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by S.K.

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第10回 ブラジル映画祭 2015へ

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ユーロスペースでの最終日、ブラジル映画祭に立ち寄る。今日のプログラムの中に、アレイジャジーニョ(ブラジルバロックの彫刻家、建築家、本名アントニオ・フランシスコ・リジュボア)の短編映画が含まれていたからである。

その他、「粋な男」とトニーニョ・オルタ(ギタリスト)の短編映画の3本だてであった。会場に入ると「粋な男」の主人公のサンビスト、セルジーニョ・ベーアガーの生演奏が行われているではないか。映画祭に来たつもりであったが、サンバの楽しめる映画祭という粋な計らいであった。

アレイジャジーニョについて、日本で興味をもっている研究者は皆無であろう。もしかしたら、ブラジル文化の研究者の中に、この天才について研究している方がいるかもしれない。この短編映画で教えられたことは、彼の仕事がバロックだけでなく、ロココの文脈で読み解かれなければならないということ。やはり、観に行ってよかったと思う。

いつもは静かなユーロスペースのエントランスホールがブラジル人たちの来場が多かったこともあり、全く別の空間に変わっていた。彼らの明るさはどこから来るのであろうか。どこかの首相もアメリカで演説などしないで、ブラジルともっと友好を深めるべきである。
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by kurarc | 2015-04-30 23:58 | Brazil

島としての武蔵野 浅間山(せんげんやま)公園

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府中の浅間山(せんげんやま)公園を訪ねた。(上写真:浅間山へ登る小径)以前、自転車の散歩がたら訪ねたことはあったが、山の中までは入らなかった。今年の初めのブログでも書いたが、ここには「ムサシノキスゲ」という固有種があり、毎年5月の連休の頃から開花するという。今日は下見もかねて出かけた。

浅間山は遠景から見ると、緑で囲まれた古墳のような丘である。この地形は、多摩川が形成される過
程でできたものだという。このあたりは川の水で浸食され土地は平坦だが、ここだけは浸食されず、いわば「島」のように取り残された。「残丘」、あるいは「孤立丘」と言われ、かつての武蔵野が形成される前の地形が残されている。(しかし、現在は植生等、武蔵野に近い)多摩川の対岸、現在川崎市に属する多摩丘陵と同じ起源ということらしい。つまり、東京の中の多摩丘陵とも言える土地である。

そして、不思議にもこの土地だけにムサシノキスゲが咲く。標高(およそ80m)としては現在わたしの住む三鷹と大差はない。数百年、数千年前は三鷹の周辺でももしかしたら咲いていたかもしれないキスゲがここだけ残ったということらしい。

それはなぜなのか?これは勝手な予測でしかないが、丘としての地形に関係するのではないか?この土地だけ丘状にそびえ立つことによって、この土地ならではの微気候のようなものが温存され、ムサシノキスゲにとって絶好の環境が偶然にも形成されたのかもしれない。あるいはこの土地ならではの地質によるのかもしれないが、その謎は後日調べてみたい。

ムサシノキスゲは、まだ一輪、二輪みかけた程度であったが、連休中から5月中旬にかけて見頃になるという。再度足を運びたいと思っている。(カメラのモードの選択を誤り、ろくな写真が撮影できなかったので、ムサシノキスゲはまた次回のブログで掲載しようと思う)

*ムサシノキスゲがここにだけ咲くという理由の一つに、この近辺に居住した渡来人が持ち込んだという説があるという。真偽の程は定かではないが。
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by kurarc | 2015-04-26 16:17 | 武蔵野-Musashino

「写す」ということ

「写す」という行為が最近気になっている。わたしの言う「写す」とは写真を撮ることではなく、自らの手をつかってなんらかのテキストを写すような行為のことである。

考えると、子供の頃はいろいろなものを写していた。小学生の頃、日本地図をトレーシングペーパーに写し、その写した地図の中に川を写し、平野、山脈等を写した。手を動かすことによって、日本の地形を暗記し、把握できた。また、大学に入り、建築を学び始めた頃は、建築家の作品を写したり(トレースしたり)、名作の家具図面やドローイングなどの模写を行った。そうすることによって、その建築家の思考まで自らに写し、肉体化することができた。

民俗学者の南方熊楠は、『和漢三才図会』105巻を借覧、記憶して筆写したという。また、12歳迄に『本草綱目』、『諸国名所図会』、『大和本草』等をも筆写したと言われている。彼は、写す行為によって、自分を消し、学問の世界に入り込んだのだと思う。

写経のような行為も、写すという行為により、無心になることによって自分の中の自我を解放し、お経の内容を自分の中に取り込む行為だと言えるのではないか。大人になると、無心になることがなかなかできなくなる。いろいろなものが頭の中に詰め込まれているから、新しく何かを学ぶことが億劫(おっくう)になる。

また、「写す」という行為が機械(カメラ、コピー機、スキャナー等)によって簡単に行われるようになったことは、「写す」という行為のもつ意義が薄っぺらなものになりつつあると言えるのかもしれない。

50歳を過ぎてから、謙虚さを失わないためにも、何かを無心になって「写す」ことによって、自我をリセットすることが最近特に重要な気がしてきた。

*文字を読む(本を読む)という行為も、頭(脳)の中に文字を写す行為と言えるような気がする。書かれたテキストを正確に頭の中に写すことは、難解である。これも煩悩が邪魔をする。
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by kurarc | 2015-04-25 21:22 | saudade-memoria

『パリ移民映画 都市空間を読む-1970年代から現在』

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『パリ移民映画 都市空間を読む-1970年代から現在』という著書を著者、清岡智比古氏から送付いただいた。わたしは日本映画学会という組織に属しているが(属しているだけで、何も活動はしていない)、その会員の希望者に送付します、という清岡氏の計らいでいただいた著書である。

この著書をまだ読んではいないが、移民と映画を手がかりとしたパリの読解と理解している。移民を手がかりとするということだけでもわかるように、パリは東京のような限りなく単一民族に近い閉鎖的な都市とは全く異なる。最近、パリで起きたテロによって、フランス人に対する見方が変わった日本人も数多いと思うが、その前にパリという都市について、そのパリという都市をつくったフランス人について理解することを怠ってはいけないのである。

清岡氏は、フランス語テキストのベストセラーである『フラ語入門 わかりやすいにもホドがある!』他のシリーズの著者でもある。同時にこちらの書籍も紹介しておきたい。とにかく、この著書をじっくりと読み、パリの理解を深めたい。まずは紹介まで。
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by kurarc | 2015-04-24 20:36 | books

『映画音響論 溝口健二映画を聴く』(長門洋平著)を読む

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『映画音響論 溝口健二映画を聴く』(長門洋平著)を図書館より借りきて、つまみ読みをしている。注釈を含めると400ページ近くになる大著である。

映画を観ていると気になるのが音楽である。そして、その音楽は、はっきりとしたコンセプトにもとづき構成されているから、音楽をどのように使用しているのかによって、その映画自体の緻密さまでさらけだされてしまう。映画監督は、少なくとも音楽の素養はなくとも、映画の中で音楽がコンセプトの一つを形成すること、映画音楽がどのような経緯で使用されてきたのかについて理解していなければならない。

長門氏の著書によって、映画の中の音楽、それも溝口映画の音楽を取り上げることによって、これほどの広がりのある世界が提示できることに驚く。特に、最近観た『残菊物語』の章では、音楽だけでなく、女優の声に着目するという視点は、この映画をみながらわたしも少なからず気づいていた視点であったので、共感できた。この著書を読むことで、逆に「いかに映画を聴くのか」という映画の鑑賞法の新たな視座(聴座というべきか)を獲得できることにもつながりそうである

それにしても、『残菊物語』は不思議な映画である。長門氏も言うように「顔のないヒロイン」を演じた女優、森赫子の声は、この映画を何か彼女の映画に変形、変容させてしまうような力をもっている。森は当時から「ぶ女」の女優と言われ、そのために、溝口も彼女のアップを撮影することを避けたのだが、それによって、この映画は一層、森の声が生き、輝きはじめるのである。
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by kurarc | 2015-04-23 22:02 | books

海の詩歌(頌歌) Ode marítime

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ポルトガルの文化が少しずつ紹介されるようになってきた。今年は、詩人ペソアのプログラム。これは楽しみである。こうしたプログラムで、ポルトガルの特異な文化性といってよい感性にふれることができるはず。音楽も楽しみである。

「Ode」は詩歌というより、厳密には頌歌。ポルトガルでなぜ詩作が盛んなのか調べたことはないが、言語自体が詩をつくる言語と言われるゆえんであろうか。スペイン人も詩をつくるためにポルトガル語を学んだという歴史があるほどだから。
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by kurarc | 2015-04-21 21:09 | Portugal

『シュピルマンの時計』を読む

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前回のブログで書いた映画『戦場のピアニスト』の主人公であるユダヤ人ピアニスト、シュピルマンの息子さんで、日本在住のクリストファー W.A.スピルマンさん(息子さんによれば、日本人は「シュ」という発音ができなかったので、「ス」と記すようになったとのことだが、「シュ」という発音ができない日本人がたまたま周りに多かったのかもしれない)の著書『シュピルマンの時計』を一気に読む。250ページ程の著書だが、平易な文体で書かれているため、2時間あれば読了できるものである。

この著書は、息子さんから見た父の実像であり、息子さんの半生記も兼ねた内容となっていた。戦後を生きた父がいかに優れた音楽家であったのか、そして、音楽になぜ没頭したのか、癇癪持ちだったのはなぜか等々、遠く日本に暮らすことになりながらも、父親と共に暮らした生活を回顧しながら、その理由について自分なりに考え、結論をだし、父の死までについて記されていた。シュピルマンの死が2000年であったことから、20世紀を回顧するような内容でもあった。

父シュピルマンは息子さんが音楽をやりたいと言ったとき、その中途半端な思いを見抜き、やめるように諭したという。彼にとって音楽とは命を救ってくれたものだったのであり、真剣に取り組むべきものであったから、中途半端な気持ちで音楽をやることが許せなかったのだろうという。また、シュピルマンは、戦前の悪夢を思い出さないように、仕事に没頭し、毎日スケジュールを一杯に入れたのだという。

また、戦後いち早く『ある都市の死』(この著書の再版となるドイツ語版『ピアニスト』が1998年に出版され、映画の原作となる)という自伝を著すことで、それまでの経験を清算し、音楽という芸術の道を突き進んだことが記されていた。しかし、晩年は、消し去ろうとした悪夢にうなされる日々が訪れ、なぜ生き残ったのかについて悩むようになり、鬱状態になったことも記されていた。

シュピルマンは作曲家としても活動し、多くの曲を残したという。また、クラシックだけでなく、歌謡曲も数多く作曲した。わたしは、シュピルマンがどのような曲をつくったのか知りたくなった。今度CDがあれば、是非聴いてみたいものである。

戦後70周年、シュピルマンの没後15周年でもある今年、日本でも、モーツァルトやショパンといった大作曲家の音楽だけでなく、シュピルマンのような平和を求めた音楽家の曲をプログラムに含むコンサートが開かれることを期待したいものである。
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by kurarc | 2015-04-19 20:33

「集めること」、「印を付けること」、「逃げること」、「歩くこと」

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昨日、東京外国語大学の公開講座、『ポーランド映画の傑作を読む』第1回での久山宏一先生の講義は大変興味深いものであった。取り上げられた映画はポランスキ監督の『戦場のピアニスト』。
(上:ドイツ人将校の前でショパンを演奏するシュピルマン。原題は単に「ピアニスト」だが、日本で公開されるとき、「戦場の」が付加されたそうである。)

ポーランド、ワルシャワのゲットーから逃れ、生き延びたユダヤ人ピアニスト、シュピルマンの自伝をもとに映画化された作品である。講義の中で、ユダヤ人殺害のプロセス、ゲットーが形成されるプロセスについて先生は話されたのだが、そのプロセスとは、


差別>>>印を付ける(ユダヤ人の印)>>>全国から都市のゲットーに集めること>>>
収容所へ移送>>>虐殺>>>遺体を焼却


この流れを見て、誰もが想像するに違いない。それは、我々の生活と類似しているということを。確かに、われわれは差別の対象にはなっていないかもしれない。しかし、この流れは、平和な人間の一生と大きく異なりはしないのではないか?

印が学歴や会社であり(もうすぐマイナンバーという印がつけられる)、都市はそのまま都市であり、収容所は病院であり、虐殺はされないまでも、最後は焼き払われることに変わりはない。

つまり、これは先生が話した訳ではなく、わたしが勝手に想像しただけなのだが、ゲットーの空間はわたしたちとは全く無関係ではないということである。現代の都市空間はいわば平和なゲットーとしてのメカニズムをもつ、といえるのかもしれないのである。

ポランスキはポーランドのクラクフのゲットーで幼少期を過ごし、そこから逃れ(逃げ出し)、命をつないだ。その彼が言うには、逃げるときには走ってはならないと言ったという。走ることは目立つことだから。本当に危険が迫ったとき、人間は歩かなくてはならないというのである。こうした単純な類推とは真逆のリアリズムにも驚かされる。映画の中では、この歩く表現が活かされている。ポランスキの映画が、少人数で狭い空間の中で繰り広げられる演劇性に富んだ表現が多い、という久山先生の指摘から、それは、彼のゲットーでの経験が大きいのであろう、とわたしは勝手に解釈した。

映画は、本当に奥が深いのである。


*なお、ポランスキの本名は、レイムンド・リープリング。彼は早々に名前を変えた。ユダヤ人が名前を変える場合、関係する地名を取り込むことが多いと、久山先生はおっしゃっていた。ポランスキの場合は、字の通り、国名を取り入れたことになる。

*スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』は当初、ポランスキに依頼されたが、彼は、あまりにも自身の体験に近かったため、断ったという。
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by kurarc | 2015-04-18 19:29 | cinema

Com licença(コン リセンサ)を言えない人々

Com licença(コン リセンサ)とはポルトガル語で「すみません」、「失礼します」の意。たとえば、電車や市電で降車しようとする時、出口付近に立っている人に「Com licença(コン リセンサ)」と言いながら電車を降りる。車内が混んでいるときにはよく使う言葉であり、ポルトガル語の中で、初めに覚えるべき生きた言葉の一つ。それは、現地で生活するとなおさら、この言葉の重要性がよくわかる。

東京はおおむね好きな都市ではあるが、やはり、満員電車だけはいただけない。特に、満員時、降車しようとする人々の大半は無言で人を押しのけて、ホームに出ようとする人が多い。ある人は、「どいてくれ」と言わんばかりににらみつけるような人もいる。「すみません」や「降ります」のひと言が言えないのである。それは、老若男女問わずである。

東京に住んでいて今一番嫌なのは、この「すみません」のひと言が言えない人たちと出会うことである。
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by kurarc | 2015-04-18 00:08 | Portugal

ジプシーからの恩恵

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先日みた映画『パプーシャの黒い瞳』で、ジプシーのある女性詩人の生涯が描かれたのだが、この映画から、以前、このブログでガルシーア・ロルカについて書いたとき、彼の『ジプシー詩集』の中の詩についてふれていたことを思い出した。(2012/03/21のブログ)

スぺインのジプシー(ヒターノ)の音楽であるフラメンコは、随分と若い頃から親しんできた。1年間ほどフラメンコギターを学んだこともあるが、最近、フラメンコ音楽をずっと聴いていなかった。ロルカの詩集をあらためて開いてみると、たとえば、「月よ、月よのロマンセ」という詩の中で、ジプシーを「鍛冶を行う民」として語っている。つまり、ロルカのみたジプシーは「火の民」、「金属の民」であったのであり、農耕民とは異なる人びとであったことがわかる。

日本ではさすがに、ヨーロッパで出会うようなジプシーたちに巡り会えないが、わたしがポルトガル滞在中、ポルトガル南部への旅の途上でジプシーたちの姿を幾度か目撃した。日本にも昭和30年代くらいまでは、サンカと呼ばれる山の民が暮らしていたようだが、現在、その末裔たちの行方についてはわたしもよくわからない。

ジプシーのような辺境に暮らす民から、わたしは、フラメンコの音楽のように多くの恩恵を受けていることを改めて気づかされる。フラメンコだけでなく、音楽に突出した才のあるジプシーたちの様々な国の中で演奏される音楽に耳を傾けてみたい衝動にかられる。その中でも、現在、ジプシー・ブラスに最も興味がある。

*「ジプシー」という言葉は、差別的含意があるとされる見解があるが、特に日本においてこの言葉を差別の対象とすることはあたらない、ということ。また、様々な国により自称、他称共様々な言い方があり、現在、それらを総称する言葉として、「ジプシー」という言い方は妥当であるという見解もあるとのこと。よって、わたしはこの見解にたち、「ジプシー」という言葉を使うことにした。
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by kurarc | 2015-04-16 20:48 | Spain


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