらうというコンセプトは成功しているように思った。こうしたアマチュアオーケストラが数多く街の中で活動し、市民を巻き込んで成長していけば、西洋音楽のレベルは確実に向上していくことだろう。

問題は、こうした文化的活動をどのように維持していくのか、つまり、ソフトと財政の問題だろう。神奈川を拠点とする大手企業などが財団をつくり、文化的活動に補助金を与えるなどのバックアップを積極的に行ってほしいものだ。


*西湘フィルハーモニー管弦楽団のコンサートを行った秦野市文化会館は初めて訪れたが、レンガタイル打ち込み構法(レンガタイルを型枠としてコンクリートを流し込む構法)の外壁で、落ち着いたホールであった。駅から遠いのが難点。やはり神奈川は車での移動が前提になって街がつくられている。
最寄り駅の渋沢駅は高校時代以来のこと。高校時代、山登りのトレーニングを丹沢でしていたこともあり、懐かしかった。初めての沢登りは塔ノ岳に続く本谷であった。20メートルの滝登りが最後に待ち受けている沢である。
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by kurarc | 2011-07-31 20:40 | music

ポルトガル映画祭始まる

前回のブログに続き、ポルトガルについて。アテネ・フランセ文化センターで今日からポルトガル映画祭が始まった。

ペドロ・コスタ監督の『骨』以外は観たことがないのもばかり。オリヴェイラ監督のものも気になるが、テレーザ・ヴィラヴェルデ監督のものなど最近の若手のものも観たい。この映画祭は私にとっての夏休みとなりそうである。

詳しくはこちらまで。
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by kurarc | 2011-07-29 19:43 | cinema

『ポルトガルを知るための55章』 初校ゲラ到着

『ポルトガルを知るための55章』の初校ゲラが今晩到着した。『ポルトガルを知るための50章』の改訂版として第2版が今年の10月出版される予定となった。

ちょうど10年前、私が40歳のときに書いた原稿が、10年ぶりによみがえる。内容はほとんどいじっていない。人名の発音表記などを修正しただけである。

文章は歳をとったからといってよい文章が書けるとは限らない。およそ11年前、ポルトガルから帰国したばかりの興奮が覚めないうちに書かれた文章だけあり、自分で言うのもなんだが、緊張感があり、誠実な文章になっていると思う。今この文章を書こうとしても絶対に書けないだろう。日本語で読める資料はほとんどなかったこともあり、文章を書くのに苦労した。日本で初めて取り上げられたことがかなりあると思うが、あまり気づいてくれる人はいない。

また、文章の中に盛り込んだ建築や都市は、すべて自分の足を使って見学していることも大きい。ロンドンの図書館に行き、ポルトガル、スペイン、イタリアを歩き、あるときは、はるかブラジルのオウロ・プレートまで足をのばした。すべて実感に基づいて文章を書いている。それだけにポルトガルでの生活すべてを注ぎ込んで書かれた文章と言える。(本の中のバターリャ修道院とポウザーダ・サンタ・マリア・ドゥ・ボウロの写真は私が撮影したもの。ニコンのシフトレンズを使用。リバーサルフィルムで撮影。)

1755年に起きたリスボン大震災についても私の章で取りあげたが、この震災と同じ規模の震災を体験するとは10年前に思いもしなかった。ポルトガルは歴史を先取りする国であるのだが、実は日本より250年以上先を進んでいる国という見方もできるかもしれない。

あと10年したら、今度は私より若い研究者がまた新しいことを盛り込んで文章を書き直してくれればと思う。それまで持ちこたえることができればよいのだが。


*校正はすでに終わった。あまり間違いはないつもりでいたが、思いがけないところでのイージーミスに気がついた。自分の書いた文章は相対化することが難しいので、自分で校正するということは他人にでもなったつもりで行わなければならない。(2011/07/28)
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by kurarc | 2011-07-27 20:43 | archi-works

梅酵素ジュースと梅ジャム

Facebookの友達Hさんが梅酵素ジュースをつくったという話を聞き、早速私も挑戦してみた。たまたま購入した低農薬の紀州の梅にも、梅(酵素)ジュースのレシピが同封されていた。

梅酵素ジュースは様々な作り方がインターネット上でとり上がられているが、ポイントは自分の手でかき混ぜるということ。手についている常在菌を活用してジュースをつくる。梅を買ったときについてきたジュースのつくりかたには、手で混ぜることは書いていなかった。しかし、梅をまる1日以上冷凍庫で凍らせることが記されていたので、それは参考にしてつくってみた。

作り方は簡単で、凍らせた梅(1Kg)、氷砂糖(1.1Kg)、を交互に梅酒をつける瓶にでもつめていく。これを1日1回かき混ぜ、発酵が進み、一週間もすると出来上がりである。私は手で混ぜることも行ってみた。できたジュースは漉して冷蔵庫に保管。手作りの梅シロップといった感じで、10倍くらいに薄めて飲んでいる。

残った梅は、そのまま余ったジュースと共に煮詰めて梅ジャムにした。これも今までにないおいしさに仕上がった。通常の梅を砕いて煮詰めたものより濃厚。毎朝のパンに欠かせない。

暑い夏もこれで乗り切れそうである。
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by kurarc | 2011-07-26 00:20 | gastronomy

ポルトガルの石畳 calçada カルサーダ

現在計画中の住宅の駐車場床にポルトガルの大理石を使いたいというお施主様からのご要望で、早速見本を取り寄せてみた。(下写真)

お施主様がインターネットで調べてくださり、輸入している業者の情報をいただいた。神奈川県相模原の有限会社小山造園というところで取り扱っていた。

ポルトガルでは、こうしたピンコロ石を歩道や広場に敷きつめる。ローマ時代の影響であるが、ポルトガル本国でもリスボンがこの伝統をよく保持している。主に白と黒の大理石で模様をつくりながら敷いていく。目地をモルタルで固めるようなことはせず、通常は砂目地。つまり、敷いて大きな木槌でたたいて仕上げるだけなので、すぐにはがすことができる。

こうした白と黒の大理石の道(小径)、石畳をポルトガル語で「calçada カルサーダ」という。ポルトガルに住み始めた頃、カルサーダの歩道はデコボコで歩きづらく嫌だったのだが、1年も住むと、デコボコの癖のある歩道でないと逆に嫌になるほどになった。歩いているという感覚が研ぎすまされて、小径を歩くごとに、自分の身体が刻み込まれていくような感覚になってくるのである。それにともない、歩いた記憶が小径に浸透してくる頃には、この小径は忘れられないものになってくる。
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by kurarc | 2011-07-24 17:55 | archi-works

玉川上水が危ない!!

今日、Facebookで東京の玉川上水(久我山付近)に放射5号線という道路の事業計画があることを知った。久我山駅南、玉川上水のおよそ1.3キロを道路が横断するという計画のようだ。

私が親しんだ玉川上水はもっと吉祥寺寄り(実家からは歩いて5分程だった)。あの太宰治が入水自殺(心中と言われる)したあたりである。鎌倉に移ってからも、たまに吉祥寺に行くとこの玉川上水沿いの小径を歩きに行く。この小径は、落ち葉の堆積厚が深く、柔らかい小径であり、歩いていて心地よい。この柔らかさを感じると、子供時代の感覚を思い出すことができる私にとって大切な小径である。「東京」というと、いろいろなイメージをもつと思われるが、私にとっての「東京」とは、玉川上水周辺の自然といってよい。

玉川上水・すぎなみの会という組織があり、多分私のように長年玉川上水に親しんできた近隣住民によって、この計画道路の見直しを求める活動が継続的に行われているようだ。このHPを見ていただくとわかるが、玉川上水の自然環境は豊かで、絶滅危惧種が数多く発見されている。

鎌倉でも何十年も前に史跡を横断するように計画された道路(計画道路)が、幽霊のように存続しているようだが、こうした無意味な開発は、少しでも早く中止として、別の有意義な計画(今なら復興)にまわしてもらいたいものだ。
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by kurarc | 2011-07-22 00:30 | nature

初めての北海道旅行 毛綱先生の想い出

先日久しぶりに北海道へ行ったこともあり、初めて北海道旅行をしたときの記憶が甦ってきた。

初めての北海道旅行は、大学院時代であった。当時、大学院の先生に建築家 毛綱毅曠(もずなきこう)さんがいらして、「授業などよいから、うちの事務所で働け」と、1ヶ月程アルバイトをさせていただいた。仕事は東京国際フォーラムのコンペの手伝いであった。アニメをプレゼンテーションの手法に取り入れた独創的な案であったと思う。そのアルバイトで稼いだお金で北海道を旅行したのが初めてであった。今から約20年前のことである。

函館、室蘭、札幌、釧路、旭川、小樽等をレンタカーで約10日間かけてまわったと思う。私の父は室蘭生まれ(東京育ち)なので、そのとき初めて父親の生まれた街を訪れた。特に記憶に残るのは車からの風景だろうか。直線の多い北海道ののびやかな道と本州では体験できない幻想的な自然の風景は忘れられない。摩周湖にも立ち寄ったが、ここには本当に「神が住んでいる」と感じた。

もちろん、毛綱先生の建築を釧路で数多く見学してきた。毛綱先生は、釧路の出身なので、優れた仕事は釧路で数多い。しかし、その先生も若くしてお亡くなりになった。お子さんは建築家の道を歩まれていると聞いた。

毛綱先生の事務所へ初めて行ったときのこと、所員には女性が多かったこともあり、「この中から誰か嫁にもらってくれんかのう」と一言。
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by kurarc | 2011-07-19 19:33 | saudade-memoria

建築の持続 札幌時計台

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昨日、札幌を日帰りした。(木造耐火建築物講習会受講のため)帰りは飛行機の出発が遅れ、もう少しで終電に間に合わないところであった。

札幌での講習会会場の近くに時計台(上写真)があったため、5年ぶりに訪れた。いつもこの建築の存在感には感心する。存在感といっても大袈裟なものではない。清潔感のある静かな佇まい、と言えるものである。

この時計台の歴史年表をみると、不思議なことに演武場として計画された後、様々な用途に使われ維持されてきたことがわかる。図書館、郵便局、事務所、集会場等々。1967年に大掛かりな復原工事が施されて、1970年に重要文化財に指定されている。

こうした建築が持続的に使用されることは、どのような意味があるのだろうか。それは、この建築のもつ何とも言えない魅力にあることはいうまでもないが、機能的にはこの建築が2階に適度な大きさのホールをもつことが重要と思われる。小さな部屋ばかりの建築であれば、用途は限られてしまうが、ホールのような大空間はフレキシブルに対応できるからである。

建築がこのように用途に左右されないで、様々な使い方を許容するようになるころには、市民の記憶にこの建築が刻み込まれて(建築の都市化、都市としての建築)、時計台はもはや札幌を象徴するまでの建築に成長した。建築が都市の中で持続していく理想的な姿といってよい。

*この時計台の裏に「北地蔵」という古風な珈琲店があり、ここで珈琲をいただく。店内の奥行きが深く、落ち着く。よい街には必ずよい珈琲店がある。
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by kurarc | 2011-07-16 14:56 | conservation design

ルッカ

昨日、「世界ふれあい街歩き」というNHKの番組でイタリア、トスカーナの街ルッカが取り上げられた。

ルッカは最初の海外旅行のとき立ち寄った。この街の城壁は私が世界で見たものの中では一番美しく、印象深い。番組では100の教会のある街と住民が紹介していたが、ルッカはトスカーナで最初にキリスト教に帰依した街として知られている。アイルランド人修道士フレディアーノが増水したセルキオ川の流れを変えて街を救い、人々を改宗させた、という。

街を水害から救ってきた城壁が、現在は街の憩いの場として活用されている情景が映し出されていた。私が訪ねたときも、この城壁の上に築かれた道をジョギングするイタリア人を数多く見かけた。

建築家ブルネレスキはルッカとの戦争で、このルッカの弱点である水を利用し、水攻めを計画したが、失敗に終わった。攻めたはずのフィレンツェ軍までが水浸しになってしまったのである。

ブルネレスキらはこの敗戦の責任をとらなければならなかったのだが、スケープゴードとして思いもかけないものまでもが責任をとらされるはめになった。それはフィレンツェ軍の男色であった。敗戦のもう一つの理由は男色にある、と見なされたのである。(以上、『天才建築家 ブルネレスキ』より)

歴史は本当に奥が深い。
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by kurarc | 2011-07-14 20:51 | saudade-memoria

15日は日帰りで札幌へ

今週15日は日帰りで札幌へ行くことになった。札幌は5年ぶりのこと。

木造軸組工法による耐火建築物設計マニュアル講習会に参加するためで、年に数回しか開催されず、現在進めている住宅でこの講習会受講が必要になり、この時期講習会会場が札幌であったため、急遽札幌へ飛ぶこととなった。

日帰りで行くのは初めてのこと。朝羽田6時55分発、帰りは札幌千歳空港21時5分発。札幌まで日帰りで行けることは、考えると不思議なことだ。初めて沖縄に行ったのは船で丸2日50時間。こういうのんびりした行き方も楽しかったが、今回は時間優先。
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by kurarc | 2011-07-11 23:43 | archi-works


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