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名曲喫茶 荻窪ミニヨン

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荻窪駅南口から歩いて3分程の場所に、名曲喫茶ミニヨンがある。杉並区立中央図書館へ行く途中の横断歩道を渡る角のビルの2階にあり、いつも気になっていた。

今日は図書館の帰りに初めて立ち寄ってみた。名曲喫茶のような昔ながらの昭和の雰囲気を感じさせる喫茶店が最近めっきり減ってきた。私はジャズ喫茶にくらべ、名曲喫茶に頻繁に通ったことはないが、渋谷のライオンは、その建築をみることも兼ねてたまに出かける。

ミニヨンは30席程度の落ち着いた佇まいの喫茶店であった。わたしと創業は同じ歳。コーヒーの料金は450円。スターバックスなどのコーヒーショップが全盛期であるせいか、こうした喫茶店に脚を運ぶ人は少ないようで、今日も4、5人のお客さんのみ。

レコードの数は5000枚を超えるというから驚く。クラシックの音楽はCDになっていないものも数多いから、こうした喫茶店は音楽好きになくてはならないスペースと言えるだろう。
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私も時間が許す限り、スターバックスのようなコーヒー店はひかえて、通いたい。店をでるときにかかっていたのは、ワイセンベルクのショパン夜想曲集。初めての聴く曲が多く、新鮮であった。

*ミニヨン MIGYON(ミニョンと発音)とは、フランス語で「かわいい、かわいい子(男性形)」の意味だそう。
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by kurarc | 2014-08-30 23:01 | music

fragment2014/08/26 La Double Vie と Heterónimo

*La Double Vie(La Double vie de Véronique ベロニクの2つの生 映画の日本題名は『ふたりのベロニカ』から取り出した概念)とフェルナンド・ペソアのHeterónimo(エテロ二モ 異名と訳される)という2つの概念を取り出す。

*La Double Vie:直訳すると「2つの生」。人間は生きているときの生と死後の生があると考える。たとえば、藝術家が死後、作品を残す。これは、藝術家の死後の生。または、生きている人間からインスピレーションを得て、それを別の人間が引き継ぐようなとき。魂の交換のような現象。

*Heterónimo:異名と訳される。ポルトガルの詩人、フェルナンド・ペソアが考えた思索、及び詩作の方法。仮名とは異なる。仮名は本人となんら変わることがない。単に名前を変えただけにすぎないが、異名は、本人とは異なる本人の作品。ペソアに即して言えば、ペソアが創りだした一人の完璧な人間による詩。(『ポルトガルの海』所収、池上峯夫氏による解説より)

以上の2つの概念を深化させる。または、交錯させる。

*ペソアが言う、「もうすいぶんまえから、私は私ではない」という考えをポジティブにとらえ直すこと。

*私の中に少なくとも「2つ以上の生」を創りだすこと。それらを他者と交換すること。(この場合、子供をつくる、といったことは除かれる。あくまで、一人の人間が、一人の人間の中に何かを創りださなければならない。)
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by kurarc | 2014-08-26 21:17 | fragment

イレーヌ・ジャコブとカフカ

このブログでたびたび取り上げているイレーヌ・ジャコブ。驚いたことに、今年の10月、日本で舞台に立つことを知った。カフカの『変身』である。(作、演出は平田オリザ)さらに、アンドロイドも登場する『変身』だという。(アンドロイド開発は石黒浩)

久しぶりに演劇を堪能することにしよう。
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by kurarc | 2014-08-25 23:38 | art

映画 何がよいのか?

このところ、ひと月に一度くらいの頻度で繰り返しみている映画がある。『トリコロール 赤の愛』(キェシロフスキ監督、以下『赤の愛』と表記)である。キェシロフスキの最期の映画として知られているこの映画の何にひきつけられるのか、映画をみながら考えている。

1)光

まずこの映画にひきつけられるのは、光である。映画をみていくとわかるが、それはスタジオでの撮影の場合、屋外での撮影の場合と、光の明度、質がかなり異なる。『赤の愛』ではその光がわたしにとってなじみやすいのである。概して、スタジオでの撮影の光はなじめない。明るすぎる場合が多いからである。考えてみると、ひきつけられる映画はおよそ光が落ち着いていて(自然光に近い光)、どちらかというと薄暗いものが多い。(映画『エル・スール』のように)

この『赤の愛』は、撮影都市ジュネーブの稜線に落ちる夕暮れの光の情景など、晩秋の光の感覚が心地よいのである。

2)声と音

ひきつけられる映画で重要なのは、俳優の声である。ヴァランティーヌを演じるイレーヌ・ジャコブの声がよい。それは愛情があふれ出ている声といったらよいだろうか。いくら容姿端麗な女性の俳優でも声があわないとみるに耐えなくなる場合がある。(たとえば、ヒッチコックの『汚名』でのイングリッド・バーグマンの声には耐えられることができず、最後までみることができなかった。)

それから、音。これは声、映画音楽も含めてのことだが、映画の中に響くすべての音の調和。映画の中の音は、自然の音(風、雨、葉音など)から俳優の息づかい、さらに機械音(車の音、都市の音など)、動物の鳴き声から落ち葉のざわめきなど様々である。これらが均衡して映画全体としてよい音をつくることになる。(映画はたとえ目をつぶってみても、よい映画かどうか判断できるのではないだろうか?)

3)シナリオ

シナリオは重要である。それはあまりに詩的であってはいけないし、あまりに単純でもおもしろくない。それでも、シナリオに謎は必要だ。なぜこの台詞がここで使われるのか、映画全体の中で常に検討されるべきであろう。それは、映画に深みをあたえる。『赤の愛』の中では、ヴァランティーヌが「人間はもっと寛容なものよ」とつぶやくシーンがこの映画のシナリオの中心、核をかたちづくる。

4)色彩

『赤の愛』のように初めから色彩が重要なテーマになっているものもあるが、光とともにどのような色彩が映画の基調となるのかは重要である。色彩は舞台となる自然や都市、部屋のインテリア、俳優の服装、小道具など様々であり、常に映画の隠れたテーマの一つになっていると言えるだろう。

5)仕掛け

映画の楽しみの一つは、何気なく使用される部屋のなかに、映画監督が巧妙に仕掛けを挿入していることを発見することにある。最近気づいたのは、『赤の愛』の中で、将来ヴァランティーヌと結ばれると思われるオーギュストの部屋の中に飾ってある絵画、のけぞったバレリーナの姿をしたものは、ヴァランティーヌがモデルのレッスン時に行うのけぞるポーズと連関していることを発見した。これは一つの例だが、映画監督は撮影空間の中に、その映画のシナリオや主題と関係するような仕掛けを設定しているのである。そうした仕掛けは、映画を一度みただけではわからないものが多い。何度もみるうちに、その仕掛けがみえてきて、映画の奥行きが楽しめるようになる。つまり、よい映画は必然的に何度も繰り返しみることを求められるということになる。

*下:横尾忠則氏による『トリコロール 赤の愛』のポスター
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by kurarc | 2014-08-24 12:22 | cinema

糖質制限食の広がり その3

このタイトルではこれで最後にしようと思う。『炭水化物が人類を滅ぼす-糖質制限からみた生命の科学』(夏井睦著)という著書の内容は単にこうすればやせる、といった類いの内容ではなく、大きく3つの常識について真っ向から異論を訴えていることが注目される。

一つは、「カロリー」という定義について。一日に2000キロカロリーに食事制限しなさい、などと言われるあのカロリーである。この著書では、このカロリーという概念、考えが非科学的であることを主張している。たとえば、比叡山延暦寺の千日回峰行のような修行は、カロリー計算では全く説明不可能だという。これは極端な事例であるが、人間はそう単純にカロリーを燃焼しているような生物ではないということ。(この内容はかなり化学の知識が必要になるので簡単にふれておいたが、著書ではかなりラディカルに説明されている。)

もう一つは、著書のタイトルとなっている「主食としての炭水化物=穀物」に対する疑いである。これは著者が言っていることではないが、日本人のように白米を宝物のように食す民族は、世界でも見当たらないし、そのことは日本の文化であると見なすこともできると思うが、それ自体が神話となってはいないか、ということ。白米がおいしいのではなく、そのように制度化されたという見方も一つある、ということは頭の中に入れておいた方がよいと思われる。(これは、日本であれば米、イタリアであればパスタ(及びパン)、欧米、ユーラシアであればパンのように全く常識となっている文化であろう。しかし、そのこと自体が疑われる時代に入ったと夏井氏は言っているのである。)

日本で一日に3食という食習慣が普及したのは、夏井氏が言うには、江戸期明暦の大火以後のことであり、江戸復興のために、全国から集まった職人たちに労働食として米を昼に振る舞ったことだという。地元では滅多に食べることができなかった白米を腹一杯食べることができ、空腹を満たし、労働した。その中で、米という嗜好品(米は嗜好品であったという認識が重要!)である糖質の味を覚えてしまったということ。食生活は概して保守的である、ということもあるが、その流れが現在の食生活にも連続しているということである。

最後に、穀物を生産するという農業の立場からの警告である。穀物の栽培には窒素肥料が必要となる。その肥料によって、地下水の汚染、さらにそれらが海水、湖水に流出することで水の富栄養化による赤潮被害の発生、穀物栽培による地下水の枯渇など、言えばきりがない。

以上のように、穀物(もちろん米だけではない)と食について、我々は一度考え直す時期にきていることだけは確かであろう。夏井氏は、この著書の内容は仮説であるとも言っているが、そうした謙虚さで再考することが望まれる。
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by kurarc | 2014-08-21 22:03 | gastronomy

マンフレード・タフーリ、ヴェネツィア、ヴィチェンツァ

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岡田温司氏の著書の中にイタリアの建築史家、批評家マンフレード・タフーリが登場した。すでにタフーリは死去しているが、日本においてもその難解な著書がいくつか翻訳されている。

岡田氏も言及しているように、タフーリはローマ生まれでありながら、ヴェネツィア建築大学の建築史の教授として招聘され、活動した。これ自体、実は非常に珍しいことと思われる。なぜなら、ヴェネツィアはローマという歴史的都市に対して常に負い目を感じていたから、ローマ生まれの人間をわざわざ招聘したのは、タフーリの力量が並々ならぬものであったことの証左である。

そのヴェネツィアの建築的ボキャブラリーは、中世を基盤とする。イスラムの影響もある。その中に、タフーリがヴェネツィアに招聘されたように、ローマの建築的ボキャブラリー(ルネッサンス、マニエリズム)をつくった建築家として著名なのが、アンドレ・パッラーディオ(上写真右    サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂   パッラーディオ設計 BundestorのHPより引用)である。

大学時代の建築史の先生であった渡辺真弓先生が、彼の研究者であったこともあり、学生時代からパッラーディオには興味があった。たまたま大学生の頃、パッラーディオ生誕400年の企画展やシンポジウムもあり、そこで、タフーリ氏も来日しており、わたしはシンポジウムのとき、彼の歴史家として威厳ある姿を目撃している。

渡辺先生の著書『ルネサンスの黄昏-パラーディオ紀行』の中でも、パッラーディオのヴェネツィアでの仕事は、カリタ修道院(現美術アカデミー)以外、ヴェネツィアの都市の周縁部に位置する、と述べている。渡辺先生は、ヴェネツィアは「古典主義的な建築を受け入れることはできず、サン・マルコ広場から水平線上のパノラマを形成することしかできなかった」というタフーリの考えを引用している。しかし、それは遠景からパッラーディオの建築を眺望するというパノラマをつくりだしたことになり、ヴェネツィアの都市の中にパッラーディオの建築が、忘れがたいものとして布置されたのである。

それに対し、ヴィチェンツァという街は、世界遺産パッラーディオの街として、彼の建築を数多く残している。ヴェネツィアに支配されたという歴史があるヴィチェンツァは、その当時アカデミックであったパッラーディオの建築で対抗したのである。わたしは、ヴェネツィアはホテル代が高額であるから、このヴィチェンツァの街に宿をとりながら、ヴェネツィア他を観光したことは、以前このブログでも紹介した。

ヨーロッパの街において、建築様式の選択には、その街の主張がはっきりと込められている場合が多いのである。

*パッラーディオという表記の仕方とパラーディオという表記の仕方の2種類があるが、現在パッラーディオという表記が一般的になっているので、こちらを用いた。
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by kurarc | 2014-08-19 20:22 | architects

カフェインばなれから

最近コーヒーや紅茶などカフェインの入った飲料をあまり好まないようになってきた。一日4〜5杯くらいは飲んでいたコーヒーも、2杯程度になった。食事もかなりシンプルになり、間食はしなくなった。そうした食事をしていると、自然と5キロ程度やせていた。(食事だけではなく、身体を動かしていることもある。)

甘いものは好きな方だが、こちらも自分で買って食べることはなくなった。(もちろん、出先で出されたものは喜んでいただく。)特にスナック菓子のようなものは全く口にしない。甘いもので食べるのはチョコレートだけである。

以前、デューク・エリントンのビデオを観たとき驚いたのは、朝食にステーキを食べ、白湯を飲むというシンプルなものだったことである。その理由は、一端ホテルから外に出てしまうと、演奏活動等で忙しく、いつ食事にありつけるかわからないから、朝、食べられるときに食べるということだった。一流となる人間の食生活は、やはり違うなと思ったが、水ではなく白湯であれば、お腹を壊すことはないし、どんなときにも自分で調達できる。

食事はいつも自分1人ということはないから、シンプルにしていくことは意外と難しい。わたしはビールも飲まなくなったから、飲み会の最初の「とりあえず一杯」はわずらわしい。「飲み会」や「飲み放題」などの言葉自体も最近は喜ばしい響きではない。

食事がシンプルになってくると、何かすべてがシンプルになってくる。はたからみるとつまらない人間に思われるかもしれないのが、少し悩ましいところである。
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by kurarc | 2014-08-17 19:15 | gastronomy

ブルース・チャトウィンとメーリニコフ

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『パタゴニア』や『ソングライン』といった紀行文で著名なブルース・チャトウィンの著書『どうして僕はこんなところに』(角川書店)を図書館で眺めていると、彼がロシア・アヴァンギャルドの一人として著名な建築家コンスタンティン・メーリニコフに会ったことについて書かれていた。

1973年の出来事であるから、メーリニコフが死去する1年前のことになる。チャトウィンとメーリニコフがあったのは、メーリニコフの自邸内(上写真、HPユーラシアビューより引用)であった。画家の息子に案内されてのひとときの記述であるが、メーリニコフの妻は西側の人間の彼を嫌っていて、寝室に閉じこもり、顔をみせていないことなど、自邸内の緊張感が伝わってくる。

いくつかの興味深いインタビューに答えて、メーリニコフは、貧しい農民の子として過ごした5メートル四方の生家が、自分の個性を形作った原点である、と語っている。粘土と藁でできた小屋(「干し草小屋」と呼ばれていたという)の素朴さが圧倒的な力強さをもっていたというのである。

パリ国際装飾美術博覧会のソヴィエト館の設計で一躍パリの建築家たちから絶賛をされた彼は、あのコルビュジェからも認められ、コルはメーリニコフにフランス国内中の近代建築をみせてまわるという世話までやいてくれたという。

本国に戻ったメーリニコフは、1937年、全ソ建築家同盟総会で建築家としての活動を封じる動議がなされ、その後40年もの間、自邸に引きこもる生活を余儀なくされることになった。しかし、建築家は作品の数で評価されるものではない。彼の手掛けた建築は建築史の中で永遠に語り継がれるはずである。
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by kurarc | 2014-08-16 20:04

糖質制限食の広がり その2 ウシの生き方

哺乳類は、人間のような雑食のものから、肉食、草食と様々なタイプに分類される。その中でもウシは、草だけを食料としてあれだけの巨体を維持している。前回取り上げた『炭水化物が人類を滅ぼす』(夏井睦著)から、その理由について引用しておきたい。


反芻動物であるウシは、草食であるため、摂取カロリーはほとんどゼロに近いことになる。さらに、ウシは、取り込んだセルロースを消化吸収もできない。それなのになぜあの巨体を維持できるのであろうか。

その謎は、共生微生物にある。ウシはよく知られているように4つの胃をもつ。ウシが食べた牧草は、まず第1の胃であるミノに入り、一部が分解され、第2の胃ハチノスに送られ、再度口腔内に戻し、咀嚼(反芻)される。その後、第2、第3の胃センマイに送られてセルロースは微生物に分解され、ブドウ糖となる。第3の胃に生息する微生物がそれらを発酵し、代謝産物として各脂肪酸やアミノ酸を体外に分泌。第4の胃で初めて胃酸が分泌され、共生微生物の体が胃酸で分解、アミノ酸、脂肪酸と一緒に吸収という仕組みになっている、という。ウシは共生微生物を食べて生きている、ということになる。

以上のようなウシという哺乳類からもわかるように、我々は、体内にどのような微生物がいるのか、また、腸内細菌、共生細菌を宿しているのかを知ることが重要となる。さらに、現在宿している共生細菌を組み替えることで、全く新しい生き方が可能になってくるとも言えるのである。(人間の場合、その組み替え方法の一つとして「断食」のような行為が行われると考えられている。)


人間がどのような仕組みで栄養を消化吸収するのかを知り(特に消化器官の構造)、そのメカニズムに素直に対応していくことが、身体に素直に生きていくことにつながる、ということである。

このような考えから、我々が主食として疑うことのない穀物が我々にとってどのような意味をもつのかについては、次回にふれることにしたい。
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by kurarc | 2014-08-13 21:23 | gastronomy

夏休み

身体のメンテナンスも兼ねて、7日から1週間、夏休みとします。すでに、夏休み中に読む本は決まっていて、今から楽しみ。

一つは小説、もう一つは、自然との付合い方の本。余裕があればプログラミングの本と語学。読書三昧の夏休みとなりそうです。
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by kurarc | 2014-08-07 00:36

Archiscape


by S.K.
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