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by S.K.

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シュルレアリスムの方へ

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美大を卒業したこともあり、美術史やらデザイン史は一通り学習したが、卒業以後、知識をより実り豊かに、より深くすることを怠っていた。美大を出たがために、むしろ藝術やらデザインを敬遠するような時期もあった。美術館で絵画を鑑賞するのはいまだに苦手である。東京の美術館は混雑しすぎているからなおさらである。

最近、こうした怠惰な藝術への付き合いはもったいない気がしていて、特に「シュルレアリスム」に対しては深く学びたいと思っている。こうした意識の変化もフランス語を学び始めたことが影響しているのかもしれない。フランス生まれのこの概念が頭の中にちらついて消えることがない。

たとえば、シュルレアリスムの中の概念に「客観的偶然」という概念(主観的には偶然でも、客観的には何らかの必然を背後に秘めているような事物のできごとのつらなり(巌谷國士))がある。この興味深い概念を知っただけでも、シュルレアリスムの世界に深入りしたくなる。

シュルレアリスムが気になったのは、現に考える方法がいつの間にかシュルレアリスムに近づいていたという発見があったからでもある。シュルレアリスムの方から近づいてきたのである。だから、シュルレアリスムを学ぶのではなく、確認するということになろうか。シュルレアリスムに限らず、若いときにかじっただけの重要な概念をもう一度学び直す時期になったということのようである。
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by kurarc | 2016-03-31 21:24 | art

レックス・ミッチェル 『海の歌』

5月に、所属している吹奏楽団のコンサートがあり、仕事の合間に読譜、練習をしている。今日はレックス・ミッチェル作曲の『海の歌 A Song of the Sea』を練習した。

吹奏楽の定番と言える曲のようで、多くの演奏例をyou tubeで聴くことができる。特に前半部分がヒッチコックの映画のテーマ曲のようで、美しい。わたしのような初心者でも、曲全体のイメージを容易につかむことができ、練習もしやすい。

吹奏楽のコンサートを聴きにいくと、演奏を頑張りすぎている場合が多く、演奏者の自己満足の演奏を聴かされる場合が少なくないが、この『海の歌』は、疲れることなく演奏できるから、子供から大人まで心地よく鑑賞できる曲になっているのではないだろうか。

素人ながら、最近は読譜に注意をはらっている。本当であればパート譜だけでなく、すべての楽器の譜面を比較しながら、自分のパートを読譜することが好ましいのだろうが、そこまでの時間的余裕はないし、譜面をそろえる暇もない。パート譜を熟読して、練習時に全体を把握することの繰り返し。その中で、曲全体のコンセプトをつかむことが求められる。

読譜しながら練習する訳だが、この時間は本を読むこととも異なり、わたしにとって新鮮な時間となっている。反復練習することはスポーツに近いが、スポーツとも異なる。音楽の経験としか言いようのない肉体訓練の日々が続く。
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by kurarc | 2016-03-30 22:21 | trumpet

『小さいおうち』と『ちいさいおうち』

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映画『小さいおうち』をみた。女優の黒木華さんが第64回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞したということで、彼女の演技がどれほどのものなのか知りたかったからである。素直な感想を言えば、特別演技がよかったとは思えなかった。いつものとおりの彼女の演技であったと思う。

この映画の最後の方で、童話『ちいさなおうち』が紹介される場面があらわれる。バージニア・リー・バートン文・絵(石井桃子訳)の童話である。映画がこの童話からインスピレーションを受けたものかどうか調べていないが、わたしはこの童話に巡り会うために、この映画をみたのかもしれない、と思った。

この童話は、1954年に第1版が出版されているから、わたしの子供のときにはすでに小学校の図書室に置いてあったはずである。しかし、わたしはこの童話を読んだ記憶はない。およそ50年前に読むはずだったような童話を現在になって初めて読んでみた。田舎に佇む「ちいさいおうち」が、都市化の波にさらされ、最後には、引っ越しをして(建築的には移築されて)また、もとのような閑静な田舎に還るまでの物語である。

この童話は、都市に対する痛烈な批評を込めたものであることはすぐに理解できる。この童話を仮に5歳の時読んでいたらどのように思っただろう。わたしの子供の頃は高度成長期と重なり、この童話を真に理解できたとは思えないが、今になってこの童話をしみじみと理解できる。しかし、わたしは都市に対して悲観的な思いはもっていない。都市のすべては、人間が汗をかいてつくったものだからである。そのことを否定することはできない。ただ、ヤミクモにつくってはいけない、ということだけである。

「ちいさいおうち」は東京のいたるところにある。それらはいつか、この童話のようにそこから消え去る運命のものが大半であろう。「ちいさいおうち」をなくしたくないのならば、それを守ればよいということである。守れないのならば、なくなるしかない。

それにしても、この童話の「ちいさいおうち」には地下室がある。あたらしい土地に移ってもまず、地下室をつくってから移築している。この地下室とはいったい、何なのだろう?

*訳者である石井桃子さんが気になる。彼女は、太宰治とも接点をもっている。彼女の本をいろいろ読んでみたい。
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by kurarc | 2016-03-28 21:51

下降性 あるいは、下降する地景について

昨日は二子玉川から徒歩で20分ほどの場所に位置する旧小坂邸住宅を見学した。二子玉川駅北側には五島美術館をはじめ、多くの名建築があるが、その立地はすべて国分寺崖線上に位置する。その中で、唯一戦前からの様相をとどめているのが旧小坂邸住宅である。住宅内ではボランティアの女性から、この住宅周辺にかつてあった別邸、別荘の解説や、二子玉川の歓楽街としての歴史の話などをお聞きする。二子玉川では、かつて鮎が採れ、多くの料亭が建ち並んでいたという。(その中の一つが今でも営業している)

このブログでもたびたび書いている「下降」という言葉を、もう少し意識的にとらえてみたいと思っている。旧小坂邸も崖の上から崖下にかけて庭園をつくり、その「下降性」といった空間を楽しめるよう計画されている。この場合、下からみれば上昇する空間が立ち現れることになるが、それは二次的なものであり、中心は上からの視点、「下降性」である。

かつて、建築家の原廣司氏はこうした「下降性」を粟津邸や自邸(下写真)の中で表現した。住宅の中心に下降していく階段をしつらえ、谷の地形を住宅空間の中に取り込んだ。大学時代、原氏の建築をゼミで取り上げ、研究していたが、彼は、数学者としても通用するような数学通であり、理知的な人間であるが、「下降」という現在一つの中心と言えるような感性をとらえていたのではないか、と思う。

階段は上るため、下るためのしつらえであるが、エレベーターやエスカレーターが普及した現在では、その主要な機能は「下る」ためのしつらえになりつつある。特に住宅以外の公共性の高い建築物において、階段は、上ることより、下ることが主要な機能となるように変化しているのではないか。

東京の中でも、たまたま武蔵野台地という標高60メートル程度の土地に生まれ育ったこともあり、わたしのまわりの環境には「下り坂」が多かった。そのことをもう少し普遍的な主題として考えてみようと思い始めた。それを、「下降する地景」としてとらえたり、その景観、空間を意識的にとらえてみたいということである。

このようなことを考えるようになったのも、わたしがもはや50も半ばにさしかかったことと無縁ではないように思う。山登りでも、登ることより下ることが実は大変である。登ることばかりに眼を向けていないで、下ることの楽しみを味わうような歳になったということなのかもしれない。
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by kurarc | 2016-03-27 22:04

世田谷 国分寺崖線散策マップ

(財)世田谷トラストまちづくりが発刊する『世田谷 国分寺崖線散策マップ』、『自湧時間』を購入した。各々500円。世田谷に残る国分寺崖線に焦点をあてたマップと小冊子である。

このブログで何回か紹介している国分寺崖線は、立川から世田谷に広がる崖地であり、わたしの幼少の頃の記憶の中に深く焼き付いていた自然である。ここ2年くらい前から少しずつ資料を集め始めている。今回は、世田谷区の南を東西に延びる国分寺崖線に関する資料である。

まちづくりの先進地である世田谷らしい資料で、自然から歴史に到るまでよくまとめられている。わたしにとっての東京と言えるのはこの地域である、ということを最近特に自覚するようになった。小さい頃、兄の車に乗せてもらって二子玉川あたりの起伏のある土地を何度も訪れたことがこれほど心の中に刻み込まれているとは思っても見なかった。無意識の中の、記憶の中の東京を思い出させてくれたのが、この国分寺崖線の地景であったということである。

世田谷には、旧小坂家住宅等、歴史的建築物もこの崖線地帯に数多い。今年は、立川からこの世田谷までのこうした歴史的建築物をすべて見学することにしよう。
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by kurarc | 2016-03-24 22:57 | slope-stair

広大なラテン世界の逍遥へ

フランス語を相変わらず学習している。フランス人のS先生は、チャーミングな女性であり、日本語もうまく、非常に丁寧に教えてくれるので助かっている。かなりスローペースで進んでいるが、わたしにはちょうど良い。発音は難しいが、少しずつではあるが慣れてきている。

フランス語を学び始めて、わたしの中にフランス語圏の文化が蓄積されていることに改めて気づかされる。映画、映像、音楽、芸術など若い頃から親しんできたものは大半がフランスのものであった。高校生の頃、一時ムスタキなどのシャンソンを聞いたが、ギリシャ系ユダヤ人のムスタキはフランス語で歌っていた。

クレオールの文化理論もフランス語圏の文化人がリードしている。本国に限らず、中南米を含むラテン世界(イベロアメリカを含む)へのパースペクティブも広がっていく。カナダのフランス語文化圏も視野に入ってくる。あとは、イタリア語とスペイン語を学べば、ラテン世界の言語はすべて学んだことになる。スペイン語は独学が可能であるので、イタリア語をどうするかになる。

エドゥアール・グリッサンらのフランス語圏カリブ海域の文化人たちもフランス語を学ぶことにより、身近に感じられるようになった。建築で言えば、ル・コルビュジエの作品集の理解も深まる。まずは、サン=テクジュペリの『星の王子さま』をフランス語で読めるくらいの力をつけることが当面の目標か。一時、ラテン語も少し勉強したが、もう少しまじめにやらなければならないのかもしれない。広大なラテン世界を逍遥し続けることは楽しく、興味は尽きない。
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by kurarc | 2016-03-23 21:27 | France

ジャズ・トランペット事始め

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銀座の山野楽器で、『ブラスバンドのためのジャズ・アンサンブル(トランペット)』を購入した。ジャズ・トランペットの入門者用教則本である。

この教則本が優れているのは、まずは価格が安いこと。2枚のCDが付属して、1,800円+税。CDの中の解説は英語で話されるが、簡潔で、非常にわかりやすい。シンコペーションあたりのコツからはじまり、2ページ目を進む頃には、ジャズの感覚がつかめるようになる。4ページ目に入る頃には、簡単なインプロヴィゼーションのトレーニングに進む。6ページ目くらいになると、ジャズ・ブルースが演奏できるようになり、その次はコード、スケールへ・・・といった具合で、教則本としてシステマティックにトレーニングできるように工夫されているのである。

多分、バークリー音楽院なども、ジャズを学ぶための優れたプログラムがあり、ある程度の演奏技術をもつものであれば、誰でもジャズが演奏できるようになるのかもしれない。ジャズはすでに誰でも気軽に学ぶことができる音楽になった、と言えそうである。you tubeでも学習できるが、やはり教則本の方が体系的に学習できそうである。
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by kurarc | 2016-03-22 22:28 | music

fragment2016/03/ 21 偶景 INCIDENTS(アンシダン)

*ロラン・バルトの著書『偶景』、今福龍太氏の言葉の中に「偶景」という言葉が出てきて、これが、バルトの著書のことだと知る。「INCIDENTS」を「偶景」と翻訳したのは、沢崎浩平氏。

*偶景=アンシダンとは、「偶発的な小さな出来事、日常の些事、事故よりもはるかに重大ではないが、しかしおそらく事故よりももっと不安な出来事、人生の絨毯の上に木の葉のように舞い落ちてくるもの・・・・

*偶景=アンシダンは、「物語」にからめとられない無意味な小さい出来事・・・アンシダンは「物語」の・・・意味作用に抵抗する。・・・「運命」に組み込まれることのない「人生のテクスト」の断片・・・(花輪光氏解題より)

*偶景=アンシダンと建築、都市との関係、連関、想起について考えてみる。

*地景、偶景、場景、幻景、通景・・・。・・・景という言葉との出会い。
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by kurarc | 2016-03-21 23:48

ハリー・ポッター

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吹奏楽の練習曲の中に映画『ハリー・ポッター 賢者の石』の曲が含まれている。この映画を見ていなかったこともあり、また、曲のイメージをつかむこともあり、映画をみた。こうしたきっかけがないとファンタジーものの映画をみることはないが、そういえば大好きな映画『ビッグ・フィッシュ』もファンタジーであるし、前回紹介したジャック.ドゥミの映画のいくつかもファンタジーとしてとらえることもできるから、以外にも数多くのファンタジー映画をみているということになるのかもしれない。

映像、シナリオもさることながら、ジョン・ウィリアムスの音楽がすばらしい。彼は、スターウォーズなどの映画音楽を手掛けてきた巨匠である。ヘップバーンの『おしゃれ泥棒』も彼の音楽であることを知る。単に音符をみて、演奏しているだけではわかりえなかったことがつかめたような気がするし、なぜ、この曲がファンタジー映画の曲でありながら、重い曲調ではじまるのか、映画をみてよく理解できた。

映画は魔法魔術学校の世界での戦いを描いていたが、日常と魔法魔術の世界という異次元と、西洋世界に浸透する地上、地下という垂直的な空間構造の舞台をつくり、二重の異世界が演出されていた。ファンタジーには、空間と時間の飛躍がかかせないから、空間・時間のファンタジーといってもよいのかもしれない。子供は、空間と時間とのはっきりした区別はないから、ファンタジーの中に生きているとも言える訳で、その世界を物語にすることの力技にひきつけられる。この映画のシリーズはすべてみるしかなさそうである。

*しかし、この映画の舞台が日常の世界における「学校」であり、建築もゴシック建築?が選定されているあたりは、あまりにも安易だったのではないか?いわゆる、常套句といってもよい設定である。つまり、ファンタジーになりきっていないのでは?という疑問をいだかせるのである。
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by kurarc | 2016-03-20 10:19 | music

ジャック・ドゥミ 映画『ローラ』レストア

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6月にジャック・ドゥミの映画『ローラ』がHDマスターとして復刻されることになった。この映画は現在最も見たい映画であったが、中古のDVDでも8000円程度するため、購入するのをためらっていた。レンタルでも見当たらず、どうしようかとずっと迷っていた。

この映画に興味があるのは、ジャック・ドゥミの映画『シェルブールの雨傘』、『ロシュフォールの恋人たち』へと続く3部作の第1作目だからである。これら3つの映画はシナリオ上で連続していて、その第1作をずっとみることができずにいたため、わたしの中では不完全であり、ドゥミの映画ファンとして悔しい思いをしてきた訳である。

『ローラ』が興味深いのは、フランスのナントという都市を舞台としていること、そのナントをどのように描いているのか知りたいのである。特に、美しいパサージュとして有名なパサージュ・ポムレがどのように描かれているのか興味は尽きない。そして、主役のアヌーク・エーメがどのような女性を演じているのかも。

6月に発売されるというDVDが待ち遠しい。
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by kurarc | 2016-03-19 11:02 | cinema


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